呪詛
王城で起きた大きな爆発にヒッポグリュプスの注意が逸れた。
その僅かな隙を見逃さず、アラインの剣が魔物のくちばしを根元から斬り飛ばす。
「フオオオオオ!!!!!」
痛みに悶えるヒッポグリュプスに息を切らしたアラインが近づき、最後のとどめを刺そうとした。
上空を飛び回りつつバールはハラハラ戦況を見守る。額の汗は乾く間もなかった。
「行ったれアライン! そこや!!」
バールの声援を受け、アラインは薄く笑った。朦朧としているが剣を握る手にはちゃんと力が篭っている。仰向けに倒れたヒッポグリュプスの心臓部に思い切り剣を突き刺し、返り血を拭うこともできぬまま、アラインと魔物は動かなくなった。まさに精根尽き果てたという感じだった。
「アライン! ジブンようやったな~!!」
矢も盾も堪らずバールは勇者候補の少年の元に舞い降りる。
今までも彼が陰ながら努力する様を見て感心させられていたけれど、本当に強くなったと純粋に嬉しかった。
バールは正直今でもアラインが勇者に向いているとは思わない。歴代の勇者たちは自分が勇者に相応しいかどうかなど悩みすらしなかったからだ。みな当たり前に勇者として生まれ、当たり前に勇者として生きていた。
だからこそ、こうして一途に勇者を目指そうとするアラインに並々ならぬ好感を持った。本来は彼のような悩み多き人間が人類のため戦うべきではないのかと。
そのアラインがひとりの力でやってみると言い、見事に聖獣クラスの魔物を倒したのだ。今夜は赤飯を炊いてやらねばなるまい。
「はぁ……、さすがにちょっと……、はぁ、頑張り過ぎたかな……」
怖々とアラインが自分に回復魔法をかける。ヒルンヒルトに脅されたせいで光魔法の使いすぎが怖いのだ。
いざというときはバールが彼を引き摺って逃げるつもりだった。だが幸いクヴァドラート戦のような事態にもならず、アラインはしっかり持ち堪えた。これでまた一歩前進したわけだ。
「さあ、今度こそマハトを探そう」
******
光に守られベルクが地下まで降りてくるとノーティッツが壊れていた。
国民や魔導師たちに平伏されつつ、危ない薬でもキメているかのようケタケタ笑っている。
「やばい、超やばい、マジで超絶やばいんですけど」
「……おい? 口調変わってんぞ?」
「うははは、まだまだ死ぬほど魔力ある。うはははは。ベルク、敵ってどれくらい街に残ってる? ちょっと一緒に繰り出そうぜ」
ランチにでも誘うようなノリで残党狩りに誘ってくる幼馴染が流石に少し心配になり、ベルクは「大丈夫か?」と尋ねる。宴の席でもこんなハイになっているのは見たことがない。
「ていうか王城吹き飛ばしたのお前なの? 余所の城壊しといてゲラゲラ笑ってんのどうかと思うぜ?」
「だいじょーぶだいじょーぶ。なんかね、辺境の都ってこういうときのために地下に街を造ってあるんだって。すごいよね。万全だよね。びっくりだよね。だから表は完膚なきまでに破壊してもいいって陛下が仰ってた!」
「いや、完膚なきまでにとは……」
「おい! 陛下ああ言ってんぞ!! おい! ノーティッツ!!」
しっかりしろと頭を叩くと多少は正気に戻ったらしい。
「あっ、ベルク!! 無事だったか!!」
などととんでもなくテンポのずれたことを言い出すのでベルクは頭を抱えた。
「裏門の方にまだデカいのが一匹残ってんだよ。あれを倒せば多分終わりだと思う。あ、全部済んだらまた戻ってくるんで、陛下たちはそれまで篭っといてください!」
行くぞと言ってノーティッツの腕を掴み、ベルクは地上へ駆け出した。ウェヌスまでノーティッツに引き気味の視線を送っている。
おいおい、この女に引かれたら終わりだぞ。わかってんのか?
クラウディアたちと合流し、ディアマントの元に戻ったエーデルは結界の消えた王城を目指そうとして足を止めた。凄まじい魔力の大放出があったからだ。
呆然としていると、しばらくして門からベルクたちが飛び出してきた。
「あ!!」
「あっ!!!」
お互いに指を差し無事を確かめ合う。
「やっぱ着いてたんだな! 魔物とも戦ってくれてたのか?」
「ええ、中には手強いのもいたけど……」
「あと一匹、あっちに残ってる。誰か戦ってるみたいだが手こずってんだ。加勢に行こうぜ!」
ベルクの走る方向へエーデルたちも続いた。クラウディアはにこにこと、ディアマントはムスっとして普段通りだが、オーバストは少し元気がないようだ。石化の傷が治りきっていないせいだろうか。
「敵ってどんな魔物なの?」
「紅い竜だよ! なんか頭がいっぱいあるやつ!」
ベルクの返答にエーデルは内心ほっとする。どうやら自分そっくりのあの男ではないらしい。
(一体何者だったのかしら?)
我が父ファルシュと言っていた。ファルシュとはアンザーツの戦った魔王の名ではなかったか。
(……魔物の血……)
瀕死の母は父が誰かまでは教えてくれなかった。
嘘よねと右手を強く握り締める。考えるのが怖い。
(でももしあたしが魔王の娘だったら……)
クラウディアはそれでも友達だと言ってくれるのだろうか。
彼は勇者の仲間なのに。
アラインがヒュドラの元に到着したのはベルクたちがやって来たのとほぼ同じタイミングだった。
八つ頭の火を吹く巨竜がヒルンヒルトとアンザーツに襲いかかっている。見覚えのある紅いマントはやはりイックスのものだった。彼は容易くアラインの目を奪い、鮮やかな剣技を見せつける。
だがヒュドラには再生能力が備わっていて、攻撃しても攻撃しても倒せないのはそのせいらしかった。
戦場にはまだ人がいた。薄緑の髪を腰まで伸ばした黒衣の女。そして彼女の足元で結界に包まれ蹲っている男。
「マハト!!!」
アラインは戦士の名を叫んだが、それは少しも彼の耳に届いていないようだった。マハトは苦しげに額や胸を掻き毟り、何度も首を振っている。やがてその仕草は小さなものに変わっていき、ぐったりと動かなくなった。
女に何かされたのだ。直感が告げる。
マハトを助け出そうとしてアラインは女に近づいた。
「危ない!!!」
そこへアンザーツの魔法が飛んでくる。女の出した何千本もの針のような氷は強い風に吹き飛ばされ、アラインに触れることはなかった。
「ゲシュタルト! 彼には関係ないだろう!?」
「……あらそうかしら?」
ゲシュタルトと呼ばれた女は邪悪な笑みを唇に乗せた。
途端アラインは試練の森でゲシュテーエンに聞かされた話を思い出す。魔道に堕ちた聖女の話を。
「私の復讐に関係のない人間などいないわ。だって誰もが勇者を求め、私を追い詰めたんだもの」
憎悪の渦巻く紅い瞳は人間のものではなかった。ゲシュタルトが魔物になったというのは嘘ではなかったのだ。
「よそ見をしている場合? アンザーツ」
女が笑い、指を差す。ヒュドラの牙がアンザーツに襲いかかり、ヒルンヒルトが風でそれを切り裂いた。だがまたすぐにその牙も復活してしまう。
「どこかに核があるはずだ。ヒュドラを殺すには全体を一気に消し飛ばすか、核を消滅させるしかない」
ふたりではどうともならないから手伝ってくれと賢者が言った。魔法陣を描こうとした痕跡があちこちに見受けられたが、すべてゲシュタルトに潰されたようだった。
ヒュドラは次々燃え盛る火炎を吹きつけてくる。ヒルンヒルトは同じ炎で勢いを相殺し、連続では操りにくい水魔法を悠々発動させ氷の礫を浴びせかけた。彼らでなければここまで持ち堪えられなかったろう。
「行こう、ベルク!」
「おうよ!」
アラインはベルクとともに駆け出した。
八つの頭にそれぞれアライン、ベルク、アンザーツ、ヒルンヒルト、エーデル、ディアマント、オーバスト、クラウディアが対峙する。ノーティッツは見張り塔の大魔法石の元まで駆けて行き、塔の麓に魔法陣を拵えた。そしていつの間にそんな技術を習得したのかは不明だが、魔法石に蓄積されていた魔力を使い、ヒュドラの腹めがけ凄まじい光線を放った。
「――!!!」
これには全員度肝を抜かれた。さっきの王城の爆発とまではいかないが、それに近い威力がある。
ヒュドラの腹にはぽっかり穴が開いた。塞がるまでにかなり時間のかかりそうな穴が。
「頭を潰す! 同時にだ!!」
アンザーツの声に合わせて一斉に攻撃を繰り出す。剣に斬り落とされた頭もあれば、魔法で切り裂かれた頭もあった。
それで最後だった。
――ぱちぱちと小さな拍手が送られる。音の主を見やればゲシュタルトが薄ら笑いを浮かべていた。
もはや孤立無援となった彼女はマハトの身体を宙に浮かべ、自らも撤退の準備を始める。最初から自身が戦うつもりはなかったらしい。
「イデアールは帰ったようだし、私も欲しいものは手に入ったし、今日はこれくらいにしてあげるわ」
「マハト!! おい、起きろ!! マハト!!!」
アラインは従者に呼びかけゲシュタルトにも飛びかかる。だが寸でのところでかわされた。
どこからか召喚した蝙蝠の背に乗ると、彼女はふわり大空に舞い上がる。
アンザーツとヒルンヒルトが古い仲間をじっと見ていた。そんなふたりにゲシュタルトは忌々しげに吐き捨てた。
「ねえアンザーツ、私ずっと苦しかったわ。……何度も同じ死線を潜り抜けてきたのにあなた何も教えてくれなかった。仲間だなんて言っておきながら、私たちずっとばらばらだったわね」
憎しみに歪んだ瞳は遠い過去だけを睨んでいる。もう変えようのない昔を。
アラインは彼女を見てぞっとした。
勇者のために尽くした女が勇者を憎み、殺そうとしている。まるきり正反対に態度を変えて。
そんなことが起こり得るのかと怖かった。アンザーツはきっと彼女を信頼していたに違いないのに。
「知っていた? ムスケルも私と同じように苦しんだのよ。生まれ変わっても置き去りにされる恐怖に怯えるくらい……」
ねえ、とゲシュタルトは続ける。
「私がどんな思いであなたを待っていたかわかる?」
沈黙するアンザーツに嘲りの笑みを向け、ゲシュタルトは杖に真っ赤な焔を宿した。剣を捨てた勇者を庇うようヒルンヒルトが立ち塞がる。だがそれが彼女の怒りを買い、焔はいっそう大きく激しくなった。
「死にたくても死ねなかった。私はあなたの仲間で、命を癒す僧侶だったから。産みたくもない子供だって産まなくちゃいけなかった。堕胎や自害なんて僧侶にあるまじき行為だった。――あの国は狂ってるわ。あなたがもう戻らないとわかったとき、国王が私に何をしたかわかる? たとえ名ばかりでも勇者の血筋を残すため、私を、私を……!!!」
杖を離れた火炎は真っ直ぐアンザーツに向かった。アンザーツはヒルンヒルトをどかそうとしたが、賢者がそれを許さなかった。
炎は英雄を焼くことなく空中で掻き消える。彼女の思いはアンザーツまで届かない。
ゲシュタルトは震える声で呟いた。
「それでもあなたの言葉を信じて待っていたのに」
堕ちた聖女の笑い声が響く。
その狂った瞳が不意にアラインに向けられて、「可哀想な子」と憐れむ声が滑り落ちた。
どくんと心臓が飛び上がる。聞いてはいけない言葉を聞いてしまう気がした。
名ばかりでも勇者の血筋を残すため。
だってさっきゲシュタルトはそう言ったのだ。
「祀り上げられてこんなところまで来てしまったの?」
耳を塞ごうとして間に合わなかった。
世界はただ真っ黒に塗り潰されていく。
「勇者の血なんか引いてないのにね」




