踊る勇者
広場の中央に造られた円形舞台では既に若い男女が集って思い思いに身体をくねらせていた。ステージのすぐ下には弦楽器や太鼓を鳴らす旅芸人たちもいる。参加者にはちらほら武道家や魔法使いが混ざっているようで、派手なジャンプが披露され、火花や雷光が明滅するたび観客席からわあっと歓声が上がった。おひねりの箱を覗いてみるに、主催の実入りは良さそうだ。
想定していたより本格的だなとアラインは銀髪の賢者を見上げた。本当に今からあそこに混ざるつもりなのかと訴えるように。
「荷物はうちのリッペ君に預ければいいですよ~」
にっこり微笑まれ腕を取られればもう後には引けなかった。ステージに賢者の足が乗り、次いでアラインも踵を鳴らす。そう言えばまだこの人の名前も聞いていなかった。
「アンザーツの従えた大賢者ヒルンヒルトも元は旅の踊り子だったとか。まあ男性に対して踊り子などと言うと語弊がありますが、彼は神聖な巫女のように舞ったそうですよ」
あなたならご存知でしたかね、と含みのある笑みを向けられる。賢者はアラインの肩を捕らえると紅のマントをふわりと浮かすよう反転させた。踊ってみろということらしい。
悲しいかな見せ物にされることには慣れている。大衆の喜びそうな仕草も心得すぎているほどに心得ていた。マントの端を指先で摘まみ、アラインはわざと顔が隠れるように腕を上げる。まさか夜会のゆったりしたダンスで勝負になるわけもないので、空いている方の指先に小さな炎を三つほど灯した。これなら照明効果もつくし、腕の振りだけでそれなりの形に見えるだろう。日の陰る時間帯ならもっとムードを演出できたのだが。
ステージ上には梯子やロープを渡した台も用意されていた。ダンスを競うというよりは即席のサーカスでも演じさせたいようである。
「これってどういう条件で勝ち負けが決まるんです?」
賢者に問うと、彼は舞台正面に坐すターバンの男を指差し「踊りを気に入ってもらえれば彼から賞品が貰えます」と教えてくれた。
「ちなみにあのアダマス鋼の武器と防具は、この国で得られる装備の中では最強でしょうね」
成程とアラインは頷いた。どうせ恥ずかしい思いをするなら何か褒章が欲しいところだ。こんな度胸試しもたまにならいいだろう。そう思い切り、壇上を駆け抜ける。
跳躍したアラインは勢いのまま梯子を上った。両手は使わず足だけで。重力に引かれ頂上付近で頭が真下を向いたけれど、くるくる回って今度はロープの真ん中に着地する。
おお、と観客の注目が集まった。アラインがまだ顔を隠したままなので「誰だ誰だ!」「顔見せてー!」と狙い通り関心も高まる。後は適当に楽の音に合わせて動き続ければいいだけだ。
片足立ちで後ろ向きに、二本あるロープのもう一方へ跳ぶ。炎を灯した指を十字に大きく切って見せればその残像が人々を魅了した。調子づいてきたアラインは周りのダンサーにもちょっかいを出し始める。ふわりと鼻先に降り立って、腕を掴み、踊る身体を優しく放り投げた。何やってるんだろうなと我に返りそうになる理性を封じつつ、ダイナミックな動きでステージ上からライバルたちを退散させていく。ロープ、梯子、大きな段差、舞台のほとんどを後転跳びだけで移動した。
「いいバネをお持ちです!」
と、涼やかな声が響く。背後を見上げれば賢者がぴったりアラインに寄り添いこちらの動きを模倣していた。軽やかすぎるステップに違和感を抱き視線を下げると、なんと彼の足元だけ地面が凍りついている。氷結は水属性の術の中では上級魔法にあたるはずだ。しかも詠唱も陣もなしに操ろうとすればかなりの魔力を消費する。
「ちなみにこういうこともできます」
とん、とアラインの肩に手をかけ体重を預けると、一瞬の後賢者は空に浮かび上がった。ジャンプしたのではない。本当に浮いていたのだ。そよ風を身にまとって。
「……っ!!」
こんな魔法見たことないぞとアラインは踊るのを忘れた。その隙を待っていたとばかり、賢者の指先が紅のマントに向けられる。微弱な静電気に指を打たれ、アラインは思わずマントを手離した。謎の踊り手が素顔を露わにしたことでステージを囲む人々は殊更盛り上がっている。
銀髪をオレンジ色に染めながら、賢者は駄目押しに両手にふたつの炎を宿らせた。向き合ったアラインは無意識に息を飲む。炎は演出のひとつのはずなのに、あれで焼かれたらやばいかもなどと考えてしまった。
賢者は余裕たっぷりに笑んでいる。背筋が凍りつくほどのプレッシャーだ。彼はそのまま頭上でふたつの炎を融合させ――垂直の火柱を放出し、満足げに腕を下ろした。
「いいもん見せてもらった! 好きな賞品持っていけ、おふたりさん!!」
――結局ダンスと言うより魔法の華で勝利をおさめたのではなかろうか。そんな気はしたが、賢者の力の片鱗を見せてもらえただけで価値あったので黙っておくことにする。
「それでは良い旅を。縁が続けばまたお会いすることもあるでしょう」
ハルムロースと名乗った男は最後まで笑顔を崩さなかった。あんな炎を出現させておきながら、汗ひとつ掻いていなかったようだ。賢者というのはやはり優れた資質の持ち主なのだろう。
仲間になってもらえないかと遠慮しないで聞けば良かったかもしれない。せめてどこに住んでいるのかくらい。
だが不思議と、ハルムロースの言った通り、またどこかで会えるような気がした。
振り向けばまだ遠くに少年を視認できる距離だった。リッペはぶすくれた表情を隠すこともなく「なんであいつ殺さなかったんです?」と主人に突っかかる。勇者と言えば魔族の敵だ。敵は弱いうちに潰しておいた方がいい。便利なこの街と違ってあの子供はいつか有害になると知れているのだから。
「ふふ、どうしてだと思います?」
「……?」
にやついて不意の邂逅に対する喜びを見せるハルムロースにリッペは少なからず困惑した。魔王城の一角に居を構えているくせに、この男は本当に魔王になる気があるのだろうか。わざわざ敵に塩を送るような真似をして。
「……わかりません」
正直に告げるとハルムロースは「私の出自に関する理由からです」と打ち明けた。
「獣だって血の繋がった相手を殺すのは忍びないでしょう?彼と私は同じ屋敷で育った仲ですから」
もっとも少々時代がずれてはおりますが、と付け加え、主人は一度だけ少年の姿を振り返った。
「リッペ君、あなたはしばらく彼を見張っていてください」
「ええ!? 俺がですか!? ハルムロース様はどうするんです? 城に戻るんですか?」
「いいえ、私は兵士の国へ向かいます。色々と面白いことが起こり始めているようですしね」
宿に帰るとなんだかすごいものがマハトを待っていた。ぴかぴかに光るアダマス鋼の盾、同じ素材の輝く小手、すらりと長い刀身の剣。
「あのーアライン様? こりゃ一体……?」
これだけの装備を整えられる金は持ち合わせていなかったはずだ。まさか国王に賜った武具を売り払ったわけではあるまいし、何が起きたのか不思議で仕方ない。マハトがまじまじアラインを見つめると、主人は照れ臭そうに「実はダンス大会に誘われて……」と教えてくれた。
だがまったく意味がわからない。勇者ぶるのが面倒だから別行動を取ることにしたのに、どうして自らそんな目立つことをしたのだ。まさか女か。可愛い女の子に誘われて、ホイホイついて行ってしまったのか。
「街で賢者だっていう人に会ってさ」
「へえ、賢者すか。すごいっすね」
男の人か女の人か教えなさいと言うべきか、マハトは少し悩んだ。買い出しを任せ自由な時間を与えたのは自分なのだから、そこまで干渉すべきではないとも思う。アラインにはまだ幼さの抜けぬところがあって、心配なのは凄まじく心配なのだが。
「まあその人に、色々良くしてもらってね」
「はあ」
色々って何だ。何を良くしてもらったと言うんだ。段々と目が据わってきたのを自覚しながらマハトは努めて冷静に相槌を打った。俯いたまま話すアラインはこちらのピリピリした空気に気がついていないようだ。
「断れなくて……、ちょっとの時間ならって踊ってみたら案外評判良くって……」
「はあ」
「最終的にステージで踊り倒して、いつもの感じで笑顔振り撒いてたら、どんどん見物客が増えちゃって……」
「はあ」
「好きな装備品いくつでも持ってけって主催の人も言ってくれて……、だから、まあ、戦利品?」
「……」
示されたベッドの陰にはまだ山ほどの武器と防具が積まれていた。明日はこれを換金するところから一日が始まりそうである。
それにしても踊りで荒稼ぎしてくるとはアラインには芸能方面の才能があるらしい。国民行事のたびに見かける勇者スマイルもなかなかの名演技だし、役者とか芸人とかそっち路線でも十分食べていけるのではなかろうか。勇者として必要な技能かそれ?という疑念は尽きないが。
「あ、そういえば斧はどうだったんだ? いいの貰えたのか?」
「ああ、貰えました貰えました! 百年前にムスケルが使ってたのを研ぎ直した戦斧だそうで、ほら」
腰に結わえた新しい武器を見せるとアラインは「へえ、これが」と目を輝かせた。少年らしい表情に我知らず頬が緩む。伝説となった勇者アンザーツとその旅に、アラインは子供の頃から憧れているのだ。
「次は目指せ祈りの街っすね!」
「ああ!」
昂揚する少年をマハトは父親じみた気分で見つめる。アラインの両親が亡くなったのはもう十年以上前のことだ。それからはマハトやマハトの父母が彼を守り、育ててきた。
今日マハトが譲り受けたのはムスケルが使っていたという斧だけではない。同じ倉から出てきた古い手紙も何通か――ムスケルが都の仲間に宛てたものを受け取った。お守り代わりにしてくれと笑った叔父の顔を思い出す。
人々の期待を背負ってアラインは戦うことになる。重圧に負けそうになる日もあるかもしれない。アンザーツの旅を支え続けた戦士ムスケルのように、己も最後までこの子を支えよう。