ガールミーツ賢者
兵士の国では都に次いで大きな街、通称「大鉱山の街」――ノーティッツたちは今、大山脈の麓にて数週間の停泊を続けている。目的はただひとつ、女神ウェヌスを人間の生活に慣れさせることである。
盗賊の砦での騒動は彼女を大いに反省させたようだった。天人としての力を封じ、ただひとりの仲間としてついて来るなら構わないと言ったベルクにウェヌスはしおらしく同意し、今のところ素直に従っている。
「それでは今日も奉仕活動に参加してまいりますわ!」
にこにこと嬉しそうに、修道女に伴われた彼女が教会へ歩いて行くのを見送って、ノーティッツはハア……と嘆息した。
街娘の衣装に身を包んでいても女神の放つ輝きは鮮烈だ。とても普通の女の子には見えない。教会関係者には「とある深窓のご令嬢」と説明したけれど、きっと納得はしていないだろう。
「……真っ当な旅ができるようになればいいけどねえ」
「ま、ある程度のこたぁ気にしたら負けだな」
心の底からそう思っているに違いない楽観的な王子様は「それよか剣の稽古つけようぜ」とノーティッツを貸し道場に誘ってくる。懐が広いのは結構だが、細かいことで苦労するのはいつもこちらだと気がついているのだろうか。
「街で鍛えるのもいいけどさ、そろそろ路銀も尽きかけてるし、ちょっと働く気ないか?」
「ん? お前今だって宿屋で雑用手伝ってんじゃん」
「あれは安く泊めてくれてるお礼だよ。お前だって薪割りの報酬なんか貰ってないだろ?」
親切な宿の主人は若いノーティッツたちが魔界を目指す旅の途上であると知ると大いに感激し、以来スタミナ料理を振る舞ってくれたり筋トレに付き合ってくれたり「父親か!」と突っ込みたくなる朗らかさで接してくれている。都で酒場を盛り立てる母も「ちょっとベルクと魔王討伐に行ってきていい?」と尋ねたら、ほぼ二つ返事で了承してくれたので多分そういう国民性なのだろう。男子たるもの戦いの中で切磋琢磨せよ、という。
「まあそうだな。ってことはあれか、小遣い欲しいっつうんじゃなくて、もっと本格的に稼ぐ気か」
「ああ。小耳に挟んだんだけど、ここも最近この辺でも魔物の被害がエスカレートしてきてるみたいだ。で、ついに町長がお触れを出したんだって。魔物一匹につき百ゲルト!って」
「……なんかすっげえ微妙な額だな」
うん、とノーティッツは頷いた。それもそのはず、大鉱山近辺に現れる魔物は太刀打ちできぬほど強いというわけでなく、基本的にはタチの悪いのが群れているだけなのだ。一匹一匹を見れば大したことはない。だから一匹につき百ゲルトというのは適正価格と思われる。けれど命を賭けるならそんなものはした金だし、魔物退治を専門とする人間ならもっと大物を狙うはずだ。
「だからこそぼくらにはいい儲け話なんだけどな。実戦訓練のついでに小金をせしめられるわけだから」
「まぁお前がいい話だってんならいい話なんだろ。んじゃ早速行くか!」
開けっ広げな信頼に一抹のやりにくさを覚えつつ、ノーティッツはぽりぽり頬を掻いた。この間ウェヌスの前で一演説打ってからベルクの態度が変わった気がするのはきっと勘違いではないだろう。あの場はああいう収め方が最良であったと言えど、やはり少々気恥ずかしい。嘘を並べたわけではないから余計に。
「手続きってどこでやんの?ぶっ倒した魔物の目玉とか耳とか持ってきゃ金に換えてくれんのかな?」
「ああ、そうそうそんな感じ」
最初に面倒な申請をしなくても、ベルクの取得した勇者免許さえあれば魔物の撃退数に応じて報酬が与えられる。国内に限られた話ではあるが、トローン四世はなかなか画期的な制度を打ち出したのではなかろうか。たとえ本物の勇者になることはできずとも、勇者もどきがうじゃうじゃ送り出されれば都以外の街でも自動で戦力が補強される。
「お前一日の目標何ゲルト?」
うきうきした表情で幼馴染はノーティッツに問いかけた。これから危険な野外へ赴こうと言うのにどこまでも無邪気な男だ。ベルクの美点はこの明るさとエネルギーにあると思う。一国の王子が普通、魔物退治で小銭稼ぎなんて喜ぶだろうか。肉体労働が好きなのか、それとも何も考えていないのか、おそらく正解は後者だ。
「ぼくは目標千ゲルトかな」
そう答えるとベルクは大いに対抗心を燃やして「んじゃ俺は千五百ゲルトだ!」と叫んだ。どうせなのでこの機会にウェヌスの装備もちゃんとしたものを揃えてあげなければ。修行僧用の白いローブなんて、彼女に似合うんじゃなかろうか。
なんという愚か者がいたものだろう。大きな力が収束するのを感知し様子を見に来てみれば、こんなところに聖女――否、大聖女がうろついているではないか。それも何故かは知らないが、力を封じ、普通の人間のふりをしている。白鳥が雀の真似をするようなものだ。いくら隠そうとしたところでその特異性を隠しおおせるわけがないのに。
「さて、どうしましょうかねえ」
ハルムロースは眼鏡をクイと持ち上げて思案した。勇者アラインと出くわしたのは先日のこと。あのときは親戚のよしみと勇者への興味で見逃してやった。こちらの女はどうだろう?一体どこの何者なのか、そもそも人間の女なのか、まずはそこからはっきりさせねばなるまい。
「ふむ、となればひとまず観察ですかね」
そう結論付けるとハルムロースは旅人を装い雑踏に紛れた。半人半魔の己にはこの程度のこと造作もない。今まで自分を魔物と疑った人間はひとりとしていなかった。さて、彼女は気がつくだろうか?
聖なる女は教会の前に立ち、祈りに訪れた人々に花や飴を配っているようだった。優しげな微笑に街の人々はひとかたならず癒されているらしく、彼女の周囲だけ人垣ができている。ハルムロースは何気ない素振りで行列に並んだ。女にはマリーゴールド、男にはマーガレットを渡すと決まっているようだ。すぐにハルムロースの順が来て、聖女から白い花を受け取った。
「……あら?この街の方でしょうか?」
何か感じるところがあったのか、彼女はこちらの顔をまじまじ覗き込んできた。うろたえることもなくニコリと笑んで首を振る。
「いいえ、さすらいの旅をしております。美しい花に誘われて、つい並んでしまいました」
「まあ、旅を? 私と同じですわね。旅の方、宿をお探しならそこの坂を下った銀柳亭がとっても親切ですわ」
「ほほう、これは良いことを伺いました。ありがとうございます」
なんだかぽやっとした女だ。俗世に降りてまだ間がないのかもしれない。それならそれで誰か供でもいそうなものだが。
教会付きの女でないのは格好で知れた。聖女はシスターの衣装すら着ていない。街娘のような身なりだが、内側からは強い魔力が感じられた。――神の加護と言い替えていいほどの。
「ウェヌスさん、そろそろお昼休憩にしてくださいな。交代しましょう」
「ええ、わかりましたわ。ありがとうございます」
都合の良いことにこれから彼女は少しばかり体が空くらしい。ハルムロースは当然のごとく食事の同伴を申し出た。
「これも旅のご縁と言うことで、昼食をご一緒させていただいても?」
「まあ、喜んで」
無警戒な聖女はあっさりハルムロースについて来た。逆にここまで警戒されないと「本当はもう気取られているのでないか?」と逆に疑わしい。
「私はお野菜のサンドイッチが好きですの。スライスされた豊潤なトマトは地上の赤い宝石ですわ……」
うっとりと語る彼女を冷静に観察し直し「まあ、その可能性は低そうだな」と考えを改める。
聖女は自らをウェヌスと名乗った。勇者の旅に連れ添う徳の高い僧侶であると。
「勇者ですか? それはもしや隣国の、アンザーツの子孫だという?」
「いいえ、私の勇者はベルクと申す若者です。強い意志を持った、逞しい殿方ですわ!」
ハルムロースはぴくりと耳を動かした。兵士の国でにわか勇者が増産されているのは承知している。紛いものに対し今までは露ほどの関心もなかったが、こんな女を連れているとなれば話は別だ。
「そんな方なら私も是非お会いしたいものです」
「ええ、ええ! ベルクは本当に素晴らしい人間なのですわ!! それに、ノーティッツも補佐役として申し分のない魔法使いですし!!」
ウェヌスは相当そのベルクというのがお気に入りらしかった。口を挟む暇も与えず褒めちぎり、彼がいかに仲間から信頼されているか、いかに他人を思って行動しているか、仔細微細に入り教えてくれる。
「まるで恋でもしてらっしゃるようですねえ」
あまりの熱の入りようにそんな下世話な感想が漏れた。無論カマをかける気ではいたのだが。お伽話ならよくあることだ、聖なる乙女と人間の男の禁じられたラブロマンスなど。
「まあ、恋だなんて。ハルムロースさんは面白いことを仰いますのね!」
「……」
くすっと一笑に付され、何故かわからないが地味に苛立った。己より明らかに知的レベルの低い女に小馬鹿にされた感があったからかもしれない。
(典型的な箱入りお嬢さん、といったところですねえ)
良くも悪くも純粋で愚鈍な娘なのだろう。聖女である自分が、たとえ勇者とは言え男に懸想するなど有り得ないと思い込んでいるに違いない。そんな境界線は所詮幻でしかないのに。
「……お腹もいっぱいになりましたわね。そろそろ失礼いたしますわ」
「ええ、お付き合いありがとうございました」
「もし銀柳亭にお泊りなら、きっとベルクとノーティッツを紹介いたしますわ。ではハルムロースさん、ごきげんよう!」
引っ攫うべきか否か、少し迷ってハルムロースは彼女に手を振った。光に満ちたあの笑顔、向けられているのがどんな男か見定めてからでも遅くはあるまい。
(大聖女の血と力……! ああ、使い道を考えただけでゾクゾクします)
一体今までどこの神殿に隠されてきたのだろう?彼女の血肉は他の人間とどう違うのだろう?そこにいるだけで輝きを放つ、特異な生命体。知りたいと強く願う。知りたい、もっともっと知りたいと。
ハルムロースを魔の道へと進ませたのは、強すぎる知的欲求だ。解き明かしたい謎のすべてを暴くには、人に許された時間では到底足りるはずがなかったから。
獰猛なまでの好奇心。それがハルムロースの飼う悪魔の名前だった。




