とある国の王子様
後ろを振り向いても、暗闇が広がるだけだった。キツネが見えなくなったのを確認し、マルコはティムの手を離した。
「ティム、大丈夫」
「ああ」
あの時、ティムは明らかに異常だった。キツネが喋っているのを平然と見ているのも異常なのだろうが、それ以上にティムは動揺していた。呆然とするティムを背に、マルコは歩き始めた。色々と聞くべき事はあったが、それよりもこの不思議な出来事が続く状況から抜け出したかったのだろう。ティムも、のろのろとマルコの後を追って歩き始めた。
恐らくは、もう何があっても驚かないだろう。マルコはそう思いながら川沿いを歩いていた。
しばらく歩いた後、目の前にきらきら光るものが現れた。それは眩い光を発しながら、踊るようにせわしなく動き回っていた。少し近付くと、それが何なのかすぐにわかった。
人だ。きらきらと自ら白い光を発するおかしな衣服に身を包み、何が楽しいのか、笑いながら動き回っている。
「なんだ、あれ」
ティムが後ろで呟いた。マルコも同じ事を考えたが、驚きはしなかった。今までの出来事と、きっとつながりがあるのだろう。話しかければ、何が起こっているのかわかるかもしれない。
「あなたは、誰ですか」
二人は彼に近付き、そう訊ねた。
「私かい。私は×△□×○の、王子様だよ」
どこかの国の、王子らしい。その国名だけが聞き取れない言語で、他の言葉は二人とも理解できた。
「何をしているんですか」と、マルコが続けた。
「踊っているんだよ。楽しいからね」
「何が楽しいんですか」
マルコが続けざまに訊ねた。訊ねてから、マルコはティムがまた身をこわばらせているのに気付いた。
「生きているのが楽しいんだよ。僕は王子だからね。産まれただけで、特別な存在なんだ」
いっそう嬉しそうに、彼が答えた。
「生きる事と死ぬ事は、ほとんど何も変わりない事なんだよ。どちらかを選ぶだけだ。その境界なんてとても曖昧なもので、ふとした拍子に誰でも越えられるものなんだ。理由なんて、訊ねるだけ意味がないと思わないかい」
彼はそう矢継ぎ早に話し、また奇妙に動き回り始めた。動くたびに衣装がぎらぎらと輝いて、その空間だけがまるで真昼間のようだった。マルコはそこで、ティムの様子がまた変わっている事に気付いた。ティムはその王子を睨んでいた。
「おまえ、何が言いたいんだ」
ティムは、叫ぶように彼に問いかけた。明らかに、怒気をはらんでいた。
「おや、君は」
一瞬彼は動きを止め、ティムを一瞥した。するとすぐにまたにんまりと笑い、こう答えたのだ。
「君も王子様なのか」
マルコには彼が何を言っているのか全く理解できなかった。しかしティムはその瞬間いっそう怒気を強め、
「ふざけるな、おれとおまえで何が同じだと言うんだ」
と金切り声をあげた。
「おれの何を知っているんだ、おまえはなんなんだ」
ティムがこれだけ興奮しているところを、マルコは見たことがなかった。驚き、ティムをとめる事もかばう事もできなかった。
「まあまあ落ち着けよ、君も好きでそうなったわけじゃあるまい」
「だから、何を言っているんだ」
「まあまあ」
彼はにやにやと笑いながら、ティムの頭をぽんぽんと叩いた。
「私の言う事が正しいわけでもない。でも、すべての物事に理由があるわけでもない。それを探しても、それから逃げる事も、意味がない事だと思うよ」
「おまえは」
「だからね、この先はきっと、迷う事はないと思うよ」
そう言うと彼はぱっと真顔になり、川沿いの道を指差した。
「ここを真っ直ぐに行きなよ。回り道をしても、行き着く先は同じなんだからさ」
マルコは、彼の言葉の中に、一種のあきらめのようなものを感じた。
「じゃあ、私はもう行くよ」
そう呟いた瞬間、彼は眩い光ごとぱっと消え、辺りはまた暗闇に包まれた。森と川の音が聞こえるだけで、彼が居た痕跡はそこに全く残らなかった。
「くそっ」とティムが毒づいた。
「あんな風になれたら、おれはきっと」
マルコはこの時、何が起こっているのかを理解し始めていた。
気付かないふりをして、ティムの前をまた歩き始めた。