新しい母親8
オーブンの中から美味しそうに焼けたクッキーをメイドがテーブルの上に置いた。
「上手に焼けましたよ!」
「はい! すごく美味しそうです!」
目の前に広がるこんがりと焼けたクッキーが整列してオーブンの天板に乗っている。
人生で初めて作ったクッキーに、星は興奮気味に頷くと、思わずクッキーに手を伸ばす。
「ダメです! まだ熱いので少し冷やしてからじゃないと!」
「そ、そうですよね。焦っちゃダメですね」
メイドにそう言われた星は少し残念そうに手を引っ込めた。
しばらく待つとメイドがクッキングシートからクッキーを剥がして器に移してくれる。
メイドが器を星の方へ差し出してにっこりと笑う。
「さあ、お嬢様。食べてみて下さい」
「はい。いただきます」
星はうさぎの形のクッキーを摘んでゆっくりと口に運ぶ。
「おいしい!」
まだほんのり温かいクッキーは外はサクサクで、中は少ししっとりとしていてカリカリに焼いたパンケーキのような感覚に近い。
出来立てのクッキーを食べるのが初めての星はその美味しさに驚き更にもう一つ、もう一つとクッキーを摘んで口に頬張る。
美味しそうにもぐもぐと食べているのを見て、メイドは安心したようにほっと胸を撫で下ろす。
そこに他のメイドが小走りで駆け寄ってくると耳元で告げる。
「あら、奥様の着物のクリーニングを取りに? 分かったわ。今手伝います! ……すみません。お嬢様、私はちょっと外しますが、何かあれば他のメイドを呼んで下さいね!」
「――はい」
そう言って迎えにきたメイドと走って行く彼女を見送ると、星はクッキーを食べるのを止めてクッキーの材料を再び集める。
先程作ったばかりだから1人でも作れるだろう。星は材料をさっきやった通りに材料を入れると、最後に砂糖を多めに入れた。
「紅茶と食べるから、少し甘いくらいが丁度いいよね。いっぱい食べれるようになるべく薄くしてっと……」
全て加えてかき混ぜると、麺棒で出来る限り薄く生地を伸ばして冷蔵庫で生地を寝かせる。
きっちり1時間待って、メイドがやっていたようにあらかじめオーブンを温めて生地を適度に麺棒で伸ばして型で抜くと、クッキングシートの上に乗せてオーブンで焼く。
「ふぅー。後は焼き上がるのを待つだけ……」
星は額の汗を拭うと部屋から持ってきた本を読んでクッキーが焼き上がるのを待った。
オーブンが鳴って星は読んでいた本を置いて手にミトンをはめてオーブンの扉を開けると、予想と違って黒く焦げたクッキーが現れた。
「なんでだろう……さっき作った時とやり方はおんなじなのに……」
冷めるのを待って一つ摘み上げると、焦げたクッキーを少しだけかじってみた。
「……うぅ、炭の味がする」
出来上がったクッキーを一度、器に移して頭を抱える。
作り方はメイドと作った時と殆ど一緒で、オーブンの温度も時間も同じ。変えたのは生地の厚さと砂糖の量だ。
だが、逆を言えばその二つのどちらかを直せば改善するということだ。
「……うーん。紅茶を飲むから砂糖の量は減らせない。厚さを元に戻そう」
星はまた生地から作り直して同じくクッキーを作る。
すると、キツネ色というよりはタヌキくらいの色合いのクッキーが出来上がる。まあ、許容範囲内と出来上がったクッキーを食べてみた。
少し甘い気もするが、これくらいが紅茶と一緒ならいいかもしれない。
星は出来上がったクッキーを器に移してお湯を沸かすと、紅茶の茶葉を入れたティーポットに火傷しないように慎重に注ぐ。
後は2人分のティーカップと一緒にお盆に乗せて運ぶだけだ。さっき作ってまだ温かいクッキーと熱々の紅茶を乗せたお盆を持ってゆっくりと歩き出す。
両手で持ったお盆をそっと運びながら母親の部屋へと向かう。
食堂から母親の部屋までは直線距離にあり迷うことはない。星が母親の部屋の前に着くとノックしようとした手が止まった。
その時の星の頭の中では昨日の夜に食堂で言われた事を思い出していた。
『悪いけど家族だけで食事をしたいの――』
昨晩のその出来事が星の脳裏を過って体を硬直させる。
この扉の一枚先には母親が居る。自分を家族とは認めていない人がいる。もし、煙たがられて今日中に家から追い出される可能性もあるかもしれない。
そう考えると、もうそれしか頭に浮かばなくなってしまう。どうしようか部屋の前で思案していると、部屋のドアが突然開いて扉がお盆を持って立っていた星の方へと勢い良く向かってきた。
「わっ!!」
驚いた星はドアに押し出されるようにしてバランスを崩すと足が絡れて地面に押し倒された。
――ガッシャーン!!
その音に驚いてメイド長が部屋から飛び出してきた。
メイド長は地面に倒れた星の姿を見て驚き大きな声を上げる。
「お嬢様! 大丈夫ですか!!」
星の体にはお盆に乗っていた紅茶が盛大に掛かり、熱湯が掛かった星の表情が苦痛に歪んでいる。
周りにはクッキーと割れたティーカップなどの破片が散らばっていた。
その直後、母親がドアの陰から出てきた母親の目が鋭くなった。
「全く鈍臭い子ね。悪いけど早くその子をお風呂に入れてきてもらえる?」
「……ご、ごめんなさい」
怯えながら震える手で割れたティーカップの破片を拾おうとした星にメイド長が叫んだ。
「お嬢様! 割れた破片はそのままで! 早くお風呂へ! 火傷しているかもしれないですから!」
「……はい。でも、一人で大丈夫です」
星はゆっくり立ち上がると、しょんぼりしながらお風呂場まで歩いて行った。
メイド長が心配そうに歩いて行く星の後ろ姿を見ていると、母親が床に落ちたクッキーを拾い上げてため息を漏らした。
「はぁ……こんな物を作って私に取り入ろうなんて、愛海もこの手でやられたのね。全くまだ子供の癖に油断も隙もありはしないわ」
呆れた様子でそう言った母親に向かってメイド長が星の代わりに弁明する。
「いえ、星様はそんな事を考えるような方ではないです。そのクッキーも何度も作って良くできた物を用意してましたから……奥様の思っているような事はございません」
「――そう。貴女が言うならそうなんでしょう……でも、私は岬のいたこの家を守らないといけないの。だから、あの子をこの家に置くわけにはいかないわ……」
眉をひそめながら小さく呟いた後、持っていたクッキーをかじった。
* * *
服に紅茶が掛かった星はがっくりと肩を落として風呂場に向かって歩いていた。
お風呂場に着いた星は服を脱ぐと、普段は絹のような真っ白な肌が赤く腫れている。浴室に入ると洗い場とは別にある仕切られた立ったまま使えるシャワーの方へと向かう。
お湯が掛かって赤くなった肌を冷たいシャワーで冷やす。冷たい水が肌を伝って流れていく感覚が熱くなった体を急激に冷やしてくれる。
その直後、星の瞳から涙が溢れ出した。
「……なにしてるんだろう私。お母様と仲良くなりたくてクッキーまで作ったのに……完全に嫌われた。これじゃ、本当に家から追い出されちゃうよ……」
頭から冷たいシャワーを浴びながら星は項垂れながら涙を流しながら壁に両手を突いて声を殺しながら泣いた。




