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「勇者への道 三日月大陸冒険譚」  作者: けっき
第三話 旅は道連れ
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過去との遭遇

 誰か関係者がいないかと神殿の周りをうろついていると、井戸辺で水を汲む修道服の女を見つけた。

「すみません、神殿へ入りたいんですが」

 そう声をかけたアラインに女は驚いて立ち上がり、こちらをまじまじ見つめ返してくる。

「まあ、森を抜けてこられたのですか? ご案内いたします、どうぞこちらへ」

 女の態度は丁寧だった。彼女の話によれば、ここ数年森の外からやってきた人間はいないそうだ。

「魔物の動きが活発になり、幻視の森もその魔力を強めているようです。あそこを越えてこれるなんて、旅の方、清い心をお持ちなのですね」

 他者からの率直な賛美にアラインは思わず頬を赤らめた。照れ隠しに目を逸らすとマハトがにやにやしているのが見えたので脛を蹴り飛ばしておく。

「お名前とご来訪の目的をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「ああ、ええと……」

 アラインは自分が勇者の子孫であること、旅に同行してくれる僧侶を紹介してほしいことを伝えた。女は「まあ、アンザーツ様の?」と目を輝かせるとコクコク頷き、すぐ大僧正に報告すると言ってくれる。

 客室らしい簡素な部屋に通されたアラインたちは、神殿の者が呼びにくるまでのんびり待つことにした。とは言えすることもないので、さっきから気になっていたことを口にしてみる。

「……ところでお前も幻惑にかかってたのか?」

 ぎくりとマハトの肩が強張ったのを見て、アラインは「お?」と目を光らせた。珍しい。年上だからといつも余裕ぶっているところがあるのに、言い難い類の幻でも見たのだろうか。

「どんなのだったんだ?」

「……どんなって、幻は幻ですよ」

 言葉を濁すマハトにますます好奇心をつつかれる。

「僕に何か起きる幻か?」

「い、いや、まあー」

「話せよ。主人の命令だぞ」

「従者にもプライバシーってもんがあります!」

 どうあっても話そうとしないマハトと軽い言い合いになり始めたときだった。コンコンと木製の扉がノックされた。

「……どうぞ」

 服装を正し、真っ直ぐ背筋を伸ばして僧侶たちを迎える。若者も年配者も含め、ざっと五人。その誰もが厳粛な雰囲気を醸し出していた。

「勇者アライン様、大僧正の元へお連れいたします」

「本来こちらから足を運ぶのが筋とは思いますが……大僧正は身体がお悪いため、申し訳ございませぬ」

 深々と頭を下げられマハトは委縮してしまったようだ。勇者の旅なのだからこの程度当たり前のことなのに。伝説をよく知る者ほどアンザーツの血に敬意を忘れない。

「……本当にゲシュタルトのお姉さんなんでしょうかね?」

「会ってみればわかるさ」

 渡り廊下でこっそり尋ねてきたマハトにアラインはそう返事した。どのみち五分と待たず知れることだ。

「こちらへ」

 神殿の奥深く、陽の光さえろくに届かぬ影の間に大僧正は鎮座していた。水分の枯れ切った細い腕は剥がれた皮と皺だらけで、丸みのある大きな白い帽子の下にもやはり同じように干乾びた顔がある。人の寿命の限度を超えているのでないか。真面目に訝った。それくらい、老婆は人間よりミイラに近かった。

 棒切れにしか見えない腕がちょいと動き、僧侶たちは皆黙って退出する。人払いされた広間はしいんと静まり返った。

 ごくりと息を飲み込んでアラインは大僧正の言葉を待った。大衆向けに造られた都の大聖堂とは一線を画す雰囲気だ。寒いくらいの冷気がちくちく肌を刺す。

「わたくしはゲシュテーエンと申します」

 掠れた声が細い喉から搾り出された。大僧正の細められた目が闇の中でちかりと光る。

「勇者殿、貴方様にはお詫びをしなければなりません」

「……何故です?」

 不審なものを感じてアラインはやや警戒心を強めた。老婆の言葉はどこか突き放すように聞こえた。

「わたくしにここの僧侶を差し出すつもりが毛頭ないからでございます」

「……それはどうして?」

 大僧正は伏せかけていた瞼を僅かに開いた。アラインとマハトを交互に見つめ、懐かしいものを思うような遠い眼差しを宙に向ける。だが双眸は間もなく悲しみの色に染まった。

「わたくしと僧侶ゲシュタルトは双子の姉妹にございました。神殿を訪れたアンザーツ様に妹が懸想し、聖女としての務めを放棄したのが彼女の旅の始まりです」

 今更聞かされるまでもない伝説の一端を大僧正は己に纏わる過去として語る。この人はアンザーツ本人に会ったことがあるのだと思うと変な気分だった。それならそんな話より、自分は彼に似ているか、勇者として同じだけの資質があるか、そういったことの方が聞きたくて堪らない。

「魔王を滅ぼし、アンザーツ様の御子を産んだ後、ゲシュタルトは一度だけこの神殿に戻ってまいりました」

 けれどアラインに語られたのは、予測もしなかった物語のその後であった。

「あの子の全身が憎悪に満ちていました。何もかもを破壊してやりたいという悪意に染まっておりました」

「――」

 たちまち思考が停止する。自分の中にある僧侶ゲシュタルト像と、憎悪や悪意という言葉がまったく結びつかなかったからだ。

 ゲシュタルトと言えば、癒しの術を使い、時には自ら深手を負って勇者を支え続けた聖女である。それなのに大僧正は何を言っているのだ?

「あの子の身に何があったのか、ついにわたくしにはわかりませんでした。少なくとも凱旋の折にはあんなに晴れやかな笑顔を見せていたのに……。アンザーツ様に引き続き、あの子がまでがいなくなってしまったとき、当時の王は『天上へ召し抱えられたのだ』と仰せでしたが、あのような魔物の眼をした娘が天へ昇れるはずがございません。昇れるはずがないのです……」

 そこまで話し終えると大僧正は長い溜息を吐いた。記憶が心を苛むのに耐えるように、反り返った背を細い背凭れに預ける。

「……ゲシュタルトはきっとまだ地上を彷徨っております。わたくしは恐れているのです。貴方様に差し出した僧侶があの子と同じ運命を辿りはしないかと」

 お引き取り下さいませ、と老婆は結んだ。その後は頑として語らず、三人目の仲間をというアラインの願いは聞き届けてもらえなかった。大僧正は石像のようであった。

 狐につままれたような思いで影の間を出る。当惑し切ってアラインはマハトと目を見合わせた。状況がよくわからない。ふたりで顔をしかめるしかなかった。

 ――魔王を倒し勇者の都に戻った後、アンザーツは祝宴の真っ最中に姿を消している。彼の功績を認めた天上のトルム神に召し上げられたのだ。そしておよそ一年後、勇者の血を引く娘を残しゲシュタルトも天へと昇った。それは誰もが知っているふたりの後日談だった。

 客室に戻る途中すれ違った僧侶に聞くと「大僧正がそのようなことを?」と酷く驚いていた。常々「この神殿からは誰も外へ遣らない」と言っていたそうだが、ゲシュタルトの話は初耳だそうだ。

「……ってことは、あれは僕らを黙らせるための詭弁だったんだよ! 人を出すのが惜しいなら、正直にそう言えばいいのに!」

 憤慨し、アラインは不服を吐き零す。だが対する戦士の反応は意外に冷静だった。

「そうですかねえ?全部が嘘ならもうちっとマシな嘘をつくと思いますが」

「じゃあお前はゲシュタルトが悪女だったって言いたいのか?」

 憧れのアンザーツと仲間であっただけでなく、アラインにとってゲシュタルトは大切なご先祖様だ。少なからず庇いたい気持ちがあった。実の姉にあんな悪し様に言われて、憐憫の情こそ湧けどマハトと同調する気にはなれない。

「そこまでは言わねえすけどね。伝説ってのは不味い部分が脚色されるもんですから」

「言ってるじゃないか!」

 怒りの冷めないアラインをマハトは「まあまあ」と宥め賺す。

 ここにいたらいつまでも胸のむかつきが鎮まりそうにない。幸い出るには困らない森だ。アラインは早々に退出を願い出て街へ引き返すことにした。戦士が何やら考え込んでいたのには気がつかないままだった。







『今回は南東の街や村を探したが、やっぱりアンザーツは見つからない。あいつはどこへ行ったんだ? 王様の言うように、本当に天界へ呼ばれたのか? そうだとしても仲間の俺たちにひとこともないっていうのは何故なんだろう?』


 祈りの街の宿に戻るとマハトはこっそり戦士ムスケルの手紙を開いた。お守り代わりに叔父が預けてくれたものだし、故人とは言え他人が他人に書いた文だし、傷むのも嫌なので今日まで中身は読まないことにしていたのだが。

 百年前、「めでたしめでたし」の後に書かれた手紙。忽然と都から姿を消した勇者を探し歩くムスケル。荒れた文字から彼の動揺が伝わってくるようである。マハトは更に別の手紙を掴んだ。


『驚いた。都ではもうほとんどの人がアンザーツは天に召し抱えられたって思ってんだな。俺はまだ納得いかねえよ。だってあいつは地上が好きだと言ってたんだ。この地に生きる人々が好きだし、自分もずっと側に寄り添っていたいって。……天界で神様と暮らしてる? そんなわけあるかよ。ヒルンヒルトだってそう言うに決まってる』


『こんな時に都を発ってすまなかった。けど俺はどうしてもアンザーツを見つけてぶん殴ってやりたい。ゲシュタルトをこのまま放っておく気かよ? お腹だって大きくなって、ずっとあいつの帰りを待ち続けてるのに。ヒルンヒルトも全然戻ってくる気配がねえし、せめて俺ぐらいはゲシュタルトについててやりたいけど。でも俺なんかより、ゲシュタルトはアンザーツに戻ってきてほしいよな。アンザーツ、あいつ本当にどこ行ったんだ? 天から見てるなら降りて来いよ。……すまん。なるべく早めに帰る』


 ここまでがアンザーツだけを探して旅している期間。ゲシュタルトがまだ勇者の娘を産んでいないから、魔王討伐から一年以内だと思われる。

 既にして内容が穏やかでない。ムスケルはアンザーツの昇天を露ほども信じていないのだ。伝説には尾ひれはひれが付き物だが、大僧正の言と相俟ってますますこの手紙が不穏なものに思えてくる。

 そして極めつけがこれだった。


『正直どうなってるのか全然わかんねえ。王様はまた神様からお告げがあって、ゲシュタルトも天界へ昇ったとか言ってるし、ヒルンヒルトはもう勇者探しを切り上げるって言い出した。……いなくなったのはこれでふたりだ。俺の知らない間にまた何かが起きたんだ。ゲシュタルトはどうかしちまった。なんでこんなことになっちまったんだろう?』


 これは大賢者ヒルンヒルトが王都へ帰還した直後のもの。この頃にはゲシュタルトも赤ん坊を産み落としていた。

 どうかしちまったというのはどういうことなのか。それこそ大僧正の話した通り、憎悪と悪意に支配されていたのではないか――。


『今まで迷惑かけてすまなかった。あちこち探し歩いたが、手がかりも何も見つからない。……俺ももう疲れたよ。アンザーツとゲシュタルトの娘はヒルンヒルトがちゃんと面倒見てくれてるんだってな。俺もそっちを手伝おうと思う。この何年か本当に必死でアンザーツを探したけど、痛感したよ、あいつはどこにもいないんだって。でも、勇者ってそういうもんかもしれねえ。だって魔王を倒したんだ。それってすげえ特別なことだ。もしかしたら本当に神様が連れてっちまったのかもしれない。色んなところで色んな人から、ありがとうありがとうって感謝されたよ。俺でもそれが居心地悪くなるくらいだったんだ。あいつはもっとだったかもしれない。……ヒルンヒルトがあいつのいないこと認めたんなら、俺だってそうしなくちゃな。ゲシュタルトにはそれが難しかったんだろうなあ。相談くらいしてくれたら良かったのに。……四人で旅してたあの頃には、もう戻れないんだな』


 残された手紙からわかるのは、勇者のパーティメンバーだった三人が当初アンザーツの失踪を「天界へ昇った」とは考えていなかったということだ。ゲシュタルトは勇者の帰りを待っていたし、ムスケルとヒルンヒルトはそれぞれ別に勇者の捜索を続けていた。

 やがてゲシュタルトの懐妊が発覚し、ムスケルは一時帰還するが、ヒルンヒルトとは連絡が取れていない。つまり賢者は僧侶が身重だと知らないまま帰還した可能性がある。ならば賢者が旅立つ以前にいなくなった勇者はどうだ?やはり彼女が身籠ったことを知らなかったのではなかろうか?そして賢者の帰還と同時期のゲシュタルトの豹変――。

(ヒルンヒルトの持ち帰った情報が、ゲシュタルトを憎しみに走らせた?)

 だとするともしかして。

 思考を纏めようとして、マハトは自分が随分センセーショナルな想像をしているのに気がついた。だが同時に、確かにそれは伝説として残せないなと納得する。

(まさかアンザーツは余所に女を作って暮らしていた?)

 ムスケルはついに彼を見つけられなかったから、発見したのはおそらくヒルンヒルトの方だろう。そしてとてもじゃないが事実を大っぴらにはできないと判断した。だが賢者は国王とゲシュタルトにだけは真実を告げたのだ。王はアンザーツの天界召喚説をますます前面に押し出したろうし、絶望したゲシュタルトが国を去ったのも頷ける。

 真実は誰にも明かすことが許されなかった。なぜなら勇者はあまりに特別な存在だったから。汚れなき真の英雄で在り続けねばならなかったから。

(……とすると、もしかして勇者の家系ってふたつあるのか?)

 辿り着いた結論にマハトはうわっと胸を押さえる。そう言えば国王はやたらアラインの心配をしていた。大丈夫だろうか、くれぐれも彼を頼むぞと。もしやシャインバール二十三世は彼以外にも勇者の称号を持つに相応しい男がいると知っていて、それであんなに不安そうだったのか?

(……いいや! アライン様以外に勇者になれる奴なんかいない!)

 マハトはぶんぶん頭を振った。子供の頃から彼がどれだけ努力し己を鍛えてきたか、自分が一番よく知っている。こんな手紙を持ち出してどうのこうのと考えてしまったことが情けなかった。


 ――でももし彼が本当の勇者になったら、あなたきっと置いて行かれるわ。


 ぴく、と便箋を掴む指が震える。試練の森で見た幻、長い緑の髪をした女に囁かれた言葉が耳の奥でこだました。清らかな、魔性と呼ぶにはあまりに清らかな。

(俺が見たのはゲシュタルトだったんだろうか……)

 もう気にするのはやめよう。思って頭から振り払う。

 大事なのはアンザーツの真実ではなく、今のアラインとの旅なのだから。







 翌日になってもアラインの怒りは消えなかった。仲間を増やす当てが外れたことも大きいが、何より尊敬してやまぬアンザーツの伝説に手垢をつけられたことに腹が立っていた。

「とにかく、ここで回復要員を見つける予定だったのが駄目になったんだ。この際神殿の僧侶でなくてもいいから腕に覚えのある人を見つけて、さっさと盾の塔を探しに行くぞ!」

「荒れてますねえアライン様」

 呆れた様子のマハトは無視してアラインはスタスタ表通りを歩く。魔導師ギルドか、さもなくば傭兵の登録所に足を延ばして雇用契約に踏み切るつもりだった。本当は魔王城までついて行きますと言ってくれる献身的な仲間が欲しかったが、贅沢を望んでいる場合ではない。長期採用が不可能なら短期採用でも結構だ。

 これから向かう盾の塔には魔物だけでなく神具を守る番人がいる。番人と戦って勝利しなければ勇者の盾は手に入らない。三人目の仲間は必須だった。

 それに塔の探索が終われば今度は兵士の国を目指すことになる。神の力の恩恵を受ける勇者の国と異なり、隣国では人里を離れてすぐのところにも魔物が出現すると聞く。盗賊団が跋扈しているとの噂もあるし、やはりふたりでは心許ない。

「おいマハト、もし傭兵を雇うことになったら報酬は――」

 いくらまでにする?と尋ねようとして振り向くも、彼はこちらを見ていなかった。戦士の影に隠れてひとり、青年らしい剣士の姿が覗いている。黒髪黒目、背は高くも低くもない。アラインのものと似た紅いマントを羽織っている。

 青年はマハトの腕を掴んだまま「あ、ごめん。知り合いにそっくりだったから驚いて……」と突然の非礼を詫びた。丸い目には不思議な落ち着きがあり、さっきまでアラインの胸に渦巻いていた怒りもふっとどこかへ消え失せてしまう。

 剣士の肩には見事な青銀の羽根を持つ尾長鳥がとまっていた。腰には剣を差しており、靴も旅人用のそれである。どう見ても街の人間ではなさそうだ。

「ところでぼくの聞き間違いじゃなければ、さっき盾の塔の話をしてなかった?」

 青年はにっこり微笑みアラインを見つめた。決して害意のある笑顔ではなかったのに、何故かアラインは気後れしてしまう。否、怯んだと言った方が適切か。

 剣士のまとう空気は独特だった。達人とでも言えばいいのか、柔らかな物腰の奥深くに研ぎ澄まされた鋭さが見え隠れする。腹を焼かれるような威圧感にアラインは息を飲んだ。今までこんな人間とは出会ったことがない。

「もし良ければ、ぼくを連れて行ってくれないかな? ちょうど護衛の口を探してたんだ」

 アラインはマハトに目配せした。「どうする?」と目で問いかけて返答を待つ。しかしマハトはこちらにすべて一任すると言うように真面目な顔で頷くだけだった。

「えっと、お代は?」

「一日二食と五百ゲルト、別れるタイミングで一括払いかな」

「腕前は?」

「何が見たい? 剣? 魔法?」

「……じゃあ回復魔法を」

 アラインがリクエストすると青年は嫌味のない笑顔で了承した。そして、その一瞬後。

 ぶわ、と強い風が剣士の元に吸い寄せられた。何が起きたかわからないままアラインは目を瞠る。

 信じ難い光景がそこにあった。剣士は小さく圧縮した風で己の腕を切り刻んでいた。だがどこにも血は飛び散っていない。右手で風を操りながら左手で癒しの術を使っている。普通属性違いの魔法を同時に発動させることはできないのに。先日知り合ったハルムロースも類稀なる才の持ち主だったが、こちらも頭抜けている。

「こんなものでいい?」

 剣士が癒しの魔法を止めてもアラインは暫し口をきけなかった。圧倒され過ぎて、自分の実力からかけ離れ過ぎていて。

「ぼくの名前はイックス。……どうかな、お気に召してもらえたかな?」

 それがアラインとイックスの初めての出会いだった。

 差し出された手におずおず右手を返しながら、アラインは奇妙な心地を味わっていた。

 目の前の男は己の力量に酔うでもなく、いたずらに謙遜するでもなく、ただ悠然とそこに佇んでいる。静かな意志を感じ取れる眼差しも、穏やかな威容も、すべてアラインの理想とする勇者そのものであった。

 唐突に具現化された憧れに戸惑いを打ち消しきれなかったのは確かである。だがそれよりも仲間を得たい気持ちが勝った。勇者としても、パーティとしても、もっと強くなりたいという気持ちが。

「僕はアライン。しばらくの間、よろしく」

 アラインはできるだけ愛想良く、勇者らしく、イックスと短い握手を交わした。――後に己のすべてを否定することになる男と。




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