第14話~揺れる想い~
波が淋しい音を奏でている。
カンナと燈は崖の上から水平線を眺めていた。
響音の過去はあまりにも凄絶だった。燈の話を聴き終わるとカンナはしばらく言葉を発する気にならなかった。切ない気持ちがカンナの心の中で渦巻いている。
「あたしも、多綺と畦地さんの仕合は観に行ったんだよ。それは酷いもんだった」
燈は、黙り込んでいるカンナを横目で見ると吐き捨てるように言った。
「多綺さん、もとから悪い人ではなかったんだね」
「まぁ、面倒見もいいし、つえーし、見た目もいいから、他の生徒達からは好かれてた方かな。悪い奴ではなかった。あの仕合の後からだいぶ性格おかしくなって皆から避けられるようになったったわけだし。ずっと心配してるリリアさんの事も蔑ろにしてるしな、あいつ。もう月希のことしか頭にないんだよ」
響音は月希の仇を取りたいとは思っているようだが、青幻の圧倒的な強さに目を逸らさざるを得なかったのだろう。しかし、大切な人、妹のような存在だから忘れることも出来ない。泣き寝入りするしかなかったのだろう。
そう思うと、カンナは響音が不憫で仕方なくなってきた。
すると燈がカンナの心を見透かしたように口を開く。
「カンナ? お前多綺の事、可哀想とか同情してないよなー? よく考えてみろよ? お前があいつに恨まれる筋合いはこれっぽっちもないんだぞ? 今まで何されて来たか思い出してみろよ?
逆恨み以外の何者でもねーよ」
「わ、分かってるよ。でも、その、何だかさっきまで私の中にあった気持ちが薄れてきて」
「馬鹿じゃねーの? あいつに同情なんていらねーよ! あの女の事をリリアさんがこれまでどれだけ心配して気を遣ってきたか知ってるか? それを全部ぶち壊したんだよ! あいつは!」
そこまで言うと、燈は舌打ちをして髪を掻き上げながら頭を掻いた。
「今だってリリアさんはあいつの事心配してんだよな。……ったく、お人好しにも限度ってもんがある」
カンナは俯いた。今まで自分の中にあった気持ち。響音に反抗したい。酷い仕打ちをやめさせたい。その気持ちが、燈の話を聞いてだいぶ薄れてきていた。しかし、だからと言って放っておくわけにもいかないのは分かっている。放っておけばいずれこの学園から追い出されるか、殺される。
迷っている様子を見て、燈が言う。
「一度仕掛けた仕合はやれよ、カンナ。お前の気持ちがどう変わろうと、棄権はしない方がいいぜ。ルール上棄権する事は出来るけど、まあその時は今よりあいつの虐めは酷くなるだろうな。ってかさ、お前が多綺の悲しみや苦しみを理解したところで、あいつには関係ない事だ。お前があいつに逆恨みされているようにな」
「うん、そうだね。ありがとう、燈」
カンナは燈の真剣な忠告に少し気持ちが揺らいだ。
燈はカンナの返事を聞くと、役目を終えたかのように背を向けて馬に跨った。
「お前が今まで何百人と闘ってきたのかは知らない。だけど、多綺を甘く見ない方がいいぞ。利き腕を失っても未だに序列8位に君臨する女だ。もちろん、畦地戦の後も序列9位が何度も仕合を挑んでいるけど、毎回返り討ちにしてる。102戦102勝。多綺に傷一つ付けられずにね。腐っても達人てわけだ」
「そ、そうなの……」
「ま、お前より下位序列のあたしが武術の事でお前に助言出来るわけがないから、後は死ぬなよとだけ言っとくわ! じゃあな」
燈は馬の腹を蹴り、一度軽く手を上げると森の中へ消えていった。
♢
1人になったカンナはまた水平線を見つめた。響音の悲しみや苦しみ。それは知らなければよかったとも思えてきた。しかし、知るべきだったとも思えた。大切な人を失う悲しみはカンナ自身も経験している。気持ちは痛いほどに分かる。カンナの場合、その気持ちを心の中に押しとどめる事が出来た。それは篝気功掌の修行のお陰でもある。氣を操るには心の制御が不可欠だからだ。だが響音の場合、その制御が出来ず、さらに青幻という圧倒的な力の差の前に絶望しか見いだせなくなったのだろう。自分はどうしたらいいのか。この苦しみをどこにぶつければいいのか。その苦しみが今まさに、カンナへと向けられているのだ。
月希と同じ序列11位のカンナに。
「よし!」
カンナは自分の両方の頬を叩いた。
気持ちを切り替えた。どんな想いがお互いにあろうと、仕合はもうやらなければならない。燈の言う通り、棄権などした時には間違いなく虐めは悪化する。周りの生徒達からの迫害も増すだろう。だったら正々堂々、誠心誠意ぶつかっていこうじゃないか。
カンナはそう決意した。
負けたら殺されるかもしれない。しかし、憎しみの矛先を向けている存在に打ち負かされれば、響音も何かが変わるかもしれない。
そうだ。まずは、何が何でも仕合に勝たなければ。
カンナは勝つことだけを考える事にした。
♢
茜リリアは割天風の執務室にいた。側近なのだから当然といえば当然の事だ。
「総帥、響音さんとカンナの仕合、やめさせる事は出来ませんか? 今の響音さんは必ず……その……カンナを殺します」
割天風は顎の髭を指で撫でていた。
「学園側の都合で仕合を中止させる事はない。闘わずして仕合をやめる方法は2つ。本人同士で仕合前に白紙撤回の合意をするか、仕合開始後に一方が棄権した場合じゃ。もっとも、棄権を選べばこの学園では今まで以上の荒波に揉まれる事になるがのぉ」
割天風はまるでカンナを心配していないようだった。元はと言えば、割天風がカンナを序列11位にした事からこのいざこざが起きていると言っても過言ではないというのに。
リリアは過去に何度かカンナの序列について割天風に聞いたことがあった。何故序列最下位からのスタートではなく序列11位からなのか。しかし、いつ聞いても割天風は「知る必要はない」と言うばかりで何も教えてはくれなかった。
もしかしたら、とんでもない秘密があるのかもしれない。
「さて、リリアよ。カンナはまりかの時のように響音に勝てるかのぉ」
リリアは割天風の空気を読まないところが嫌いだった。深い皺と白いフサフサと蓄えた髭で表情は分からない。
「さあ……まりかさんは『神眼』のお陰で響音さんの『神速』に勝てたわけですが、カンナはただの体術使いです。例え氣を使えたとしても勝てるとは思いません。それに、剣術と体術ではそもそも相性も悪過ぎます」
「果たして、どちらの闇が深いのか」
割天風は見事なまでにリリアの言葉を無視した。代わりに呟いた言葉の意味も、リリアには理解出来なかった。
「リリアよ、今日はもう帰って良いぞ」
「は、はい……」
この話はもう終わりと言わんばかりに話を打ち切られ部屋を追い出された。
リリアは総帥の側近として働きながらも、カンナと響音の為に何も出来ない自分に心底嫌気がさした。
もどかしい気持ちのままふと廊下の窓から見えた夜空には、月も星も何も見えなかった。
仕合の時は刻一刻と迫っていた。




