Act2 不器用な牙と「さささ」の洗礼
樹道場の門前に停まった黒のリムジン。後部座席のドアが静かに開くと、そこには女王の如き笑みを浮かべたヒメと助手席でタブレットを操作する航聖が待っていた。
「おはよう。……二日も寝ていた割には、いい面構えね」
「……希はどうした?」
「ああ、彼女には用事を頼んだから……」
(なんだよ。やっぱ、俺らはただのパシリじゃねえか)
龍輝は一人ごちた。
それから薫が指し示したシートに、彼はたいくつそうに身体を沈める。車が滑り出すと同時に、航聖が表情のない声で告げた。
「龍輝、これを見てくれ」
リムジンが滑り出すと同時に助手席の航聖がタブレットを突き出した。そこには、自分が住んでいたアパートが激しく燃える監視カメラの映像が映し出されている。炎の中に浮かび上がる、フード姿の少年の横顔。
「……誰だ?こいつ。見たことねぇな。」
龍輝の問いに航聖が冷静に返す。
「名前は佐藤 研斗。「加納」が放った『観測者』だ。本家の人間ですらめったに顔を合わせないエリートだと。一昨日、君を現場に行かせなかったのは、奴が君を罠に誘い込むために張っていた餌だったからさ。……うちの学園に紛れ込んでいるみたいだから、見つけても、勝手に動くな。まずは報告しろ」
「本家の観測者か。……ちっ、胸糞悪いツラしやがって」
龍輝は初めて見る佐藤の顔を脳に焼き付け、航聖から渡されたスマートフォンを握りしめた。
「今日からこれを使え。秘匿通信アプリ『B-Net』が入っている。……まずはテストだな。何か文字を入れてみろ」
「……」
「まずは『佐藤』だ。打ってみろ」
航聖の無慈悲な命令に、龍輝は画面を睨みつけた。まずは「さ」の一文字だ。
(ええと……この『さ』って書いてある四角を叩けばいいんだな……よし)
ドンッ
龍輝の太く固い指が、画面を叩きにいく。だが、スマホにとってそれは優雅なタップでなく、物理的な衝撃だ。画面がわずかにたわむほどの圧力。トグル入力の「さ」が表示されるが、指の面積が広すぎて、隣の「か」のボタンまで反応してしまう。画面には「さか」と並ぶ。
「うわっ、クソッ、消さねえと!」
焦ってバックスペースキーを狙うと今度はその隣にある「改行」を強打。気を取り直して「と」を狙う。「た」 の行を5回叩けば「と」になる。航聖に教わった通り、龍輝は指先を震わせながらカウントした。
(た……①、ち……②、つ……③、て……④、と……⑤、よし!今だ!)
だが、5回目に振り下ろされた指は、力み過ぎて、画面上でわずかに滑った。スマホはそれをフリックだと認識し、全く関係のない「つ」を確定させる。
「ああああああっ!違うっ!戻れっつーんだよ!」
指先が瞑想し、画面上の「さ」を狂ったように連打し始める。
さ→し→す→せ→そ→さ→し→す→せ……
目まぐるしく変わる文字に、龍輝の動体視力すら追いつかない。しまいにはヤケクソで、指を離した。
【B-Net:グループチャット】龍輝:あい……すす……さささ
「…………」
隣で覗き込んでいた薫は、龍輝の指が「ポチポチ」ではなく、まるでドラムの乱打のように画面を叩き結果として「さささ」誕生した瞬間を最前線で目撃してしまった。
(……ぷっ、ふふ……っ!)
薫が口を押えて震えだす。
(……龍輝……あなた「と」を打つのに……格闘技のコンボみたいな動きしてたわよ……っ!あはははは!しかも最後は諦めて「さささ」って……っ!)
「るせえ!この板、俺の指に反応してねえんだよ!壊れてんじゃねえのか?航聖っ!」
「壊れているのは、お前の頭か指先だろ、龍輝」
助手席で航聖が天を仰いで嘆いた。
「いいか、君の指の動きを見ていると「た」を5回叩く間に指の腹で「な」「ま」「ら」までいってんだよっ!それは入力とは言わない」
龍輝は顔を真っ赤にし、ぶるぶると震える指で、再び画面に挑もうとした。
(次だ……次は絶対、「う」を出す……あ、い、う……3回だ、3回叩くぞ……!)
ドンッ ドンッ ドンッ
画面に表示されたのは、龍輝の祈りも虚しく__。
【B-Net:グループチャット】龍輝:ささささささささささ
(うわあああああああああっ!文字が増えたあああああっ!)
「……ひ、ひぃーっ!あははは!龍輝、もういいわ、それ以上はやめて……」
車内は薫の狂ったような笑い声と、龍輝の絶望的な呻きに包まれた。
楽しいエピソードでした(笑)




