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昼は素っ気ない魔法使いが、夜だけ離してくれません


 足音が辺りに響くと、エルマは慌ててゆっくり歩いた。

 

 暗闇の中、ランタンが長い廊下にぽつんと光る。

 光を吸い込んだプラチナブロンドの髪は、深い色味を湛えた黄金色に揺れる。


 多くの学生がすれ違ういつもの廊下は、今は静寂に満ち姿を変えている。

 

 

 

 図書室にやっとの思いで辿り着き、用心深く辺りを見渡す。

 音を立てないように重い扉を開けると、中から古い紙やインクの匂いがした。

 ランタンをかざすと暗闇の中で、埃がきらきらと輝いた。


 

 背の高い本棚の間を通り過ぎた先に、今日も机上に本を広げた見慣れた彼。

 彼女の持ったランタンの光に気づいた彼は、ゆっくりエルマに振り返った。


「遅い」

 闇に溶けた彼はランタンに照らされると、深い群青色の髪が鮮やかに光る。


 やっと来たかと言わんばかりの切れ長の青い瞳は、エルマを映す。

 眠たいせいかアンニュイな表情を浮かべ、どことなく色気があった。

 

 エルマは気づかないふりをして、目を逸らす。

 

 

「バレないように出てくるの、大変なんだからね」

 エルマは拗ねたように唇を尖らす。


 皆が寝静まったあとに女子寮を出るのは、いつもながら骨が折れる。

 いつの間にか日付が変わってしまっていた。


 

 2人は真夜中に図書室へ通い詰めて長い。

 恋人になった今でも約束をせずとも、自然と鉢合わせた。

 

 エルマは持ってきた教科書を広げ、ヴェクスの隣にいつものように座った。

 早速勉強しようと筆を持った彼女の指先を、ヴェクスが包み込む。

 氷のように冷たくなった彼の指先に、ひゅっと息を呑む。

 

「さ、寒い!どうしたのこの手」

「遅いからだろ」


 ヴェクスは、いつもどおり彼女の両手を取った。

 冷たい節くれた指が、存在を確かめるように肌を撫でる。

 長い指先が、彼女の手の甲から関節まで辿っていくと、感覚を楽しむように今度は裏側をなぞっていく。


 くすぐったい。

 エルマは笑いそうになるのをこらえ、端正な顔立ちの彼を盗み見た。

 

 

 ヴェクスは、有名な領主の一人息子。

 クールな態度だが、周りからの人望は厚く人気者だった。

 おまけに整った顔立ちはとにかく目立ち、女性の心を離さない。

 

 学園一かっこいい彼が自分の彼氏になったことを、半年経った今でも信じられなかった。

 

 


 熱を孕んだヴェクスの視線が、彼女の指先をじっと見つめている。

 甘やかな空気を壊すように、不満げなエルマが彼を覗き込んだ。

 

「……今日も、わたしの事無視したでしょ?」

「何のことだか」


 そっぽを向いてしらばっくれるヴェクスに、エルマは眉をしかめた。

 昼間学園内で会っても、いつも目を逸らしてちっとも構ってくれやしない。

 そのことが、ずっと心にひっかかっている。

 

 

 ヴェクスの指先が、彼女の袖口へと侵入し手首を掠めていく。

 彼の指先から逃げるように、恥ずかし気にエルマは手を引っ込める。


「勉強しないと……」

「必要ないだろ、学年主席サン」

「卒業試験があるのに……」

 

 

 ヴェクスが今度は控えめにエルマの髪を、指先でもてあそび始める。

 湯上りの湿り気が、まだ残っている。

 ランタンの光を帯びて黄金色に透けた髪を、夢中になって指先に絡めた。

 

 エルマは勉強できずに、大人しく羊皮紙を見つめていた。

 すると、隣に座っていたヴェクスが椅子を寄せ、彼女を覗き込んだ。


 

「抱きしめていい?」


 ヴェクスが聞くや否や、彼女はベルガモットの爽やかな匂いに包まれてしまう。

「……もう抱きしめているじゃない」

 エルマの小さな文句は、彼の肩口にくぐもって遮られた。



 彼は真夜中の図書館で、別人になる。

 

 昼間は話しかけても、「うん」とか素っ気ないくせに。

 今は執拗に、彼女にちょっかいをかけてくる。

 まるで少年のような不器用な姿に庇護欲がくすぐられる。


 

「……抱きしめるのは、ぬいぐるみの方がいいんじゃないかしら」

「いやだね」


 照れ隠しを、ヴェクスははっきりと否定した。

 彼女は観念したように彼の肩に頭を預けて、もたれる。

 

 その隙を見逃さず、ヴェクスが彼女の髪に顔をうずめた。

 筋の通った高い鼻がエルマの首をくすぐると、びくりと身体を震わせた。

 その反応を楽しむように、彼は目を細めた。


 

「に、匂い嗅がないで……」

「嗅いでない」


 エルマが身をよじって離れると、青の瞳に鋭く射貫かれる。

 その視線に調子が狂ってしまう。


 ふと、彼の瞳の奥が、ゆらゆらと不安げに揺れていることに気づいた。



「……なにか、あったの?」


 恐る恐る口にすると、ヴェクスは抱きしめた腕が小さく反応する。

 ここ数日、彼の様子は変だった。

 

 いつも図書室で、勉強を頑張ってきたのに。

 教科書なんて見ずに、思考を払うようにエルマにちょっかいを出す。

 最初は黙っていたけど、日に日に行動がエスカレートしていくのを、そろそろ黙ってはいられない。



 

 何万冊もの本が音を吸い込んだかのように、深い静寂に包まれている。

 ヴェクスが彼女からゆっくり離れると、衣擦れの音だけ聞こえる。

 

 ヴェクスの陶器のような肌に、長い睫毛の影が落ちている。

 人形のような美しさを、じっと見つめた。


 彼の表情は硬い。

 今にも重たい話が始まりそうな緊張感に、エルマは身をすくめた。

 領主の息子である彼の隣は、やはり自分には不相応だった……?

 

 エルマは、うっすら開いた形の良い唇を恐々と見つめた。



「………………卒業したら、こうやって会えない」

 

 

 聞き取れるかやっとの小さな声で、呟いた。

 あたたかくなった彼の指先が、彼女の手を恐る恐る包む。


「…………へ?」

 エルマは、脳裏で昼間の素っ気ない彼を思い出していた。

 普段の姿からは想像できないほどに、弱々しい。


 

 ヴェクスは項垂れて、また彼女を引き寄せる。

 彼が甘えるようにエルマの肩に頭をもたげると、爽やかな柑橘の匂いが鼻を掠める。


 いい匂いに包まれたエルマは我に返り、彼の腕から逃れようとする。

 だがヴェクスの力は思ったよりも強く、びくともしなかった。



 

 沈黙が落ちると、真夜中の図書館は何も音がしなくなる。

 耳が痛いほどの静寂の中、ヴェクスはただ無言で、エルマの洗ったばかりの髪に顔をうずめて深く吸い込んだ。

 

「ここで初めて会ったとき、変な奴だと思った」

「ひ、ひどい……」

 

「眠そうなのに、楽しそうに勉強して……」

 ヴェクスの声は、いつもよりずっと柔らかかった。

 肩口に顔を埋めたまま、彼はぽつりと続ける。


「……気づいたら、いつもここに来てた」

 

 その言葉がくすぐったくて、エルマは思わず笑ってしまった。


 

 ジャスミンの香りが鼻を掠めるたびに、ここで話した何気ない会話も、初めて唇を合わせたことも簡単に思い出せる。

 ヴェクスは抱きしめる腕を強めた。


 


 エルマは彼の肩越しに見える、図書室の高い格子窓からこぼれ落ちそうなほどの星屑を見上げた。

 抱きしめる腕は、いつもより力が入っている。

 苦しいのに、振りほどこうとは思えなかった。

 

「……やっぱり、卒業したら会えなくなるかな?」


 彼は何も答えない。

 思ったよりも落ち込んでいる彼が、不謹慎にもなんだか可愛く見えてきた。


 

「じゃあ、一緒に逃げちゃう?」


 悪戯な声でエルマが囁くと、ヴェクスが目を丸くした。

 

 ヴェクスはここ数日、一緒に逃げるか何度本気で考えたことか。

 彼女が言うのは想定外だったが。


 

「金は?仕事は?どこに住むの?家は?」

「……もう現実的なんだから」


 エルマはただ一緒に未来を想像したかっただけだった。

 自分たちが何者になるか。

 想像するたびに、エルマは笑顔になる。


 

「一緒にいられればいいじゃない」


 色んなことを想像しても、必ずヴェクスがいた。

 いつもエルマと目が合うと鋭い空色の瞳が、やわらかくなる。

 少し気を許すような夜だけ見せる甘い笑顔が、簡単に思い浮かぶ。


「なんてね」

 

 照れ隠しに笑ったが、ヴェクスは何も言わない。

 自分の肩にもたれたまま静かな彼を不思議に思い、「……あれ?」視界いっぱいの群青色の毛先を見た。

 

 

 突如、彼は苛立ちをぶつけるように椅子を乱暴に押した。

 

「あのさぁ」

「は、はい」

 

 眉間に皺を寄せたヴェクスが身を乗り出す。

 も、もしかして怒った?

 彼の剣幕に驚いて、エルマは身を竦めた。


 

「…………可愛すぎる」


 何かを堪えるように呟いた声に驚いて、エルマは素っ頓狂な声が出た。

 

 彼の肩越しに見えた星屑が、群青色の彼の髪にも輝きそう。

 爽やかな柑橘の匂いに包まれながら、空色の瞳と視線が絡む。


 

 

「………………キスしていい?」

 

 彼女の唇は、既に塞がれていた。

 

 混乱したエルマを、一時も逃さず脳裏に刻もうとするヴェクスの瞳は熱を孕む。


 湿った彼の唇が、エルマを逃がさないように角度を変えて何度も重なる。

 静かな図書室に、微かに水音だけが響く。

 羞恥心で視界がぼやけていくと、ヴェクスの大きな手に包み込まれる。

 

 

 ゆっくり離れた唇は、外気にさらされ冷えていく。


 真っ赤になった彼女を見て、ヴェクスはもう一度彼女の首筋に顔をうずめた。

 

 

「か、嗅がないでってば」

「今のは嗅いでない」


 いつも不安になる。

 特別じゃないヴェクスが、領主になれるか。彼女に嫌われないか。

 彼はエルマの熱を奪えば、そんな不安も遠のいていく。


 

 ランタンの光が、ヴェクスをぼんやり照らす。

 

 いつも完璧な彼が、こんな夜更けにひどく脆そうな表情をする。

 エルマの熱を求めるようにすがりついてくる彼を愛おしく思いながら、エルマは自分のうるさい鼓動を聞いていた。

 



「………………はぁ」

 

 ヴェクスの熱い溜息が、肌を掠める。

 恥ずかしいのと同時に、彼の大きな腕の中で安堵していく。

 

 

「…………会いに行く」

「……うん」


 寂しそうにつぶやく彼に、エルマは苦笑いした。

 卒業まで、まだ3か月以上あるのに。今からこんなでどうするんだ。


 

「じゃあ、お昼も学園内でお話しようよ」

「だめ」

「なんでよ!」


 残された時間を有効活用しようとしているのに。

 むくれた彼女の頬に、ヴェクスが小さく唇を掠める。



「止まらなくなるだろ」



 大真面目に答えた彼に、エルマは何も言えなくなる。

 何が。なんて聞かなくても、さすがにわかった。

 彼がここ最近、話しかけない理由を知って顔が赤くなっていく。

 

 

「それに僕と、ずっと一緒にいてくれるんだろ?」

 暗がりの中見えた切れ長の青い瞳は、今度は機嫌がよさそうに細められた。

 

 エルマのたった一言で、こんなに嬉しそうにするなんて。

 意外と彼は、単純なのかもしれない。


 

 エルマは、窓を叩く風の音に驚き肩が跳ねる。

 先生が来ないか、今更不安げに廊下を見つめた。

 

 その視界は遮られ、爽やかな匂いに包まれる。

 

 

「……あと少しだけ」


 弱弱しく呟く彼に、エルマは小さくため息を吐いた。

 真夜中の甘えんぼな彼に、エルマは完敗だ。


 「…………ちょっとだけだよ」


 呟くと、ヴェクスの熱くなった唇が、押し当てられる。

 甘く拘束された腕の中で、ふわふわした感覚がエルマを襲う。

 その緩んだ表情を満足げに、彼は見ていた。



 空が白み始めた頃。

 ランタンの灯りは少しずつ色を失い、代わりに図書室をわずかに明るくしていく。

 今日も2人だけの世界は、夜明けとともに静かに終わる。



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