新しい母親5
エミルの声を掻き消すほどの声の後、辺りは静寂に包まれる。
「……貴女、自分がした事が分かっているの?」
「ええ、分かってます」
「いいえ、貴女は何も分かっていない」
「分かっています!」
「いいから聞きなさい!」
叫んだエミルの声を覆い隠すほどの声量で叫んだ母親の鋭い視線がエミルを捉え、それに気圧されるようにエミルは黙った。
「貴女は私に内緒であの子を養子にした。あの人に言われて初めて知ったわ。どうして私に相談しなかったの」
「……相談したら母様は断るでしょ?」
「当たり前です!!」
母親の声に驚き、エミルの体が無意識にビクッと跳ね上がる。
母親は心を落ち着けるように大きく息を吐くと、再び話し出した。
「――私は貴女が寝たきりになった時、生きた心地がしなかったわ。岬の事もあったばかりで貴女まで失ったら私はどうしたらいいのか……」
「……嘘付かないで……母様が気にしてるのは踊りの家元を継がせる者が居なくなる事でしょ! 私や岬の事なんて何とも思ってないくせに! こんな時ばかり母親面しないで!」
「――ッ!!」
その直後、部屋の中にパーン!と乾いた破裂音が響き渡り、エミルは咄嗟に頬を押さえた。
頬を押さえながらエミルは母親の顔を鋭く睨みつけた。
「私達の一族は昔から続く名家。家を存続させるのは私達の責務! それは昔から貴女に教えてきたはず。それなのによりにもよってあんな子を家に入れるなんて論外よ!」
「母様にあの子の何が分かると言うの! 私はゲームの中であの子と一緒に生活していたの! それにあの子がいなければ、私はゲーム内で死んでました。そんな恩人を裏切るような事は出来ないわ!」
エミルの言葉に、母親はため息を混じりに頭を押さえる。
「私もそれは分かってます。貴女を助けたのはあの子かもしれない……でも、一般の人はそう思うと思ってるの?」
「そ、それは……」
「貴女は分かってても、メディアや民衆はそうは思ってないでしょうね。連日の報道であの子の印象は最悪……それを抱え込んでいる私達も世間からのイメージが悪くなる。その危険性を分かった上で、あの子に近すぎる関係は一族として取るべきじゃないわ。でも、私の娘を守ってくれた恩人を無下にするわけにはいかない。だから、二十歳までは責任を持って育てます。ただこの家でではなく私の用意した別の家で、貴女とは別にですけどね」
母親から出た言葉に憤った様子でエミルが母親に詰め寄った。
「あの子がここまでどんな想いで……母様はいつもそう! 突然帰ったきたかと思えば勝手なことばかり! そんなんだから岬も――」
「――岬が死んでからまだ一年経ってない。それなのにも関わらず、貴女は新しい妹を作った……岬の話を持ち出すのなら、貴女の方が道理が通らないわよ愛海!」
「くッ! 私は別に岬の事を蔑ろにしたわけじゃ…………」
母親の鋭く追及するような視線に苦しくなったエミルは思わず数歩後退ると。
「なら、あの子を――星を追い出すと言うのなら私も家を出て行きます!」
「愛海待ちなさい!」
「待ちません!」
母親の静止を振り切るように身を翻したエミル。
そんな娘の様子を見て母親がため息を漏らすと小声で「仕方ない」と呟き指を鳴らした。
直後に扉の外からスーツ姿で体格がプロレスラーのような2人の男性が入ってくる。
「な、何よ貴方達!」
『お嬢様。失礼します』
スーツ姿の男性達はエミルの両側から腕を掴むと、嫌がるエミルを両側から持ち上げた。
「いや! 離しなさいよ!」
「愛海。少し考える時間が必要みたいね……頭が冷えるまで地下の金庫室の牢獄に閉じ込めておきなさい!」
「こんな事されても、私は屈しないんだからああああああああああああッ!!」
母親の命令を聞いてスーツ姿の男性に無理矢理連れて行かれながらエミルは叫んだ。
* * *
時間は遡り――――。
エミルの母親から逃げるように部屋まで走ってきた星はドアを開けて部屋の中に飛び込むと、ドアを背にもたれ掛かって座れ込んだ。
溢れそうになる涙を上を向いて耐えながら何度も深呼吸して気持ちを落ち着ける。
初めて新しく母親になってくれるはずの人に突然予想していなかったことを言われてショックを受けたのは間違いなかった。しかし、それだけじゃない気持ちもあって心がズキズキと痛む。
「……分かってた。きっとこうなるって……分かってたのに……どうして、こんなに苦しいんだろう……」
天井を見上げながらズキズキと痛む胸に手を当てた。
瞼を閉じると自分が母親と住んでいたマンションの部屋を思い出す……。
「……そうか、あの頃とおんなじなんだ……」
頬をゆっくりと伝う涙を拭うと、俯きながら膝を抱え込んだ。
エミルの家に来るまでの間、星は一人で家にいた時間は、まるで世界には自分だけしかいないような感覚に襲われていた。
昼でも部屋のカーテンを閉め切り、夜にこっそりカーテンの隙間から覗いた外の世界は綺麗で輝いて見えるのに、その綺麗な世界は自分にだけは冷たく居場所がない。カーテンを隔てた真っ暗で閉塞的な空間だけが自分の居場所。
そんな現実はまだ小学生の女の子には残酷すぎた――。
突然、一緒に生活していた九條も出て行き学校からも追い出され、自分の映像がニュースに出て変装しなければ外も歩けない。
でも、家の中に居れば静かで何もない時間がゆっくりと進んで行く……家に居る孤独による寂しさと外に出て人から責められる恐怖が交互に気持ちを支配する。その時の記憶が蘇り星の体は小刻みに震える。
「……私は誰からも、誰も私を必要としていない……ずっと……きっとこれからも……」
真っ暗な部屋の中、膝を抱えながら涙が収まるのを待った。
涙が収まり気持ちが落ち着いてきた星はゆっくりと立ち上がると机の上に置かれていた母親の写真を見た。
母親と死んだ父親、そして姉と思われる女の子と写っている写真――自分は写ってないこの写真だけが唯一お母さんが笑っている写真だった。
「……私は、お母さんにとってきっといい子じゃなかったんだよね……だから私は一人になっちゃったんだよね……」
そう小さく呟いた星は寂しそうに目を伏せると、身を翻して窓の閉まっていたカーテンを開ける。
月明かりに一瞬、目を細めながら月を見上げた。
「……綺麗。あの時とおんなじ……」
夜空に浮かぶ月は綺麗に輝き、いつもと変わらずに優しい光りで照らしてくれる。
「――そうだよね。一緒に住んでるだけで家族になれるわけないもんね……本当のお母さんでも家族って自信を持って言えないんだから。血を引いてないお母さんが、私を家族って認めてくれるわけないよね……」
服を着替えてリュックサックに服と九條から貰ったプレゼントと母親の写真立てを詰めると、そっと家を出た。
綺麗に整えられた庭園の間を通る舗装された道を俯き加減に歩きながら星は考えていた。
(私は……どこに行けばいいんだろう……どこに行けば私は幸せになれるんだろう……ここでの生活が私にとって幸せだった……じゃあ私は幸せになれないのに出て行かないといけないの? 私はどうしたいの?)
一歩一歩足を踏み出して進む星の頭には同じ考えだけが押し問答のように頭の中を巡る。
そうこうしている間に星は屋敷の門まできてしまった。
「……ここを出たら私は……でも、ここにはいられない」
黒く立派な鉄の門を見上げながら星が立ち止まっていると、背中から何が大きな布を被せられた。
驚いて背後を振り返るとそこには執事の小林がにっこりと微笑みながらワイシャツ姿で立っていた。
「小林さん」
「――星お嬢様。こんな夜更けにどうしました? まだ夜は冷えます、良ければ私の生活してます離れにいらっしゃいませんか? 眠れないジイの話し合いてになって頂けると助かります」
「……はい」
小さく頷くと小林に掛けられたスーツを掴んで小林に付いて行った。




