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第一話:変容

俺(勇者)がいるのに~ 続編スタートです。よろしくお願いいたします。

 それは、不思議な体験だった。

 邪神が消えた後、リュカゥの膝の上で意識を失った俺は、突然目覚めた。

 アゼリア――俺と、何人かの頭の中に構築された仮想現実の世界は、奴の消滅によって救われただろうか。

 実体のない世界に囚われた少年と少女も、無事に現実世界に帰れただろうか。

 残念ながら、俺には世界と彼らの行く末を確かめる手段がない。

 俺は帰れなかった。

 愛した女との約束も果たせず、自分勝手に突き進んで死んだ。

 最後に目にしたのは、眉を「八」の字に曲げて目を潤ませる時空の女神――リュカゥの涙。彼女に謝らなきゃ。約束を守れなくてごめん、と。

 だがそれを伝える前に、俺の意識は途切れた――はずだった。

 なのに今、俺の意識はたしかに存在し、こうして現状について考察している。

 現状。

 一度途切れた意識が復活し、不思議な浮遊感――水面に仰向け浮かんでいるような――を身体各所に感じながら、俺はどこかもわからない空間を漂っている。そう。俺の身体はわずかずつだが、移動している。それは静かな湖面を漂う落ち葉のような、ゆったりとした動きだ。身体の下をなにか、ぬるいものが移動していく。それが水の流れに感じるのだ。

 それにしても、自問自答する心の声以外に何の音も聞こえない。

 さらには目を開けても――実際に開けているのかどうかもわからない。少なくとも俺の「感覚」ではそうしている――、何も見えないのだ。辺りは、俺の周辺は真っ暗闇の無音の世界だ。

 そういえば、と息を吸って、吐いてみる。まずは口を大きく開けて深呼吸だ。胸は順調に膨らみ、吸い込んだと感じるものを吐き出した。息苦しい感じはない。

 次は鼻からだ。造作もなく、それは為った。おかしなことと言えば、何の匂いも感じなかったことか。

もしかすると俺は今、生きているのかもしれない。

 そんな希望的な考えが脳裏をよぎる。

 仮に、病院のベッドの上で種々の管に繋がれている俺がついさっき意識を取り戻したのだとする。そうであれば、こんな自律的な呼吸をすることはできないだろう。人工呼吸器に繋がれたまま意識を取り戻すと、尋常でない異物感と呼吸苦に襲われるという。

 だいいち意識不明だった患者がそんな事態になったら、病院のスタッフが飛んでくるだろう。実は水面を漂っているという感覚が、イケてる病院のベッドの上で横たわる俺の錯覚かもしれない、なんて考えは捨てるべきだ。

 捨てるべきだと分かっていても、こうして考察する力はあるのだ。そう簡単に諦められるものでもなかった。

 例えばこういうのはどうだ。

 俺は重症VRT患者として一年も寝たきりだった。しかもNOAの世界に長らく身を置いていたことで、俺の脳は正常な知覚を失っているのだ。深部感覚が辛うじて生きており、水平に横たわっているくらいのことは分かっても、腕や足の表在感覚は麻痺している。聴覚と嗅覚も失われているのかもしれない。骨格筋は萎えて関節は拘縮し、自力で身体を動かすことは不可能。

 すなわち、俺の身体は辛うじて生きてはいるものの医者の目から見れば植物状態であり、意識を取り戻したことを知るものはない。

 このように考えると、俺の現状は実に悲惨なものに思えてしまう。

 意識を取り戻したことが不幸でならない。

 目を閉じてため息をつく。

 眠ろうとすれば、眠れるのかもしれない。



 

 どれくらいそうしていたのか。

 俺は相も変わらず無音無明の世界を漂っている。

 くそったれ。

 四肢は動かないしどこを見渡しても真っ暗だ。

 とんでもない孤独感が押し寄せてきた。

 俺はこのまま、意識を取り戻したことを誰にも知られることなく、いつ訪れるかもわからない死に怯えて生きていくのか。

 脳溢血で倒れてから数年後に意識を取り戻した人を取材したテレビ番組を見たが、俺も徐々に回復していくのだろうか。


「残念ながら、それはないわね」


 唐突に、女の声が聞こえた。

 耳元で聞こえたような気もするし、頭の中に直接響いたようにも思えた。だが少なくとも、離れた位置に人が立っていて、そこから発せられた音声ではなかった。


 誰だ!?


 俺の考えを否定した存在に届けと念じてみる。誰でもいい、俺が今どんな状態にあるのか教えてくれ。


「あら、たった十年で忘れちゃったの? あなた、意外と冷たいのね」


 ……十年?


「そう。あなたが邪神を倒してから、十年」


 それは、仮想現実世界の話だ。俺は、現実世界の俺はいったいどうなっている!?


「……教えなぁい」


 なんだと!?


「いやね、冗談よ。かわいいブルーバード」


 ブルーバード? なんだ、それは。俺はアルスだ。いや、違う。羽鳥正孝だ。真医会病院に入院していて、邪神を――ああ、くそ。VRと現実がごっちゃになって――


「かなり混乱しているわね……長いこと動かしていなかったから、復元するときに処理しきれなかったデータがCPUを圧迫しているのだわ。正常な検索ができるように、少し整理する必要があるわね」


 まだ、早かったみたい。


 独り言のような呟きを最後に、声が聞こえなくなった。

 同時に俺の意識も闇に消えた。







「く、くそ! いったい何が起きている!?」

 

 統一電脳世界監視機構(UCS  United Cyber and virtual reality space Surveillance) 本部では、結成と仮想現実世界統合一周年を記念した一大イベントの準備を終えた職員たちがグラスを傾けていた。経費削減のために「VR宴会」をしてもよかったのだが、「お調子者」のイギリス人スペンサーが持ち込んだスコッチの濃密な香りが、生真面目なUCSの面々の唯一の欠点――コミュニケーション能力の著しい不足または欠如――を解消することに成功していた。おかげで、赤毛の青年が発した統一電脳世界の異常を知らせる言葉は、彼らの耳に届かなかった。


「み、皆。酒なんて飲んでいる場合じゃない!」


 職員たちが一人、また一人と火に誘われる蛾のように酒盛りの場へと集まっていく中、コンソールの前で声を震わせている男がいた。

 まだ若い、きついパーマがかかった赤毛の青年だった。髑髏マークが散りばめられた黒地のTシャツにジーパンという出で立ちの彼は、自称「Mr.歌舞伎」のアメリカ人、ティムが頼んだ超速デリバリーサービスの「冷凍SUSHI」が届いたことで上がった歓声を遮って、生白い腕の先に付いている最新式の義手をコンソールに叩きつけた。

 一瞬静まり返ったUCSの面々だったが、立ち上がった勢いでずれた丸眼鏡を直す青年に注目することはなく、届いた各種香料と特殊な調味液に付けることで生臭さを封印した握りずしをマイクロ波照射装置――電子レンジに投入するものと、セットで付いてくる「インスタントソバ」にお湯を注ぐもの、「粉末ショーユ」を水に溶くものなどに分かれて酒盛りを再開した。


「き、き、聞け! 大変な事が起きているんだ!」


 赤毛の青年がコンソールを操作すると、天井の立体映像投射装置が稼働し、ティムが注文したペパロニピザの上三十センチほどの空間に二メートル×三メートルほどの映像が映し出された。


「おいおい……穏やかじゃないでゴザルな、ザック氏」


 ティムが自分の顔ほどもあるピザにかぶりつき、振り返った。添加物以外何も入っていないようなそれを咀嚼しつつ、いつものニヤケ顔を作ろうとしているため太ったピエロみたいな口元になっている。


「ティム、ほ、他の皆も映像を見てくれ――バート! 後にしろ!」


 ザックがチン、と音を立てた電子レンジから中身を取り出そうとした日本人のデブ――名前は忘れた――を一喝した。

 入職の面接以来肉声で話すことがほとんどなかった彼の怒鳴り声を耳にしたUCSの面々は、ようやくピザの上に現れた映像に注目した。


「Holly shit! こいつはマジでヤバいぜ……」


 さすがは世界屈指のVR技術者の集団と言うべきか。ティムは食いかけのピザを口に押し込み、いつの間に持ち込んだのかバドワイザーでそれを流し込むと、自分の持ち場へ走った。彼以外の面々も手持ちの酒と食い物を手早く胃に流し込んで同様の行動に出る中、太った日本人だけが、電子レンジの中身をいつまでも気にしていた。

 VRゲームの専門家として招かれた客員扱いの男だ。騒動の原因を突き止めて正常な統一電脳世界を取り戻すためには、奴の働きが必要不可欠となるだろう。

 結局我慢できずにスシを取り出してむしゃぶりつく男の首根っこを摑まえたザックは聞えよがしに嘆息してから口を開いた。


「は、ハシモト。スシなんて食ってる場合じゃない。NOAⅢがUCSを食ってる」

「え?」


 ようやく顔を上げてピザの上の映像を見たハシモトは、なぜかニタァ、と嫌な笑みをうかべた。







 始まりの町(ログタウン)

 それはNOAⅢ――ナイツオブアゼリア3――の世界に初めてログインした人間が「転送」される場所の名称である。新規プレイヤーはこの町でアバターを作成し、操作の基本を学ぶ。その後は世界を旅する冒険者になるもよし、仮想通貨Moneyを借りて商売を始めるもよし。様々な職業に就いて仮想現実世界の生活を楽しむことができる。


「おお、やっぱりすごいな! 最新作は」


 初期のアバターすなわちスキャンカメラによって撮影された姿のままで、仮想現実世界に降り立った青年が、どんよりと曇った空を見上げて両手を広げた。本来、初回ログイン時には快晴の青空が広がり、某宇宙戦記映画よろしく物語のあらすじが空を流れるはずだった。


「でも……なんか、概要情報(アウトライン)と雰囲気が違うと思わない?」


 黒髪の青年と同一端末からログインした女性が、枯れ木の目立つ雑木林に囲まれた街道を進みながら首を捻った。あらすじの投影が終わるとちょうど通りかかるという乗合馬車もいっこうに現れる気配がない。見上げても見渡しても、そこは彼女がインプットしてきたプレイングマニュアルのデータとまったく噛み合わない世界だった。現実にそこに立っているとしか思えないリアルさが、逆に彼女の背筋に悪寒を走らせるのだが、舗装されていないむき出しの赤土が続く街道にしゃがみ込んだ青年はまったく不安げな様子を見せない。


「そうかぁ? でも、めっちゃリアルじゃん?」

「リアルなのは当たり前でしょ。あんた……マニュアルのダウンロードって、した?」


 どうせしていないだろうとは思いつつ、訊いてみる。


「まさか。でも、ミサがやってくれたんだろ?」

「まあ、ね」


 桜木勇気は相変わらず能天気だ。そこがいい、と言えば、まあ、いい。十年前にVRMMMORPGをプレイして訳の分からない事件に巻き込まれた時、ラスボスの攻撃によって刷り込まれた恐怖の記憶はいつまでも心を苛んでいた。

 遠峯美佐は、彼女の心的トラウマを癒すのに多大な貢献をもたらした勇気の笑顔から視線を逸らし、ふたたび靄がかかった街道の向こうへ目を凝らした。

 本来なら乗合馬車で色々とチュートリアルを受けながらログタウンへ向かうのだが、もう少し歩いて行けば追いついてくる、あるいは出会うのだろうか。


「とりあえずこっち行けばいいんじゃね? ほら『ローグタウンまで300M』って」


 勇気――ログネーム「ユーキ」が、荒れ果てた街道――むき出しの赤土は乾燥してひび割れ、その隙間から乾燥に強い雑草が伸び放題であり、あまり人通りがなく整備するものがいない証拠――の脇に立つ朽ちかけた木製の立て看板を見つけ、かすれた文字を解読した。多言語に対応したサーバーに実装された、見るものが設定した言語に合わせて表示を変更するプログラムが正常に作動している証拠だ。


無法者の町(ローグタウン)?」

  

始まりの町(ログタウン)から仮想世界を百二十キロほど南下した地点。そこにはNOAⅢの世界が統一電脳世界に誕生して一年ほどで、ある犯罪組織の撲滅のためメインのサーバーから接続を切られて孤立した町無法者の町(ローグタウン)がある。本来勇気と美佐がそこにたどり着くことは不可能であり、改訂版のマニュアルをダウンロードした美佐は、データベースにその名がないことを確認して再び首を捻った。


「ん~、読みようによっては『ログタウン』と読めなくも、ない!」


 ローグタウン(そんな町のデータ)はないと主張する美佐を尻目に、看板の文字を眺めて勇気は頷く。たしかに「ロ」と「グ」の間にある「ー」は、インクが横方向にかすれたか、汚れでもついてそう読めるだけ――かなり無理やりだがそう見えなくもない。

 勇気と顔を並べて曖昧に頷いた美佐は、高校卒業後に交際をスタートさせ別々の大学を卒業したあと同棲を始めた彼と共に街道を歩み始めた。




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