魔女と弟子
わたしの師匠は魔女だ。
わたしは魔女の弟子だ。
だから、そう。
目の前で跪いてわたしの右手を取っている殿下を見下ろした。
「ああレイディ嬢、本日も貴方の可憐な姿に僕の心は今にもはちきれそうさ!」
「左様でございますか」
いっそのこと殿下の心臓がはちきれてくだされば、わたしのこの時間は空くのに。
「艶やかな黒髪、可憐な声を囀る唇。本日も貴方に会えた幸運を僕は女神に感謝したい」
「左様でございますか」
「良かったら、その麗しい口から紡がれる声をもっと、貴方に魅入られたこの哀れな恋の下僕に聞かせてくれないだろうか……?」
ノンブレスとは侮れない。
けれど、それは普通の人にはお願いというよりも脅迫だと思います殿下。
いつも煌びやかな青い瞳は普段以上に潤み、頬を紅潮させながら殿下は歯の浮く台詞を並べる。
今は頭の軽い人には見えるが、殿下自身は悪い人ではないとは思う。良い人とは言い切れないけれど。
わたしは、殿下が手に取っていた自身の右手をすっと離した。
そして、一礼する。
「申し訳ございません、殿下。師匠の用事がありますのでこれにて失礼いたします」
「……ああ、魔女殿にも宜しく言っておいてくれ」
「かしこまりました」
殿下が立ってから、わたしは身を翻した。
わたしの師匠は魔女だ。
生きとし生ける者の中でも最強で最悪の破壊兵器である魔女は、一国に阿る事をよしとしない。
魔女は国王の臣下ではない、国の民でもない。どの国にも魔女は属さない。
今はこのアルガシェード国の国王に請われ、師匠が気まぐれに承諾したから王宮に滞在しているだけだ。
わたしはその師匠のお付であり、弟子である。
よって、わたしは王族よりも師匠を優先させたところで問題はない……はず。
……師匠は問題があったとしても、笑ってすませるのだろうけれど。あの人はそういった事にまったく頓着しない人だから。
殿下といた通路を通り、主塔へと進む。
ここには火は灯されていないので、光源は小さな窓枠から差し込める光のみとなる。必然と薄暗い空間の中、長い階段を駆け上がっていくと、急に強い光が差していた。
光の中へと飛び込めば、そこには見渡す限りの空が見えた。
青い空が見える中、こちらに背を向けて佇んでいる人から声が聞こえた。
銀の髪がキラキラと太陽の光を反射して綺麗だった。
「なんだ、来たのか」
「わたしを呼んだのは師匠です」
「そうだったか?」
すっとぼけているのがわたしの師匠である。
師匠は《連理の魔女》と呼ばれる、世界でも4人しかいないとされる凶悪な存在の1人である。
「なあ、あそこを見てみろよ」
「はい」
師匠の性格はお世辞にいっても、よろしくはない。人格破綻者と呼ばれる人かもしれない。
わたしがここで拒否をすれば、後で素晴らしい仕置きが待っている事だろう。拒否という選択肢は存在しない。
なのでごめんなさい、師匠の近くで身動きが出来ないで怯えている騎士さんたち。わたしには師匠を諫めたりここから遠ざける事は出来ません。
師匠が指差した場所を見る。
けれどよく分からなかった。
「すみません師匠、どこですか?」
「なんだよ、見えないのお前」
「……すみません」
具体的な距離を言われたけれど、肉眼で見える距離ではなかった。
それは見える師匠の方が異常だとは思ったが口をつぐんだ。わたしもまだ命は惜しい。
「あそこには前、ルートワーズって国があったんだ」
「……はい。でも師匠、隣の国はまだ残っていますよ。勝手に消したら駄目です」
「そうだったか?」
三年前、突如としてこの国の隣国であるルートワーズ王国の王都が消えた。
原因も犯人も今だに不明らしい。
王都にはほとんどの王族はいたので彼等も消えてしまい、それからは自称王族から権力者等が王座を争い内乱中、さらにアルガシェードも含めた他国も乱入してきて国の機能など果たしていないという。
ロクでもない国だ。
「あそこって前にオレが消したんだよな」
「知っています」
ひょんな事から一国の王都を消した犯人を知ってしまった騎士さんたちは、隅で怯えてお互いにしがみ付いていた。
わたしは師匠の横顔を見つめる。
整っている顔なのに、師匠を整った顔だという人は少ない。内側からにじみ出る悪意に怖気づいてだろうか。
それにしても他に会った魔女も人間とは思えないくらいに整った顔立ちの人だったけれど、魔女は見た目美人ではないとなれないのだろうか。わたしは格段美人ではないので困った。
「あそこさ、異世界から人間連れてきてたんだよ」
「……知っています」
知っている。よく知っている。もしかしたら、師匠よりもその現場をわたしは知っているかもしれない。
思い出せば吐き気がするくらい、鮮やかな記憶が脳裏に蘇る。
記憶を振り切るように首を左右に振っていると、師匠が話しを続けだした。
「何人も連れてきてたんだよな。なんか気に喰わなくて、呼び出してる最中に召喚陣弄くって人間から別物呼び出すようにした」
「何を呼び出すようにしたのですか?」
「テツの塊。そしたらピカーって光って王都ごと消失したんだっけ」
鉄の塊。それを別世界から呼んで爆発したという事は、多分それは別のものだった。
「師匠、多分それは爆弾と呼ばれるのものではないでしょうか?」
「あー……なんか異世界から呼び出されたって奴も同じ事言ってたな。そいつがろぼっととかいうテツの動く塊の事話すから期待してたってのに、別のだったのかよ」
「……ロボット、ですか」
これはまたずいぶんと違う物を選んできたのですね、師匠。
男の人は世界が違っても、ロボットとかそういったものに魅力を感じるのだろうか。
師匠は《連理の魔女》と呼ばれているから女性と間違えられる事が多いけれど、歴とした男性だ。
見た目も女性には間違えられない。
何故魔女なのかは分からないけれど、師匠は魔女と呼ばれている。
師匠がそれでいいのならば、わたしもそれでいい。
わたしのすべての基準は師匠だから。
「師匠」
「なんだ」
わたしは体ごと師匠へと向き直る。
こちらを向いた師匠の顔はかなりダルそうだった。
「――ありがとうございました」
師匠へと深々とお辞儀をする。
「ルートワーズの王都を、国王とそれに連なる者を消してくださりありがとうございました」
「実際にオレは切っ掛けを作っただけで、消えたのはアイツ等の自業自得だ。それにオマエの為じゃねえよ」
「はい。……師匠はご存知なのかもしれませんが、わたしはそのルートワーズから呼び出された異世界の人間です」
今も覚えている。
当時のわたしはランドセルを背負って、黄色い帽子を被って、学校から家に帰る最中だった。
横断歩道を渡る最中に呼び出された。
――他国を侵攻する為の兵器として。
最初は混乱した。当然だった。
冷たい石畳に、冷たい目で見てくるたくさんの大人たち。
行き成りわけも分からない場所に連れて来られて、しかも他国と戦争するために戦えと急に言われて。……わけが分からなくて、とにかく怖くて、泣き叫んで母親を呼んだ。
おかあさん、助けて、どこにいるの、と。
そうしたら、その場にいた一番偉そうな人に失敗だと言われて、捨てられた。
捨てただけだったのは、殺したら死体の処分が面倒だったのかもしれない。それとも、まだ年端もいかない罪もない子供を殺すのは流石に気が引けたのか。
けれど当時のわたしにはよく分からないままだった。気が付けば放り出されたところで、泣いて門番に縋ったけれど一蹴された。
そこで途方に暮れていたわたしを助けてくれたのは、同じく異世界から呼び出された人たちだった。
その人が助けてくれなかったら、今のわたしはいなかった。生きる術を教えてくれた、親のようなきょうだいのような友達のような、大切な恩人たちで、大事な人たちだった。……もう、誰もいないけれど。
恨みは消えなかった。わたしを呼び出した時にいた人以外のルートワーズの人は皆親切だったけれど、優しかったけれど、それでも、恐怖も、恨みも、憎しみも、怒りも消せなかった。
わたしをお父さんとお母さんとお兄ちゃんのところに帰して、家に帰して。
当時泣き叫んでいた気持ちは忘れていない。どれだけ月日が巡っても、これだけは忘れられない。
「師匠が王都を潰さなければ、わたし達が反乱を起こして潰していました」
師匠に出会った時は失敗してしまいましたけれど、と苦笑する。
ルートワーズが理不尽な事を繰り返す限り、わたし達と同じ境遇の人は増えていく一方。わたし達と同じ思いをする人も増えていくだけ。
成功と呼ばれて国の為だけに兵器として人を殺し続けさせられる人も。失敗と呼ばれて捨てられる人も。どちらもいた。どちらも苦しんだ。
だから何度潰されようと、わたし達は何度も集まり繰り返した。いつか、奴等を殺す為に。
王都にいる関係のない人まで惨殺された事を喜ぶなんて、最低だと思う。
許されないだろう。死んだ後、地獄に落とされるのかもしれない。
それでも喜ぶ。
同じ世界から来て、同じ境遇にあった人たちの悲願を、今はいない人たちの分まで喜ぶのが残されたわたしに出来る事だから。
顔を上げれば、わたしの話を聞いていた師匠は、あまり興味のなさそうな声で言った。
「……ふうん。じゃあルートワーズの残りも消すか? まあついでにアルガシェードも潰れて後、二、三国一緒に消えるかもしれんが」
ぎょっとした気配が騎士さんたちからした。
わたしは首を振る。
「いいえ。消したくなったら自分で消します」
わたしは魔女の弟子だ。
一国や二国を消す程度の力程度ならば既に学んでいた。
故郷で培ったはずの倫理観は、わたしの中では揺らがなかった。とうになくなっているのかもしれない。
「そう」
「はい」
興味を失ったのだろう師匠が空を見上げて。
わたしも師匠につられて空を見上げた。
「師匠」
「なんだ」
「わたしは、どこまでも師匠に着いていきます」
「……そうか」
「はい」
嘘ではないですよ、師匠。
師匠はわたしの恩人で、師ですから。
貴方が指し示す場所が、わたしの未来です。
お付き合いくださり、ありがとうございました。