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「いやぁ、すみませんねぇ、ウチのガキどもが」
ヴァルターと共にテーブルにティーカップを並べながら、ハロディはそう言ってタケルの隣に座った。アルトが出て行った分の席が空いたので、四人全員がソファに収まる。置かれたカップは全て異なるデザインのもので、カレンの前に置かれた繊細な花柄のカップはヴァルターが選んだものだ。
「失礼……私からすれば君もそう変わらないように見えるのだが」
ヴァルターが茶を一口飲んでからソーサーに置く。その横で優雅に両手でカップを支えるカレンに反して、タケルは置かれたまま微かに伸びる湯気に鼻を寄せている。
「そうですか? あいつらは十八のガキ、僕は三十七だから……ひとまわり以上の歳の差ですよ」
「さっ……⁈」
「──おっさんだったのか」
ハロディの発言に絶句したヴァルターが咽せて咳き込む。その向かいでカップを持ち上げようとしていたタケルが直球の感想を述べると、ハロディは楽しげに笑い声をあげた。
「はっはっは。そう、おっさんなんです」
そう言って足を組み、ソファに背を預ける。その余裕ある動作は確かに少年のそれではなく、達観した大人のものに見える。見た目の落差に驚かされるのはアルトに次いで二回目だ。
「というか、あの青年もあんな風貌で十八だと……? どうなってるんだここの人間は」
ヴァルターが顔を逸らしてそんなことを呟くが、ハロディには聞こえなかったのか、話は本題に入ることとなった。
「──申し遅れました。僕はハロディ・ロードといいます」
ハロディの自己紹介に合わせ、カレンたちも軽く名乗る。ハロディは観察するように三人を順に見遣り、興味深げに口角を上げた。
「それで、この度はどういったご用件で?」
その問いかけに答えたのはカレンだった。カップを置いて小さく咳払いをひとつすると、ハロディのアクアブルーの瞳に真剣な眼差しを向けた。
「あなたが知識人とお聞きしましたので……お尋ねしたいことがあって、アルト様にここまでご案内いただいたのです」
「アルト”様”……! はいはい、それで?」
何やら思い出したのか急に吹き出したハロディだったが、咳払いとともに先を促す。ヴァルターが軽く眉を寄せたが、ひとまずカレンにこの場は任せるようだ。
「ハロディ様は、”アカツキ”という国をご存知でしょうか?」
ハロディはそれを聞くと、隣に座るタケルを見遣る。そして笑みを携えたままカレンを流し見た。
「”アカツキ”ねぇ……それは──」
意味深に軽く目を伏せ、口の中で言葉を転がす。そんなハロディを、カレンたち三人は固唾を飲んで見守る。
「──僕の追い求めてる国だよ!」
ハロディは突然声量を上げ、両手を広げて目を輝かせた。その勢いに驚いた三人は一様に身を引くが、お構いなしに彼は身を乗り出した。
「いやぁ、まさかとは思ってたんだけどね! アルトから”アカツキのサムライ”の話は聞いてたし、見慣れない剣も興味深かったんだけど、どうにも信憑性に欠けててさ。でも、この──タケル君? 君の姿や持ってる弓を見た時、もしやもしやと思ったんだ。だからこうして君らから”アカツキ”の名が出なかったら、僕から尋ねていたところさ!」
「……で、では、アカツキの場所を、ご存知なのでしょうか?」
身を引きつつも期待に満ちた眼差しを向けるカレンと、身を乗り出すタケル。しかし、ハロディは小さく首を横に振った。
「──それは、残念ながら。そもそも、アカツキって国は存在するのかどうかすら怪しいんだ。東大陸の最東端にある漁村で見つかった。昔の記録に載ってるだけの国だからね」
ハロディはそう言うと、背後の本棚から一冊の紐綴じ冊子を抜き出した。古びて赤茶けたそこそこの厚みの冊子を開き、丁寧にページを捲る。そしてあるページで手を止めると、テーブルに開いて置いた。
「これはその漁村の村長だった人の日記みたいなもんでね。好事家の行商が東大陸で見つけたものらしい。──で、ほらここ。”東より来訪者あり。アカツキ国から来たと申すが、真偽の程は如何に”って一文がある。この星で”アカツキ”と記載されてるものは、僕の知る限りこれしかない」
古い文字をなぞりながら声を弾ませる。ハロディは至って楽しげだが、場所の特定を期待していた三人は半ば肩を落としていた。
「……そうなのですね。ではつまり、その漁村に向かえば、何かお話が伺えるかもしれないということでしょうか」
眉尻を下げたカレンが問う。ハロディは冊子を閉じ、それをカウンターの上に避けながら答えた。
「いいや。その漁村ってだいぶ昔に無くなったんだ。だからオセル人が骨董品なんかを漁りに行って、手に入れたものが港に並んだ。この冊子はその一つで、本来何の値打ちも無かったものだよ」
「では、他に手がかりは──」
「まあほぼ無し、かな。今のところは」
あっけらかんとしたハロディの声に、三人は今度こそあからさまに肩を落とした。しばし、気まずい沈黙が部屋に漂う。しかしハロディは尚も明るい口調で続けた。
「要は君たちって、アカツキから来た人間が居るから、少しでも何か知ってそうな僕の所に来たっていうんだろう? タケル君の変わった風貌がそれを物語ってるわけだけど」
「ええ。わたくしたちはこのタケル様に命を助けていただいたご恩があるのです。ですのでそれをお返しするために、せめてタケル様を故郷へご案内出来ればと考えておりました」
「なるほどねぇ。──で、こうして僕を訪ねてくるってことは、君自身は何も知らないってわけだ。どうやってアカツキから出たのかも、帰る方法も」
タケルが頷く。するとハロディは笑みを深めた。
「いいねいいね、面白い。僕としては、タケル君からアカツキの事をいろいろ聞きたいね。その情報を僕の知識と合わせたら、何か分かることがあるかもしれないよ。──つまり、そうガッカリすることなんかないんじゃないかい? 希望を捨てるには早すぎると思うよ」
カレンたちは顔を見合わせる。ヴァルターがタケルに「話せるか」と問いかけると、タケルは難しそうに眉根を寄せた。
「……何を話せば良いんだ? また、作法とかの話か?」
「それも興味あるけど、僕としてはまず全体の事が聞きたいな。アカツキって”国”なんだろう? 例えば、どんな街があって、どんな人が統べていて、どんな制度があるかとか、このへんを君の分かる範囲で教えてほしいかな」
タケルがさらに深く眉を寄せる。次いで口を曲げて考え事をするようにしばし瞳を彷徨わせると、ぼそりと小さく語り始めた。
「俺がいたのは、伊予の拝山ってところだ。あんまり街のことは知らないけど、他には日方、竜田、網代って国がある。この四つの国が真ん中の天峯山を囲んでて、その上に在わす”天子様”のお膝下で暮らしてる」
タケルの口から紡がれるそれらしき単語の連続に、カレンやヴァルターも目を瞠る。特にヴァルターはいざこざの連続で、アカツキという国自体について詳しく聞くのを失念していたのだ。──そもそも彼はカレンと違い、アカツキという国の存在を半分疑ってかかっていたという理由もあるが。
とにかく、タケルの語るアカツキの話に一際目を輝かせたのはハロディだった。彼は腕を組んでタケルの言葉ひとつひとつに深く頷き、時折噛み締めるように目を閉じた。
「ほうほう! それで、その”テンシサマ”っていうのは、王様みたいな感じ? アルマとアンスール王国みたいな関係性なのかな」
「──それはよく分かんねぇけど……天子様ってのは、”現人神”のことだ。天峯山の上にある”浄土仙境”から俺らを見守ってる。”今日を穏やかに生きられるのは、天子様の御加護があってこそ”っていうのは、俺も師匠とかからよく聞かされてた」
「”アラビトガミ”に”ジョードセンキョー”……ああ、なんて耳慣れない響きなんだ!」
タケルの話を聞いているのかいないのか、感動が勝っている様子のハロディにヴァルターが顔を顰める。当のタケルも、話を続けて良いのかどうか迷っている。彼が無意識にカレンに視線を向けると、カレンは言葉を発さずにいるだけで、ハロディのようにただ目を輝かせているだけだった。
「…………私が聞いた情報についてもお伝えしよう。──それで、何か分かればいいのだが」
戸惑うタケルに助け舟を出したのはヴァルターだ。彼はタケルの代わりに、エレヴァンで聞き出したアカツキの情報を開示した。作法や禁忌とされていること、生活様式……情報を仕入れる度に過度に首肯しながら、ハロディは熱心に耳を傾けた。
「──で、ここまでで何か分かったことはあるのか?」
過剰な反応を見せるハロディにうんざりしつつ、ヴァルターが溜息混じりに問う。始めはカレンの手前大人しくしていたヴァルターだったが、最早感情を隠すことなく表に出していた。ハロディが自分よりもひと回り以上歳上だと分かったうえで、である。
ハロディは特段気にせず、顎を軽く撫でて小さく唸った。そして徐にタケルに向き直る。
「その前にひとつ。アカツキって、天気はどんな感じなんだい?」
意図の分からない質問に首を傾げながら、タケルはおずおずと答える。
「別に……晴れたり曇ったり雨降ったり、普通だったけど。伊予は東の国だし、夏は暑くて冬寒かった。寒い時は雪も降る」
「伊予以外はそうじゃないってことかい?」
「北の網代は雪国で、南の日方はいっつも暑いっていうのは聞いたことある。行ったことないから本当かどうかは知らないけど……」
「…………なるほど、ね」
ハロディは情報を吟味するように瞼を伏せ、腕を組んだ。そんな彼を訝しげにタケルが見つめる。カレンはいつの間にか祈るように両手を組んでハロディの言葉を待っていた。
「──分かんなくなっちゃったな!」
「はぁ⁈」
軽快に笑うハロディに、とうとうヴァルターの声量のある声が飛ぶ。カレンは組んだ指をそのままに目を丸くし、タケルは溜息を吐いて肩を落とした。
「まあ聞いてくれよ。東大陸最東端の村の記述に”東から来た”って記録が残されてるってことは、その来訪者は”裏海域”から来たってことになる。裏海域は交易海路が無くて、大陸の海域を越える航海は禁じられている。つまりここに未開の地があってもおかしくはないけど、魔導黎明期の航海時代、分断戦期、海裂災期を経て陸地はほぼ全て発見されてるんだ。世界地図だってある。──ただ、未開の地になりうるエリアがあるだろう?」
「……”ストームライン”か」
ヴァルターが腕を組んで応える。タケルは、今まで散々聞いてきた”訳のわからない話”が開始されたことで口を閉じた。
「ストームラインは、海の中央に広がるという、”船の墓場”のことですわね?」
カレンが確かめるように問いかけると、ハロディは大きく頷いた。
「──そう。表海域裏海域関係なく、海の横断を禁ずるように存在する、嵐と荒波が起こり続けるエリア。ひと度船が立ち入ればたちまち荒波に揉まれ、雷に打たれ、生きて出ることは許されない。これがあるから僕らは現在、陸伝いの海路で互いの大陸を行き来しなきゃならなくなってるわけだけど……ここに未開の地があったとするなら、肯ける」
「だが、タケルの話の通りなら──アカツキは嵐の国ではない。つまり予測が外れたというわけか」
「その通り」
タケルに続き、カレンとヴァルターが落胆の表情を見せた。三者三様に闇を纏ったような空気を醸し出すなか、ハロディはわずかに冷めた紅茶を口にした。
「時に聞くけど、君らってどうやって知り合ったんだい?」
ハロディの問いに、悲しげに眉を下げたままカレンがゆっくりと俯いていた顔を上げた。
「実はわたくしとヴァルターは、客船事業を興すために北からやって来た者なのです。エレヴァンの領主であるアーミル家の方々にご了承いただき、前当主であるエルド様、その奥方のシャール様をお乗せして海に出ておりました。旅程はお二方のご希望で、海中にある神秘の滝”ブルーフォール”と、双子岩の間にあるとされる”コバルトスペランカ”を見学したのち、星空の海で一泊し、エレヴァンへ戻るというものでした。船旅は順調だったのですが、……ブルーフォール付近で、問題が発生したのです」
「ブルーフォール付近でルミナイトを海に投げ入れればそれが太陽に反応し、沖にあってもしばし海底が臨める。俺は手筈通りそうしたのだがな。光に照らされ、元々割れていた海底の一部が崩れ、大穴が開くのを見たんだ。驚いているうちに渦が発生し、その穴から奇妙な異形が現れた。誘発されたように嵐が起こり、途方に暮れていたところに──タケルが現れた」
カレンと、彼女を補足するヴァルターの証言にハロディは目を細めた。
「──それって船上の話だよね? つまり彼は、そこに突然現れた? 何もないところから?」
「ええ、そうなのです! そして見事に異形を倒し、わたくしたちを救ってくれました。船の損傷は激しくも、こうして生きて戻れたのは、タケル様のお陰です」
「空間が歪んでいたように見えたが──まあ結果的には、何もないところから突然、我々の前に出現したという光景だったな」
ハロディは「ふむ」と声を漏らして顎をさすると、タケルをまじまじと見やった。ここまでの会話をあまり理解していないのか、タケルの表情には戸惑いと無関心が入り混じっている。彼の興味は故郷である”アカツキ”にほとんど絞られているのが窺えた。
「ですからわたくしは、タケル様が勇者様に違いないと思ったのです。海が割れ、現れ出づる魔性から人々を救ったという──伝説の」
カレンはタケルに憧憬の眼差しを向けるが、すぐに戸惑いの色を見せた。そして、向かいに座るハロディに訝しげな視線を送る。
「……ですが、アルト様がおっしゃるには、貴方も”勇者”であると──」
その発言を聞いたハロディは目を丸くすると、一時の間を置いて弾けるように笑った。
「僕が”勇者”? それはまあ、そうであってそうでないっていうか……」
「──どういうことだ?」
主人を笑われ、ヴァルターの声のトーンが下がる。ひとしきり笑ったハロディは目尻を拭いながら軽く謝ると、息を整えて咳払いを一つこぼした。
「君の言う”伝説の勇者”ではないってことさ。僕は、”勇者ギルド”を預かるギルド長ってだけだよ。──どうやらアルトの説明が不充分だったようだね」
「「「勇者ギルド?」」」
カレンはどこかほっとしたような表情を浮かべ、ヴァルターが怪訝そうに眉を寄せ、タケルが耳慣れない言葉に首を傾げる。そんな若者たちを眺めながら、ハロディは面白そうににやりと笑った。




