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王太子がメロすぎて国が滅ぶので、風呂キャンさせていました

作者: 月白ふゆ
掲載日:2026/07/21

「オルテンシア・ベルノー公爵令嬢。今夜限りで、君との婚約を破棄する」


 卒業記念舞踏会の中央で、王太子エメリックは高らかに宣言した。


 今夜の舞踏会は王立学院の威信を示すため、諸外国の宮廷へ水晶鏡で中継されている。


 その晴れ舞台で、エメリックの隣に寄り添っていたのは、婚約者ではなく聖女フィアナだった。


「君は婚約者という立場を利用し、私の生活を不当に制限した。なかでも到底看過できないのは――」


 エメリックは一度、言葉を切った。


「三日間、私に入浴を許さなかったことだ」


 広間がざわめいた。


 三日。


 令嬢たちは眉をひそめ、夫人たちは扇の陰で囁き合う。


 フィアナは胸元で両手を組んだ。


「殿下はずっと耐えていらしたのです。浴場へ向かおうとするたび、オルテンシア様の侍女たちに止められて……お身体を拭くための布しか与えられなかったそうです」


「なんと非道な」


「入浴まで管理するとは」


「嫉妬深いにも程がある」


 冷たい視線を浴びながら、オルテンシアは黙って王太子を見つめた。


 何かがおかしい。


 今夜のエメリックは、普段よりも顔色がよかった。


 頬がわずかに火照り、寸分の乱れもないはずの金髪が、額へ数筋落ちている。首元のクラバットも緩い。

 そこから覗く肌には、うっすらと水気が残っていた。


 オルテンシアのこめかみを、冷たい汗が伝った。


「殿下」


「今さら謝罪しても遅い」


「本日、湯浴みをなさいましたの?」


 エメリックは勝ち誇ったように笑った。


「ああ。フィアナが浴場を用意してくれた」


 広間の奥で、国王が杯を落とした。


「誰が王族浴場の封鎖を解いた!」


 フィアナの肩が跳ねる。


「わ、わたくしです。殿下があまりにもお気の毒で……」


「何をした!」


 国王の怒声が響いた。


 だが、エメリックは父王の狼狽を、婚約破棄を邪魔されたくないためだと受け取ったらしい。


「父上も、オルテンシアに言いくるめられていたのですね」


 そう言って、外套の留め具へ手をかける。


 オルテンシアは反射的に叫んだ。


「お待ちください!」


 遅かった。

 外套が肩から滑り落ちる。


 湯上がりの身体から、石鹸と香油の匂いが立ち上った。きちんと着込んでいるはずなのに、襟元から覗く喉だけが妙に無防備だった。


 エメリックは濡れた前髪を指でかき上げ、青い瞳を細める。


「もう、君の命令には従わない」


 広間の令嬢が三人倒れた。


 近衛騎士の一人が剣を捨て、その場に膝をつく。


「殿下……お慕いしております」


 老宰相は震える手で予算書を取り出した。


「来年度予算を……すべて殿下の衣装費へ……」


「おやめください、宰相閣下!」


 今度は国王が王座から降り、王冠を外した。


「エメリック。今日からお前が王だ」


「陛下まで何をおっしゃっていますの!」


 会場は、もはや断罪どころではなかった。

 男も女も、老いも若きも、王太子を見つめて息を呑んでいる。


 フィアナだけは、自分が選ばれたのだと信じていたらしい。

 聖女の加護を持つ自分だけは、どんな魅了にも惑わされないと信じていたのだ。

 誇らしげにエメリックの腕へ触れようとする。


 その直前、エメリックが跪いた騎士へ微笑みかけた。


「立て。君は私を守る騎士だろう」


 騎士が泣いた。


 フィアナの笑顔が固まる。


「そんな……」


「どうした、フィアナ」


 エメリックが心配そうに顔を覗き込む。


 濡れた金髪。

 火照った頬。

 優しく細められた青い瞳。


 フィアナの膝が崩れた。


「メロすぎて……滅……」


 その瞬間、王宮全体が激しく揺れた。


 窓の外を覆っていた青白い防衛結界が、音もなく消えていく。


 宮廷魔術師長が、恍惚とした顔で杖を掲げていた。


「殿下を閉じ込める結界など、存在してはならない」


 オルテンシアは両手で顔を覆った。


「だから今夜だけは、風呂をキャンセルしてくださいと申し上げましたのに……」


「風呂を、きゃんせる?」


「湯浴みの中止です!」


 オルテンシアは声を張り上げた。


「王家の男子は、入浴直後に魅了の加護が暴走します。清潔になればなるほど美貌と色気が増し、周囲の理性を破壊するのです!」


 広間の壁には、歴代国王の肖像画が並んでいる。

 そのうち半数は、なぜか薄汚れた格好で描かれていた。


 魅了から立ち直りかけた国王が、王冠を抱えたまま叫ぶ。


「ゆえに舞踏会、議会、外交行事の前日は、王族浴場を封鎖する決まりだ!」


「なぜ私には知らされていない!」


「本人に知らせれば、必ず試したがるからだ!」


 国王の言葉に、エメリックが黙った。

 少なくとも、試さないとは言えなかったらしい。


 浴場の鍵を預かり、重要行事の前には入浴日をずらす。

 身体は温布で清め、髪は香粉で整える。


 それは嫉妬でも虐待でもない。


 国家防衛だった。


 そこへ、伝令が転がり込んできた。


「申し上げます! 北方帝国軍が、王都へ向けて進軍を開始!」


「侵略か!」


「いいえ! 水晶鏡で殿下をご覧になった皇帝、皇太子、将軍、騎士団長が、それぞれ婚姻を要求しております!」


 続いて二人目の伝令が飛び込む。


「西方王国軍も国境へ集結! 国王自ら花嫁衣装で先頭に立っております!」


 三人目も来た。


「東の聖国が聖戦の準備を開始しました!」


「目的は!」


「殿下を一国が独占するのは人道に反すると!」


 国が滅びる。

 比喩ではない。


 オルテンシアは鼻元をハンカチで押さえ、エメリックへ歩み寄った。


「殿下。厨房へ参ります」


「なぜだ」


「灰と煤と魚油を被っていただきます」


 会場中から悲鳴が上がった。


「殿下を汚すだと!」


「なんという冒涜!」


 オルテンシアは振り返り、令嬢たちを一睨みした。


「では、あなた方が三か国の軍勢を止めてくださいますの?」


 誰も答えなかった。


 オルテンシアはエメリックの頭へ外套を被せ、そのまま腕を引いた。


「待て、オルテンシア。婚約者にする仕打ちか」


「たった今、婚約破棄なさいましたでしょう」


 エメリックが黙った。


 厨房へ入ると、オルテンシアは竈の煤を集め、魚油の壺へ放り込んだ。


「本当に、これを?」


「魅了は次に汚れるまで消えません」


「ほかに方法はないのか」


「中庭の泥水でも結構ですわ」


 エメリックは魚油を見た。

 窓の外の泥水を見た。

 再び魚油を見た。


「泥水で頼む」


 頭から三杯被せると、ようやく王太子の周囲を覆っていた妙な輝きが消えた。


 騎士たちは剣を拾い、宰相は予算書を破り捨て、国王は王冠を被り直した。

 しかし、すでに防衛結界は落ち、三か国が軍を動かし、譲位宣言は各国へ生中継されている。


 一夜で王国は滅亡寸前である。


 泥まみれのエメリックが、オルテンシアを見た。


「君は平気だったのか」


「何がでしょう」


「私の魅了だ」


 オルテンシアは答えず、鼻元のハンカチを外した。


 白い布は、鮮やかな鼻血で染まっている。


「耐性があるわけではありませんのよ」


「では、なぜ」


「王太子妃になる者が、一緒に滅んでどうするのです」


 エメリックはしばらく黙った。


 それから、泥の滴る頭を下げる。


「婚約破棄を撤回したい」


「聖女様は?」


「過去三百年分の入浴災害記録を読ませる」


「三か国は?」


「私が説得する」


「湯上がりで?」


「二度としない」


 オルテンシアは小さく息を吐いた。


「入浴そのものは禁止いたしません。月に一度、地下浴場で。防音、遮光、結界を三重に施します」


「立会人は?」


「わたくし一人です」


「君も魅了されるだろう」


「とうにされておりますわ」


 オルテンシアは泥だらけの王太子の頬へ口づけた。


「それでも国を滅ぼさずに済ませるのが、王太子妃の仕事です」


 翌朝、婚約破棄は正式に撤回された。


 聖女フィアナは王立文書庫で、歴代王族の入浴災害記録を書き写すことになった。


 エメリックは三か国へ事情を説明し、軍勢を撤退させた。譲位宣言についても、魅了下における意思表示として無効が確認された。


 王太子の次回入浴日は、国家最高機密に指定された。


 なお、三か国の軍勢が撤退したのちに行われた最初の入浴について、地下浴場から二人分の声が聞こえたという報告は、オルテンシアの命令により、すべて焼却された。

今回は、「メロい」「〇〇で滅」「風呂キャン」という、最近よく見る言葉を三つ並べて考えてみました。


なんでこうなった?

自分でもよく分かりません。

疲れてるのでしょうかね?


たぶん、「王太子が風呂に入ると国が滅ぶ」というところで、何かが決定的に間違ったのだと思います。


気づけば、入浴管理が国家防衛になり、三か国が軍を動かし、王太子の入浴日が国家最高機密になっていました。


かなりゆるいお話です。肩の力を抜いて楽しんでいただけたなら嬉しいです。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
>「殿下はずっと耐えていらしたのです。浴場へ向かおうとするたび、オルテンシア様の侍女たちに止められて……お身体を拭くための布しか与えられなかったそうです」 >「なんと非道な」 >「入浴まで管理するとは…
イミフすぎてある意味最高www 暑いからね、仕方ないねw
BL気味だったり王子が色気ムンムンの愛されヒロイン扱いなのは緩いどころか自分には拒否反応が強くてちょっと無理だった。申し訳ない
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