到着、辺境の都
魔王城の大広間、配下を集めた紅髪の男が「辺境の都への侵攻準備が整った」と告げる。
その瞬間、あちこちで歓声にも似た雄叫びが上がり、黒竜の姿に転じた司令塔に続き高い空へと飛び立っていった。
それにしてもおびただしい数の軍勢である。リッペはごくりと唾を飲む。窓から見上げた赤い空の一面は魔物の翼で真っ黒に染まっていた。あれが一斉に人間の街を襲うと思うと血沸き肉躍る。とは言え自分がイデアールの傘下に入るわけにもいかないが。
はあ、とリッペは嘆息した。ハルムロースの雑用係になって以来、くだらない命令を聞くばかりでずっと暴れ足りない。あの男が機を窺って確実に相手のとどめを刺すタイプなのは見ていればわかるが、魔物とは本能的に人間を殺したくて仕方がない生き物なのである。あんな多勢で攻め入るのなら己も参戦したかった。嬲り殺しの楽しさを味わうチャンスだったのに。
が、許しを乞うべき相手は未だ魔王城に戻る気配なしだ。元気でいるならいいのだが、こう音信不通が続くと心配になってくる。ハルムロースの安否ではなく、主にあの男に化けている己の身の安全が。
「あなた次のご主人様を探した方がいいんじゃない?」
と、背後で響いた女の声にリッペは冷や汗を垂らしつつ振り返る。魔王の玉座を狙う魔族のひとり、ゲシュタルトだ。
この女は先日魔力をほとんど空にして戻ってきた。たまたまイデアールが不在だったため何事もなく済んだようだが、一体何があったのか不思議である。そこまでの戦いをしなければならない相手がこの女にいるとは思えなかった。
「いやあ、そのお」
「ハルムロースならイデアールなんかよりよっぽど厄介なのに引っ掛かったみたいよ」
何か知っている風にゲシュタルトは話す。その口調にはどこか怨念めいたものが滲んでいた。
黒いドレスを翻し、彼女はそのままリッペの脇を通り過ぎる。そうして蝙蝠を呼びつけて、イデアールたちの去った方角――辺境の都へ向けて消えていった。
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魔の国に近いぶん魔物が多いと聞いていたのだが、辺境の旅路は至ってのどかなものだった。荒野には強い風が吹いているものの、見通しは良く野宿にも適している。たまに現れる魔物も地中に根を張る植物タイプのものばかりで、そう苦戦はしなかった。
「……なんか変だよねえ」
「ああ、なんか変だ」
ノーティッツとベルクが話しているのをマハトは一歩下がったところで見守る。ふたりもこの遭遇戦の少なさに違和感を持っているらしい。
「魔物がいた気配はある。けど今はたまたま留守にしてるって感じだな」
「うん、あんまり油断しない方が良さそうだ」
「まああ……! ベルクもノーティッツも頼もしくなりましたわね! 流石ですわ!!」
キラキラした瞳で仲間を見つめるウェヌスだけが圧倒的に浮いていた。緊迫という文字は彼女の辞書にないのだろうか。
「このふたりに任せておけば旅は安全かつ快適なのです! ご安心なさってくださいね、マハトさん!!」
「あ、はあ……どうも」
パーティにいつもと違う人間が混ざっているからか、ウェヌスのテンションは山のように高かった。さながら参観日で張り切る新任教師のようである。ほら、うちの生徒はこんなによくできるんですよ、ほらほらというオーラが迸っていて、マハトは彼女の扱いに手を焼いた。女神は本当にベルクたちが大好きらしい。
「しっかしこう戦ってねえと腕がなまるな。久々にルール無用の実戦勝負でもするか?」
「おっ、いいねいいね。最近お前とそういうのしてなかったもんな」
腰かけていた岩から立ち上がり、若者ふたりは砂を払った。何が始まるんだろうかと眺めているとウェヌスの「始め!」という合図とともに突然ノーティッツが焚き火の燃えかすを蹴り上げる。灰が舞い上がり、堪らずベルクが咽た瞬間ノーティッツは煙幕の中に身を隠した。
「えっ、なんだ? これ訓練なのか?」
マハトの問いにウェヌスがこくりと頷いた。「剣のみではベルクが圧倒的に優勢ですので、目潰しと急所攻撃以外は何でもありというデスマッチ方式なんだそうですわ!」などと明るく解説してくれる。
それにしてもあの少年には驚きだ。実戦勝負と言われてから煙幕を張るまで一度も焚き火を見なかった。視線が動いていればあの蹴りは予測できたかもしれないが、なかなか末恐ろしい。
「甘いぜノーティッツ!!」
ブワ、とベルクが剣圧で風を起こした。砂煙が一気に吹き飛び、身を屈めていたノーティッツの姿が露わになる。
これは側にいると危ないなと判断するとマハトはウェヌスの手を引き少し離れた岩影まで退避した。
「わはは! 腕が落ちたんじゃないか? 居所が丸わかりだ!!」
「なんの!!!」
飛びかかってきたベルクの顔面にノーティッツが隠し持っていた砂を浴びせる。「うお!」と叫んだもののベルクは怯まず、そのまま剣を振り下ろした。しかし一瞬目を閉じてしまったため攻撃は外れ、空しく土を抉る。
ノーティッツは間合いを取るべくベルクから離れた。だが腰に結わえた連射機能付きボウガンですぐさま攻撃に転じてくる。ベルクは剣の平たい面を前方に向けるとすべての矢を弾き返した。けれどひとつだけ呪符の巻かれた矢があったらしく、ボウッという燃焼音とともに彼の手元で火柱が上がる。
「あっつ!!!」
火傷したじゃねえかと怒声を響かせベルクはグローブが燃えているのもお構いなしにノーティッツに突進する。途中左右へのジャンプを織り交ぜ揺さぶりをかけるのも忘れていなかった。
「おま! 手ェ燃えてんだからちょっとは躊躇しろよ!!」
悪態をつきつつノーティッツは二枚目の呪符を取り出す。今度は風魔法らしい。攻撃に使うのかと思ったら、彼は自分に魔法をまとわせフワリとベルクの後方に飛んだ。
「あっくそ!! 逃げ方が卑怯なんだよ!!!」
振り返ったベルクが慌ててきょろきょろ周囲を見渡すがノーティッツの姿は見つけられない。マハトも彼を見失い、「あれ? どこだ?」とあちこちに目をやった。
「そこか!!!」
ベルクの声でノーティッツが先程剣に抉られた地面に隠れていたのがわかる。そこに隠れるという発想も機転が利いているが、人ひとり身を隠せる穴を開けてしまう攻撃力にも感嘆する。
「ちょろちょろしやがって、てめえ! もう逃げられねえぞ!」
「おいおい、足元に気をつけろよ」
涼やかな声の後、ベルクがすっ転ぶのが見えた。使用済みの護符が進路方向に薄ら土を被され置かれていたようで、思い切り足を滑らせたらしい。指をさし笑うノーティッツにベルクの投げた神鳥の剣がクリーンヒットした。
流儀も仁義もない戦闘訓練はその後十五分ほど続いた。アラインがこういう色に染まる前にパーティが別れて良かった。口には出さずそう安堵する。
別に彼らを否定したいわけではない。これはこれで十分アリだと思う。ただ勇者の戦い方ではない。間違いなくない。
(こっちのパーティは仲良いなあ)
楽しげながら本格的なバトルを繰り広げるふたりと、白熱した様子で彼らに声援を送る女神。歳が近いからだろうかと考えて、いや違うなとかぶりを振る。
イックスに対しても、ハルムロースに対しても、クラウディアに対しても、自分はずっと警戒を解けないでいた。多分それが原因だ。年齢は関係ない。
辺境の都には十日足らずで到着した。都付近で壊滅状態の農村群を目の当たりにしたときは流石にベルクたちも口数を減らした。国土全域が魔物の襲撃に遭うというのは凄まじい災禍であったろう。それでも都は堅牢な五角形の城壁を堂々聳えさせていた。




