魔王の間
朝になると職のある者はそれぞれの勤め先に出かけて行った。マハトは王城へ、クラウディアは大聖堂へ、エーデルは大聖堂向かいの小さなパン屋へ。ディアマントは自宅警備に精を出すのかと思っていたら、彼は毎日欠かさず内海の様子を見に行っているとのことだった。まだ一般社会に溶け込むところまではいかないようだが、役目を持つのは良いことである。ベルクはうんうん頷いた。
アラインの転移魔法で辺境の塔を訪ねると、番人ラウダが「よく来たな」と出迎えてくれた。魔王城へ赴きたい旨を伝えれば二つ返事で快諾してくれる。続いて同じ転移魔法でハルムロースと戦った湖の側へ移動した。ラウダの飛行も順調で、予定通り今日中に魔王城に到着できそうだ。
「……にしてもお前の肉体は考えものだよな。お前だけだろ、聖獣の姿になってもロクに空飛べねえの」
「やかましいわ!! 神様がじゃあこれなって決めてもうてんからしゃあないやろ!!!」
涙目のバールにつつかれてベルクはうわっと悲鳴を上げる。落ちたらどうすんだと文句を言えば、更にげしげし足蹴にされた。
「あははは。バール、それぐらいにしておこう」
「……ったくホンマにジブンはクチのきき方っちゅーもんがなっとらへんわ! ちょっとはアラインを見習ったらどないや!!」
「あー駄目駄目。こいつは礼儀正しくとか礼節に則ってとか全然だから」
「ノーティッツてめえ……!」
「うふふ、皆さん楽しそうですわ」
飛んでいるのは魔界の空だと言うのにこのまったりとした雰囲気である。
飛行獣の一匹や二匹、どこぞで鉢合わせしそうなものなのだが。
「……本当に静かだね」
「ああ、都での戦いでごっそり減っちまったのかもしれねえな」
「警戒して隠れてるのもいると思う。司令塔がいなくなったわけだからね、多分魔物たちも今ばらばらなんだよ」
戦闘になったら困るので一応武器や防具、神具もきっちり身に着けている。
けれど魔界はどこまで飛んでも静まり返ったままだった。時折眼下に蠢く生き物が映る程度だ。
「見えたぞ、魔王城だ」
ラウダの囁きで流石に緊張感が高まる。
三つの塔を有した黒い城砦がベルクたちを沈黙で出迎えた。
「んー、魔法の気配なんかはないね」
遠目にアラインが分析する。ノーティッツとウェヌスもこくりと頷いた。
まったく魔力を持たないベルクはこういうとき一切役に立てない。だが城そのものの放つ気配がどこか虚ろなのはわかった。誰かの住んでいる気配というのが漂ってこないのだ。
魔王も、その息子も、ゲシュタルトも、ハルムロースも、あそこを根城にしていた魔族は本当に誰も残っていないのだ。改めて実感した。
トラップらしいトラップもなく、ベルクたちはすんなりと最上階へ到着した。上層のバルコニーに取りつけたおかげでものの十分とかからなかったように思う。あまりにも呆気ない魔王城踏破である。
「ここが玉座の間か……」
両開きの扉の奥には何本もの柱、その間に細く急な階段があった。階段の最上段からは真紅の絨毯が垂れていて、王者の君臨を思わせる。
「行ってみようぜ」
「ああ」
ベルクたちは慎重に、一段ずつ階段を上っていった。先頭はベルクが、しんがりはアラインが守る形だ。ノーティッツとウェヌスは間に挟まれていた。
見えないので肉眼で確認はできないが、近づくにつれプレッシャーが増していく。肌を刺す鋭い痛みでそこに何か重大なものがあるとわかった。
(こりゃヤベーな)
確かに放っておくわけにいかない力だ。もし魔王の神具を手にできるような魔物がいたら、また一気に世界の状況は変わってしまうかもしれない。
「……?」
と、そのときベルクは妙な黒い気体が流れているのに気がついた。
玉座の間自体が暗闇の中にあるためわかりにくいが、階段の上部から微かに空気の流れを感じる。
「ちょい待て。なんかおかしいぞ」
幼馴染にそう伝えるとノーティッツはうーんと唸って周囲を見渡した。微弱な色つきの風以外、今のところ特に変わったものはない。アラインが「玉座の方から吹いてきてるのかな?」と言い風魔法を発動させた。天井から様子を窺ってみようというのだ。
「……あれ? 変だな、何も見えない」
だが判明したことはゼロだった。玉座は暗い影の中にあり、光で照らしてもその光さえ飲み込んでしまうようだった。
「うーん、ごめん。近づいてみないとわからないかも」
「成程ね。よーし頑張れベルク! はい、ウェヌスも応援して!」
「わかりましたわ! 勇者ベルク、恐れず突き進むのです!!」
「お前らなああああ!!!!!」
厄介事をこちらに押しつけようとするノーティッツとあっさり乗せられているウェヌスに吼える。
「相変わらず楽しげなパーティやのう」
遠目に囁く神鳥の元へ舞い降りて「ちょっと羨ましいよね」と隣国の勇者が言った。
「アラインんんんんんんん!!!!!」
何が悲しくて魔王の間まで来てボケツッコミの応酬をせねばならないのだ。くそ、と拳に気合いを入れ直しベルクは再度階段を上り始めた。いいだろう、やってやろうではないか。この謎の風の正体、お望み通り暴いてくれる。
黒い気体は次第に濃さを増していくようだった。煙とは違う。アラインは魔法陣なんかはなかったと言った。じゃあ一体これはなんなのだ?魔王の残留思念とかか?
頭脳労働に向かない頭で懸命に考えてみるが答えなど出なかった。やはり実際見てみなければわからないのだろう。だからこそ視察という公務があるわけである。
「……」
しかし本当に変だなとベルクは階段のゴールを睨んだ。もうこれだけ近づいて来たのだし、玉座の背凭れくらい見えてもおかしくないのに。
(なんで何もねえんだ……?)
怪訝に眉をひそめたその瞬間。
「――ッうわ!!!?」
残すはあと数段、というところでベルクは凄まじい引力に身を引き寄せられた。ほとんど引っ張られたと言ってもいい。
踏ん張る暇もなかったし、よしんばそれがあったとしても踏ん張り切れなかっただろう。それくらいベルクを吸い込もうとする力は強かった。
神鳥の剣が階段を滑る。ノーティッツが鞘に腕を伸ばそうとしたのが見えた。――だが。
「来るなッ!!!」
直感的に巻き込まれると断じてベルクは一喝した。幼馴染は身を竦め指を引っ込める。
両足は既に黒い気体の根源に捉えられてしまっていた。膝から下はもう見えない。
「なんなんだこれ……っ!!!」
魔王の玉座があったと思しき場所は小さなブラックホールになっていた。
黒い気体は噴き出すように穴の奥から漏れ出している。
「ベルク!!」
アラインの風魔法は一歩間に合わなかった。井戸の底にでも落ちていくかのよう、ドポンという音の後には暗黒に飲み込まれる。
「ベルク!! ベルク――!!!!」
遠ざかる丸い光の向こうからウェヌスが飛び込んでくるのが見えた。
(あっの馬鹿……! 折角ノーティッツは止めたのに!!)
毒づいたところでもう遅い。必死に伸ばした腕も届かず、意識はやがて闇に墜落した。
久しぶりに頭の中が真っ白になった。
ベルクを飲み込み、次いでウェヌスを飲み込んだ穴はずっと小さくなったものの、まだ貪欲に渦を巻いている。
急いで階段を駆け下りたが、ふたりがどこへ落ちてしまったかはまったくわからなかった。
何故なら玉座があったと思われる階段の下は通路になっていたからだ。ぽっかり開いた空間には何もないし誰もいない。あれが本当にただの穴なら他に落ちようがないのにだ。
「……ど、どないするねんアライン?」
バールの問いにアラインは唇を引き結ぶ。様子を見るかあの穴に突入するか、今すぐには決めかねた。
隣のノーティッツを見やれば彼もまた悩ましい顔をしている。心情としては飛び込んで行きたいのはやまやまだろう。だがそれが最善かどうか判断する材料がないのだ――。
「おい」
真後ろから掛けられた声にアラインは悲鳴を上げかけた。このタイミングだから魔物かと思ったのだ。
だがそこにいたのは黄金の翼を広げたディアマントだった。
「え!? ど、どうしたの!?」
驚いて尋ねると彼はむっつり表情を曇らせる。どうも腹の立つことがあったようだ。
「ちゅーかええトコ来てくれはったわ。ワシら今めっちゃ困ってんねん」
「あ、あの穴。階段の天辺に穴があるのわかる? あそこにベルクとウェヌスが吸い込まれちゃったんだ」
「ディアマント天界人だよな? 何か知らないか?」
ふたりと一羽で彼を囲んでわたわた状況を説明すると、ディアマントは「なんだと?」と眉間の皺を濃くして穴に近づこうとした。
「あかんあかーん!!!! 近づいたら吸い込まれるねんて!!!!」
「ちゃんと人の話をよく聞いて!!!! でないと危ないから!!!!」
「これだから天界人はもう!!!!」
「ええい離れろ鬱陶しい! ちょっと首を伸ばしただけだろうが!!」
怒号を響かせディアマントは上方へ飛び腕を組み直す。
「ふん……、玉座が消滅して時空を捻じ曲げる消失点にでもなったか?」
そんなもっともらしいことを言うのでアラインはノーティッツと一緒になって、降り立った縋りついた。
「あれ、あれ、どうにかできる?」
「ベルクとウェヌスが無事かわかるか?」
こちらはもう必死だった。決してぬるい遠足気分で来たわけではなかったが、戦闘以外のハプニングなど予期していなかったのである。
難解な類の古代魔法だとしたら終わりだ。魔法の種類や効果を調べて対策を練るのに何年かかるかわからない。
「待て。私とて人を飲み込む穴など知らんし見たこともない」
「う、うああああ」
「だ……駄目か……」
「だが奴らなら或いはわかるかもしれん」
ぴく、とアラインの耳が跳ねた。同時に項垂れていたノーティッツの耳も。
「……奴ら?」
尋ね返したアラインたちにディアマントはまたも仏頂面を歪めた。
「貴様らを呼べと頼まれたのだ。くそ、この私を顎で使うとは……!」
どうやら彼は誰かに命じられ魔王城までやって来たらしい。不服そうなその顔にアラインとノーティッツはきょとんと目を見合わせる。
ラウダに乗り込むよう指示されてバルコニーまで戻ると、ディアマントは「ついて来い」と先に飛び立った。ぐんぐんと内海を進んで行く彼は何も語らない。
「どこに行くんだ? 目的地は?」
「驚かせたいから伏せておけと言われている。どうせすぐそこだ、気にするな」
そんなことを言われたらますます気になる。
ノーティッツにも行先は予測できないようだった。
――しばらくすると前方の海に白い靄が見えてきた。
あれ?と目を凝らし何度も確認するが、やはり霧が出ている。一度は完全に晴れたはずなのに。
「最近復活したのだ。あれが気になって私も何度か足を運んでいた」
「……そうだったんだ」
ちょっと遠出の散歩だと思っていてごめんとアラインは内心で深く謝罪する。ノーティッツはこそこそとバールに「ニートじゃなかった」と驚愕を告げていた。
「けど外海は濃霧なんて出てないよね? なんで内海だけ?」
ふん、とディアマントは鼻息を荒げる。行けばわかるとだけ言い放ち、彼は霧の中心へ向かい飛んで行った。
「もしかするともしかするな、これは」
何か勘づいたのかぼそりとラウダが呟く。
霧の中に入るとすぐアラインもハッとした。
(この霧、誰かの魔法でできてる……?)
何故?だって天界は消滅したのでは――。
そう思っていたら目の前に転移の陣が現れた。いつの間にかラウダは海底火山の真上を飛んでいた。
「え、え、えええ!?」
グン、と身体に負荷がかかってワープが始まったのを悟る。
空間移動は一瞬だった。眼下には見覚えのある小島と神殿、薄水色の空が広がった。
「なんでや!? なんでまだ天界があんねん!?」
「それは直接あいつらに聞け」
先行していたディアマントが前よりふた回り以上小さくなった結界の中へと飛び込む。
魂を物質化する特殊な魔法はもう神殿周辺にしかかかっていないようだった。
「あ、ああ!?」
その神殿からこちらを見上げているのは他でもないアンザーツ。傍らには賢者と聖女が控えている。
「い、生きてたんだ!?」
「落ち着けアライン! 生きてはおらん!!」
バールのツッコミにラウダがふっとニヒルな笑みを零した。
先代勇者はさっぱりとした笑顔で佇んでいる。




