新しい母親4
つかさの荷物を送り届けた小林は運転席に乗り込むと車を発車させる。
夕日が差し込む窓から過ぎ去っていく景色を見ていると、隣りに座っていたエミルが話し掛けてきた。
「今日は楽しかった?」
「はい。楽しかったです」
「そう。良かったわ」
エミルはにっこりと微笑むと星も微笑み返した。
家に着くと、玄関からメイド達が出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ。愛海お姉様、星お姉様」
出迎えたメイド達に星とエミルは「ただいま」と言うと、メイド達にカバンを渡した。
星はエミルに買ってもらった本を胸に抱きしめながら家の中に入ると、自分の部屋に一度戻った。
部屋の机の上に大事に抱えていた本を置くと、部屋を出てエミルの部屋へと向かった。部屋の前に着くとドアのノックして声が聞こえると、ドアを開けて部屋の中へと入る。
中には制服のままベッドに座っているエミルの姿があった。
「あら、星なら本を読んでこっちが迎えに行くと思ってたけど今日はどうしたの?」
「いえ、本は読みたいですがまずは買って貰ったお礼を言おうと思って……お姉様。今日は本を買って頂いてありがとうございます」
「そんなのいいのに――星はもう家の子になったんだから、お金の事とか気にしないの! いい? お金の事を気にするのは星が大人になってから。子供のうちは甘える事を覚えなさい」
「はい」
頷く星にエミルは小さくため息をついてベッドから立ち上がると、星の方へと歩いてきた。
「ケーキ食べたからまだお腹空かないでしょ? 先にお風呂に入っちゃいましょうか!」
「はい」
「早く行きましょう!」
星の手を引いて浴室まで向かうと、いつものように大きな脱衣所で服を脱ぎ温泉のような広さのある浴室に入った。
いつものように体を洗う為、鏡の前に置かれた椅子に腰掛けるとエミルが星の体を洗う。星の体を洗うエミルはなんだか楽しそうでくすぐったいのにもこの頃は慣れてきた気がする……。
星の頭を洗い終わったエミルが星の肩に手を置いて。
「はい終わったわよ。先に入ってて、私も洗ってすぐ行くから」
「はい」
エミルに言われた通り、先に湯船にゆっくりと浸かった。
全身を暖かいお湯に包まれ、今日の体育戦の疲労も相まってか少しうとうとしながら天井を見上げながら星は思う。
(このまま寝てしまったら……この事は全部夢で、本当はまだひとりぼっちの家でお母さんが帰って来るのを待ってのかも……でも、今日はもう疲れ……)
目を瞑った直後、星の意識はどんどん薄れていく……。
次に目を覚ました時には星の体は何か柔らかくて温かいものに支えられていた。
「……ん?」
瞼を開けた星の後ろからエミルの声が聞こえてきた。
「疲れてるのは分かるけど、お風呂で寝ちゃダメでしょ?」
「――お姉様……どうして後ろに?」
「星が溺れないように支えて上げてたのよ? 大分疲れていたみたいね」
「……どれくらい寝てましたか?」
「うーん。30分くらいかしら…………ねぇ、明日は学校もお休みでしょ? どこか遊びに行きましょうか!」
「どこに行きたいですか?」
「そうね。遊園地も行ったし、デパートにも行ったし、動物園にでも行く?」
「――動物園は……」
前の学校に通っている時に、遠足で動物園に行った時のことを思い出して星は顔をしかめる。
そんな彼女の様子にエミルも悟ったかのように言った。
「なら、おっきな図書館に行きましょうか!」
「大きな図書館ですか?」
「そう! 最近出来た場所でね、借りた本を郵送で返せるの!」
「でも、お姉様はせっかくのお休みなのに図書館じゃ退屈なんじゃ……」
心配そうな表情でそう呟いた星にエミルはくすっと笑って言葉を返した。
「ううん! そんな事ないわ。星が楽しんでくれるのが私は一番嬉しいから!」
「……お姉様」
「だから、安心していいのよ?」
そう言ったエミルは星の体に手を回してぎゅっと抱きしめた。
星はエミルの肌から伝わる温もりに安心したように瞼を閉じると、自分の体に回されている手に自分の小さな手を重ねて頷いた。
お風呂を上がるといつものようにエミルが星の髪を乾かしてくれる。そんな中、突然慌てた様子でメイドが脱衣所に飛び込んできた。
「お嬢様! 奥様が帰って参りました!!」
それを聞いたエミルが驚いた様子で目を丸くした。
星の髪を乾かしていたエミルの手が微かに震えていた。
「……お姉様?」
「大丈夫。星は何も心配しなくていいわ、全て私が何とかするから……」
「……はい」
そう言った星は小さく頷く。
髪を乾かした星とエミルは、母親の待つ食堂へと向かった。
食堂に着くと、扉の前にはメイドが数人立っておりその中にいたメイド長がエミルの耳元で告げ口する。
「……お姉様。奥様は星お姉様の事で帰って来られたとのことです。奥様の雰囲気からあまり良くない話のご様子。ここはわたくしが誤魔化しますので星お姉様と一緒に寝室にお戻り下さい」
メイド長の提案にエミルは首を横に振ると言葉を返した。
「ありがたい申し出だけど、ここで逃げたら私じゃなくて星の印象が悪くなるわ。母様には私からしっかり説明します! 星は私の後ろに隠れてなさい」
「……いえ、私も新しいお母さんとお話ししてみたいです」
「分かったわ。星にとっても重要なことだものね」
星は期待と緊張で心臓が壊れるくらいに鼓動する。
エミルがドアをノックして「母様。入りますよ」と言って扉を開けた。
扉がゆっくりと開いて中が見え、数十人が座れそうな大きなテーブルに1人で座っているスーツ姿の女性。
綺麗な黒髪に整った顔立ち、きりっとつり上がった目元に眼鏡を掛けた彼女はエミルの母親らしく美人だった。
食事を前に全く手を付ける様子もなく、何か近付き難い雰囲気を醸し出している。
座っていた女性が入り口で立っていたエミルと星を見ると、椅子から立って2人の方に歩いてきた。
目の前まできた女性はちらっと星の方を見たがすぐにエミルを睨みつけるように目を細めながら見つめる。
星はそんな女性に挨拶をするために声を掛けた。
「あ、あの……初めまして、私の名前は星といいます。これからよろしくお願いします。お、お母様……」
頭を下げてそう言った星に、エミルの母親はにっこりと微笑んだ。
その彼女の表情を見た星は安心した様子で微笑み返したのだが……。
「星ちゃんと言ったわね。ごめんなさい、食事は家族だけで食べたいの――貴女の食事は後でメイドに部屋まで運ばせます。部屋に戻っててくれる?」
「……家族だけ……」
まさかの言葉にショックを受けた星はその場から逃げるように廊下を走って行ってしまった。
「星待って!」
走り去ってしまった星を呼び止めたが、星はその声に反応することなく走って行く。
エミルも慌ててその後を追おうとしたが――。
「愛海! 貴女はこちらに来なさい!」
「…………くッ!!」
エミルは母親の方を鋭く睨みつける。
だが、星が走って行ってしまったのも無理はない。あんなことを言われれば誰だってショックを受けるのは当たり前だ。
母親は睨みつけるエミルを他所に元いた場所の席に戻ると再びエミルのことを呼ぶ。
「愛海。こっちに来なさい」
その声を聞いたエミルは母親の側まで歩いて行くと、大きく深呼吸をして冷静になって徐に口を開いた。
「――母様。どうしてあの子にあんな事を言ったんですか?」
「そんな事はどうでもいいでしょ?」
「どうでもって……良くないわよ! あの子は私の――」
「――そんな事より!」
叫んだエミルの言葉を遮るように母親が声を上げた。




