キツネ
男性と別れた後、二人はまた川沿いを歩いていた。カンテラの光が無くなった辺りは、心なしか先ほどよりも暗く見えた。地面を踏みしめる二人の足音は、やけに大きく響くようだった。
その先、またしばらく川沿いを歩いた頃だった。
二人の目の前に突然、暗がりから何か、小さい丸いものが飛び出してきた。
「うわっ」
マルコの前を歩いていたティムが、それに驚いて足を止めた。
「キツネだ」
ティムが呟いた。
マルコもそれに気付き、暗がりに目を凝らしてその丸いものを凝視した。マルコにはそれが生き物という事はわかったが、言われなければキツネであるとわからない程度までにしか判別できなかった。
「なんで、こんなところに」
野生のキツネは警戒心が強い。人と馴れ合うことはまず無い。
そのキツネは今、ティムの手の触れられるくらいの距離まで近付いており、じっとこちらを見ていた。暗闇の中、二つの眼だけがぎらぎらと光り、二人を睨んでいた。
「なんなんだ、こいつ」
ティムが後ずさりをする。小さくても、野性の動物だ。牙もあり爪もある。攻撃されたら、どうなるかわからない。
「に、逃げよう」
「どこにだよ」
二人が恐怖し、冷や汗をかいたその時だった。
「お前たち」
キツネの口が動き、同年代くらいの少年の声が響いた。誰の声、と二人は思わなかった。それが、目の前のキツネが発した言葉だと理解するのに、一瞬もかからなかった。それ程にはっきりとした、耳に通る声だった。
「どこに行く」
キツネがこちらをじっと見つめながら、そう言った。
目の前でキツネが喋っている光景を、マルコは不思議とあっさりと受け入れた。理由はわからなかったが、それだけ当たり前の如くキツネは言葉を発していた。
だがティムは身をぐっとこわばらせ、いつキツネが襲い掛かってきても良いと言わんばかりに、体を前のめりにしていきんでいた。
「家に帰るんです」
マルコが、自然とそう答えた。
「そうか」
声は同年代くらいのそれなのに、何故かマルコはキツネに荘厳なものを感じていた。口調がそうさせるのか、この異常と思うべき光景がそうさせているのかはわからなかった。
「お前はどこへ行く」
身をがちがちにこわばらせているティムの方を見て、キツネはそう続けた。
「おれは、おれも家に帰るんだ」
マルコには、ティムの中にあるものが恐怖ではないように見えた。畏怖というか、恐怖とは違う、おそれを感じているようだった。
「嘘だな」
ティムの答えをキツネは一蹴した。
「帰るつもりも無いくせに、何を畏れている。お前の態度は矛盾だらけだ。なぜ、何も知らないふりをする」
声は一本調子だが、マルコにはキツネが嘲ているように見えた。ティムはそれを聞いて、いっそう身をこわばらせ、歯をがちがちと鳴らし始めた。
「ティム、行こう、逃げよう」
彼の明らかな異常に気付き、マルコがティムの手を引き、キツネの横を走って通り抜けた。不思議とマルコは、キツネに対して荘厳さを感じてはいたが、恐怖は全く感じていなかった。
「どこへ逃げるというのだ。お前は、ここに逃げてきたのだろう」
後ろからキツネの声が響いた。ティムの手にぶわっと汗が吹き出るのを、マルコは指摘できなかった。