1-5
アルトという”サムライ”との出会いは、衝撃的なものとなった。アカツキとの妙な縁、勇者の認識──カレンたち三人は、邂逅してから短時間で何度驚愕したことか。しかしアルトの話を聞くと、アルマへ向かう必要性があると思い至る。かくして、もともと戻るつもりだったというアルトに同行し、三人は要塞国家アルマへ出立する運びとなった。
アルトが「アルマまでは徒歩で丸三日」と伝えた時、ヴァルターはそれだけはまかりならんと抗議した。よって教会から移動した後、明朝に出立する馬車が無いかと街中を奔走し、やがて荷馬車を持つ行商人と出会う。通常の移動馬車は金銭的に痛手となるため、荷馬車の隅に乗せて貰えるよう交渉し、四人は条件付きで了承を得ることとなった。
「いやあ、助かるよ。最近、何故だか街道が物騒になってねぇ」
荷馬車の中を整理しながら、行商人の男が豪快に笑う。日が登って間もない早朝、エレヴァンの門付近にある立ち寄り所に四人は集まっていた。
「いや、こちらこそ助かった。アルマまでは馬車ならば一晩の野宿で済むと聞いたんでな。貴方が我々の戦力を買い、我々は荷馬車に乗せてもらう。破格の条件を飲んでくれて感謝する」
男を手伝いながらヴァルターが感謝を告げる。やがて馬車内の武具や道具が整理され、数人分のスペースが空く。行商人は濡れた布で空いた床を拭きながら、困ったように笑った。
「それはいいんだが……そっちは本当にいいのかい? こんな汚い馬車に、お嬢さんやあんたを乗せるのは気が引けるんだがなぁ」
男はカレンやヴァルターの服装を眺めながらそう言った。それもその筈で、カレンは濃紺の格式高いワンピース、ヴァルターは執事服を纏っている。旅人でないことは明らかだ。
「いいえ、とても立派な馬車ですわ! わたくし、馬車に乗るのは初めてなのです。実は昨夜から楽しみにしておりましたの」
「馬車が初めて? じゃあ余計に気が引けちまうなぁ」
カレンが馬車内を覗き込み、晴れやかに微笑む。行商人は頭を掻きながら眉尻を下げた。
「本当に良かったのか? 昨日あの後ここを出発する予定だったんだろ?」
「構わぬ。馬車の方が移動が早いうえ、護衛という任につけたからな。護衛は修行になる」
「そ、そうなのか……」
「それに、アカツキでは”旅は道連れ、世は情け”と言うのであろう?」
「──……おう。よく知ってるな」
カレンとヴァルターが行商人と話している傍では、タケルとアルトが装備を確認している。先日のうちに発つつもりだったアルトをタケルが気遣うも、淡々と応えながら手を動かす。短い付き合いであっても誰もが気づく。このアルトという人物は、かなりのマイペースだ。
「じゃあ改めて、行商をやってるオリヴァーだ。道中よろしく頼む」
一通りの準備を終えると、出発前に挨拶を交わす。タケルとアルトはそのまま名乗り、カレンとヴァルターはファーストネームだけを名乗って正体を誤魔化す。余計な先入観をオリヴァーに植え付けないための配慮だ。
まずヴァルターが馬車後部に乗り込み、後続のカレンの補助をする。その後タケルが乗り込み、最後にアルト──が乗るかと思いきや、姿が見えない。
「某はここでよい」
三人が視線を彷徨わせていると、上方から声がかかった。どうやら幌の上に居るらしい。声の方を見上げてから、三人は顔を見合わせた。
「……ずっと思っていましたが、なんとも風変わりな人物ですね」
「ですが、とても面白い方ですわ。もっとお話ししたいのに」
「先日の様子を見るに、女性が苦手なのではないでしょうか? 誠に失礼極まりない事ですが、カレン様のいらっしゃるこの場に近づけないのかもしれません」
カレンたち三人は、過剰なまでに女性から距離を取っていた先日のアルトの様子を思い出す。どこか納得して肩を竦めるタケルとヴァルターに、首を傾げたカレンが問いかけた。
「そうなのですか? 同じ女性同士ですから、仲良くなれると思ったのですが……」
タケルとヴァルターの表情が固まる。突然時が止まったように動作を止めた二人に、カレンは再び首を傾げる。程なくして二人に時が戻ると、大声が朝日を貫いた。
「「じ、女性⁈」」
二人から同時に上がった叫びにも似た声が、鞭を扱うオリヴァーの手を狂わせる。当たりどころの悪かった合図に、馬車を引く馬が情けない声とともに跳ねるように走り出す。その衝撃に馬車が揺れ、整理した武具や道具の一部が崩れる。揺れる幌の上で座禅を組んだアルトは事もなげに腕を組み、平然と目を閉じていた。
平原を緩やかにカーブしながら伸びるレンガ道の街道は、所々土肌が混ざったおざなりにも見えるものだった。よって馬車は安定せず、車輪が小さな段差を踏むたびに荷台が揺れる。移動するにあたっていくらかの旅支度をしていたヴァルターはカレンのために敷物を用意していたが、彼女の提案で三人で使う事になる。馬車の床板に広げた薄布の上で振動をいくらかやり過ごしながら、三人は幕を開け、幌の額縁から見える過ぎゆく広野を眺めていた。
「街道は昔の名残らしくてね。街の周辺だけはいくらか整備もされてるが、そのうちほとんどレンガが無くなって土の道になる。昔々の関所とか防衛壁も所々残ってるが、今はほとんど形無し。ほら、あの崩れた石柱もそのうちのひとつだよ」
道中、オリヴァーがガイドよろしく御者台からカレンらに向かって話しかける。受け応えするカレンやヴァルターの声を聞きながら、タケルは後部ステップに足を投げ出して荒野の風を身を晒した。その表情は、どこか固い。
カレンたちと同様、タケルも馬車に乗るのは初めてだった。広大な景色も知っているが、それは山から見える風景のみ。わけもわからずこの地へ来て初めて降り立った海も、なだらかな勾配で上下する緑の広野も、全てが初めて見るものだ。街や人どころか、身近であるはずの自然さえも遠く感じ、タケルは心の内で故郷を思い浮かべた。
こうなる寸前に見た、師匠である轍の倒れた姿。絶望的かもしれないが、どうかその後助かっていて欲しいと願うほかない。こうなってしまった以上腹を括り、この見知らぬ世界で帰る方法を探すしかない。タケルはアルトの言っていた「師匠がアカツキに帰った」という情報だけを希望に、密かに覚悟を決めた。
「風が気持ちいいですわね、タケル様」
いつの間にか隣に座っていたカレンから声がかかる。タケルが後ろを振り向けば、ヴァルターはオリヴァーとなにやら旅程について話し込んでいるようだった。
「素晴らしい景色ですわね。気候も暖かくて、心が洗われます」
風に亜麻色の髪を靡かせて景色を見渡す横顔は、タケルにはどこか寂しげにも見えた。
「わたくしの故郷の北大陸は、白銀と氷に覆われた場所なのです。ですから人の住む場所は山の中だったり地下だったり、室内にあったり……とにかく寒さを凌ぐための対策がなされていて、こんなふうに気軽に広い景色を見る機会が無いのですよ」
ふとカレンがタケルを振り向き、二人の視線がかち合う。カレンは小さく笑うと、風にはためくスカートの裾を直しながら続けた。
「タケル様ほどでは無いですが、わたくしにとっても──ここは見知らぬ土地。不甲斐ない事ではありますが、ヴァルターの助けが無ければ、何も出来ません」
そう言って苦笑する。タケルが何か言おうとして言葉を選んでいると、カレンはその手にそっと自らの手を添えた。
「ですからお互い、頑張りましょうね」
「お、おう」
オリヴァーとの話を終えてそんな二人の背中を横目に見ていたヴァルターは感極まり、密かに涙ぐんで目頭を押さえていた。
「カ、カレン様……なんともったいないお言葉! このヴァルター、カレン様が立派な淑女となれるよう、これからも微力ながら助力させていただきます……!」
そんな彼の呟きを聞く者はいない。穏やかな気候に穏やかな道のり。ここまで急展開の対処に追われていたカレンたち三人は、暖かい風に誘われるように心を緩ませていた。
途中設けられた馬用の水屋で軽く立ち止まりながら、日が高く登るまで進み続ける。道中何度か同じような幌馬車や行商人とすれ違ったが、みな気の良い人物ばかりだった。カレンたちは苦境に立たされている事をしばし忘れ、旅路を大いに楽しんだ。
関所跡のような石畳の残骸で昼食を取る。焚き火を使い、その場で料理の腕を披露するオリヴァーにカレンたちが新鮮な目を向けるなか、それでも幌の上で座禅を組んで目を閉じているアルト。彼女はカレンたちと違い、「集中が途切れるから」と食事をほとんど取らなかった。スープを二口三口喉に通した程度でまた幌の上に戻ってしまう。あくまで独自路線を貫くアルトに呆気に取られながらも、再び馬車は出発した。
「タケル」
街道が森の合間を縫うような景色となった頃、突然カレンたちの頭上からアルトの声がかかった。名指しされたタケルが幕を出てステップから跳躍し、アルトの居る幌の上へと一飛びで向かう。その反動で揺れる馬車に驚くオリヴァーの声とヴァルターの嗜める声が聞こえたが、まるっきり聞き流して彼女と向かい合う。するとアルトはゆっくりと目を開き、組んでいた腕を解いて森の一点を指差した。
「獣の気配がする。構えておけ」
「え」
タケルがそちらを見やるが、至って静かな森が広がっているだけだ。しかしこれまでの様子を見ても、アルトは冗談を言うような人間ではない。タケルが目を凝らして木々の合間に集中すれば、確かに動く影のようなものがちらりと見えた。
「どんな獣だ?」
「分からん。だが、でかいぞ」
タケルは一度荷台に戻ってその旨をカレンたちに伝えると、弓と矢筒を携えて再び幌の上に登る。そのわずかな時間で、ようやく獣の気配を肌に感じる。
「食事の匂いに釣られたか」
「一匹?」
「恐らく。お主は弓で牽制しろ。それでも近づいて来るようなら某が対処する」
「分かった」
短く段取りを決め、二人は片膝をついて気配に向けて構えを取った。
ガサガサと乱暴に草葉を踏み締める音が聞こえ始める。馬が鳴き、オリヴァーがそれを宥めながらも速度を上げさせる。しかし気配はしっかりとそれに追随し、とうとう背後の街道に姿を表した。
「な、なんだアレ……?」
タケルが目を見開いて思わず呟く。何故ならそれは、見た事もない姿をしていたからだ。
全体を見れば、タケルの記憶にある山犬の姿に近い。しかしその体は数倍も大きく、爪や牙が鋭く伸びている。何よりタケルの目を驚愕させたのは、尾と頭だ。細かい棘のようなものが密集した長い尾が鞭のようにうねり、土や木々を打っている。すると土は抉れて砂埃が舞い、木の幹は削られる。頭は上下に二つ付いており、それぞれ別の動きでこちらに目を向けていた。
「何だあれは……狼か?」
傍のアルトからも驚きの声が上がる。それを横目に、タケルは弓を構えた。
「”何だ”って、知らないのか⁈」
「狼のようだが、様子がおかしい。あのような姿のものは見たことがない」
その声は冷静だが、瞳は品定めするように鋭く僅かに伏せている。タケルは矢をつがえ、片膝をつきながらもすぐにでも打てる姿勢を取った。しかし、彼には躊躇いもある。「生き物に手を出すな」という轍の言葉を思い出す。
「撃っていいんだな?」
「何を戸惑う? 奴の目を見てみろ。こちらを襲う気なのは一目瞭然だ。我々がやらねば全滅するぞ」
「──……わかった」
タケルは相手の頭に狙いを定めて弓を引く。山犬の化け物は二つの頭を振り回すように動かしながら獰猛な目つきで馬車に向かって来る。馬車の速度などものともせず、あっという間に距離が詰められる。その前足が馬車に到達しようとした時、タケルは渾身の一矢を放った。
高い泣き声とともに、上部の頭がだらりと下がる。化け物は痛みのあまりに速度を落とす。しかしすぐにもう一つの頭が起き上がり、怒りに満ちた目でこちらを睨んだ。全身の毛が逆立ち、オーラのようなものを纏い始める。それは海の異形から噴き出した黒い霧のようなものによく似ていた。
化け物が咆哮を上げた。そして急激に、まるで操られるように動き出し、開いた距離を一気に詰めて来る。長い尾が幌の上の二人を襲う。もう一本の矢を取り出したところだったタケルは思わず目を閉じるが、衝撃は無い。アルトの刀が弾いたようだ。
アルトはそのまま幌から飛び降りて化け物の前に降り立ち、同時に化け物に突進した。そして、いつの間にかまた鞘に戻されていた刀を瞬きの間で振るって戻す。一閃は化け物の急所を突いたのか、その体は突然事切れ、地面を滑るようにしてもんどりうって倒れる。しばし最後の足掻きのように尾だけは動いていたが、それもやがて止まり、辺りには穏やかな風が戻った。
「居合だったのか……」
タケルが呟く。彼は、鞘に触れていた左手でそのまま柄を持ち、逆手で振るってそのまま瞬時に鞘に戻す、一連のアルトの動きを見た。刀の抜き方や持ち方は独特だが、知る限りそれは居合の太刀筋だ。
騒ぎが収まったことで、オリヴァーが馬車を止めた。タケルは幌から飛び降りてアルトの元へと駆ける。馬車から顔を覗かせていたヴァルターも、カレンをひとまず馬車に残してそれに続いた。
「尾だけではなく、全身の毛がスパイクのものと酷似しているな……こんな生き物は初めて見る」
倒れた化け物を検分していたアルトは、タケルたちが近づくとそう言った。
「”すぱいく”?」
「ああ。全身の毛が針になっている獣なのだが、これとは姿が似ても似つかぬ。──頭を二つ持つ狼も見たことがない」
耳慣れない言葉にタケルが尋ねると、アルトは顎を摘んで怪訝そうに応える。すると、ヴァルターが化け物をまじまじと観察しながら呟いた。
「──古代種なのではないか?」
「古代種?」
今度はアルトが首を傾げる。ヴァルターは腕組みをして眉を寄せた。
「古い氷などから時折発見されることがあるらしい。オレも話でしか聞いたことはないが、それらは全て通常の野獣や動物とは違った形状をしているそうだ。それこそ、”異形”と呼ぶに足る姿と聞くが……」
「そういえばお主ら、海で異形を見たと申しておったが──それも、かようなものだったのか?」
タケルとヴァルターが顔を見合わせる。ヴァルターは思い出すようにきつく目を閉じると、目元を歪ませて軽く唸った。
「……まあ生き物といえばそうだった。──蛸や烏賊の足のようなものが何本も海から生えていてな。……だが、どこか自然現象のようにも見える不可思議さもあったな」
その言葉で、タケルも記憶を呼び起こす。確かに彼の言う通りだ。透明の中に蠢く黒い靄のようなものと小さな光の煌めき──動きは生き物のそれだったが、海の嵐で起こる現象と言われれば納得できてしまいそうな見た目をしていたように思う。
「おおい、お前さんたち! もうさっさと行くぞぉ! またそういうのに襲われたらたまったもんじゃないからな!」
馬車からオリヴァーの声がする。ひとまず三人は考えるのを止め、各々小さく息を漏らした。
「──まあ、今ここで話しても意味がない。とりあえず戻るぞ」
「オリヴァー殿! この化け物、乗せて帰れぬか?」
「「「無理だろ⁈」」」
切り上げようとしたところで出てきたアルトの驚愕な質問に、タケルとヴァルター、そしてオリヴァーの声が重なる。
「…………ふん。冗談に決まっておろう」
たっぷりの間を置いてアルトがそう溢す。唇を尖らせてどこか不満げにしていたのを、タケルは見なかったことにした。
その晩、一行は森を抜け、再び辿り着いた二箇所目の関所跡の石畳に馬車を停め、一晩の寝ぐらとすることにした。その場には馬の水屋や、他の行商人が善意で置いていくルビライトの欠片、焚き火に焼べる枝や葉などが残されている。それらを駆使して火を焚けば、夜空に向かって煙が上り、周囲が柔らかく照らされた。
昼にはいつの間にか出来上がっていたためにその工程を見ていなかったタケルは、改めて焚き火が出来上がっていくのを見て目を丸くした。
「赤い石から火が出てた」
そう言って興味津々で焚き火を覗き込もうとする。その首根っこを掴んで引き下がらせながら、ヴァルターが溜息を吐いた。
「もういちいち驚くこともないが、そういえば魔石を知らんとか抜かしていたな」
「でも、石自体をこうして利用するのですね。街の宿で見たポットの装置も珍しかったですが」
敷き布の上に座ったカレンが炎の揺らめきを眺めながら微笑む。するとオリヴァーは調理器具を用意しながらそれに応えた。
「もしかして、異国の旅人だったのかい? アンスールじゃあ魔石は日用品。魔道具に使われたり魔除けに使われたり、祈りを込めた贈り物に使われたり、様々さ。ここにあったルビライトは大体売り物にならないもんで、焚き火の火種にしてくれよって意味である日誰かが置いてった。それをきっかけに、同じように置いていく奴が増えてったんだ」
「貴方は”火のナチュラ”を持っているのか?」
「いいや? 市販品の魔道具や魔除けの魔石は、魔力持ちの連中が魔力を吹き込んだものなんだ。だからナチュラが違っても効果が発動するし、魔力が無くてもそれは同じ。俺も自分のナチュラが何なのか知らないけど、こうやって火を起こせたろ?」
手際良く鍋に具材が放り込まれ、辺りにいい香りが立ち込め始める。タケルには彼らの会話の意味が分からなかったが、とにかく魔石が不思議な力を持っていることだけは理解した。
「遥か昔は魔力持ちが権力を握ったりしたらしいが、今は随分減っただろう? 本国の方じゃあまだ名残があるらしいが、他の土地じゃあ魔力持ちは商売人。高額稼いでも心身を犠牲にしてるんじゃ割りに合わないと思うがね、俺ら一般市民はその恩恵をありがたく使わせてもらってるってわけさ」
湯気が星空に上っていく。それを追うように、タケルは唯一故郷と変わらない空を見上げた。そうしたタケルの理解出来ない会話から逃れるような姿を見ると、カレンはその顔を覗き込んだ。
「つまりね、タケル様。この”魔石”という石には魔力が秘められていて、人が生まれつき持つとされる魔力に反応して力を発動するのです。もしかして、アカツキにはこういったものはありませんか?」
タケルはカレンに向き直り、小さく頷く。するとカレンは居住まいを正し、質問を続ける。
「ではアカツキでは、どのようにして火を起こすのですか?」
問われたタケルは、竈門の前で火打ち石を打ち、火花を穂に移し、息を吹きかけながら火を整えた日常を思い浮かべた。ここであっという間に出来上がった焚き火と比べると、かなりの時間を要する工程だ。しかも朝から体力も削られる。感傷に浸りかけたタケルは頭を振った。
「石を打ち付けて、出てきた火花を火種にする。──結構な手間がかかる」
「まあ、火花を? それは繊細な技術ですわね」
興味津々にアカツキについて聞いて来るカレンの、焚き火の明かりを受けた眼差しを眺める。そしてタケルは、彼女が自分と似て非なる存在だとぼんやり思った。カレンは恐れることなく他者の文化に興味を持ち、それに感動する。未だに戸惑いが勝つ己とは違い、異国を満喫しているようにも見える。その胸の内にどんな思いを秘めているのかは分からないが、そんな彼女がたまに輝いて見えるのは、自分に無いものをもっているからだろうか、と。
「──某も、石を使った火の起こし方は知っているぞ。師匠に教えを賜ったからな」
「”これ”も、石を使って火を起こした焚き火だろう」
「言葉尻を取るとは卑怯な。石を打ち合った火の起こし方だ」
料理が出来上がったタイミングで、アルトが幌から飛び降りて焚き火に寄って来る。彼女の揚げ足を取ったのはヴァルターだ。彼は、タケルやアルトに対してはそうした物言いをすることが多いが、どうやら歩み寄りの手段らしい。その証拠に、そういう場合は言いっ放しで深くまで追求しない。タケルはこの数日で強制的にそれに慣らされているので、素直に反論しているアルトに同情の目を向けた。
そんな若者たちのやり取りに笑いながら、オリヴァーは深皿に人数分のシチューを分けた。ヴァルターがそれを全員に回す。満点の星空と銀色の月光の下、小さな団欒が灯火となって夜に浮かんだ。
「それで、あんたらは何でアルマに行きたいんだったか? 商人じゃあないみたいだけど」
オリヴァーの問いかけに、カレンとヴァルター、タケルは顔を見合わせる。意外にもいち早く答えたのはアルトだった。
「某の知り合いに会うためだ。少々変わり者だが、物知りな奴でな。この三人はそういった奴に用があるらしい」
「へえ、あんたに変わり者って言われるんじゃ相当な気もするが……セントラルの人間かい?」
「否、ロワーサイドだ」
「ロワーサイドで変わり者? まさか、ハロディかい?」
悪気のないオリヴァーの発言に眉を寄せながら、さっさと食事を終えたアルトはその場で座禅を組んだ。
「──なんだ、知り合いか。彼奴もたいがい顔の広い男だな」
「ははは、ハロディなら確かにあんたなんかより変人だ」
「……おい、また問題児なのか?」
「”また”って何だよ」
アルトとオリヴァーのやり取りを聴いていたヴァルターがげんなりとした様子で悪態じみた呟きを漏らす。それを聞き逃さなかったタケルが思わず突っ込むと、ヴァルターは目を閉じてやり過ごした。
「まあだが、知識人なのは確かだよ。趣味で歴史漁りしてるような奴だからさ。仕事もあんまり無くていつも暇そうで、日がな本ばっかり読んでる」
「問題児じゃないか!」
「まあまあヴァルター、博識な方というのは、とてもありがたい存在ですわ。顔の広い方なのでしたら、──その……”候補”も探しやすいかもしれません」
”船員”と言いかけて言葉を選びながら、カレンがヴァルターを宥める。するとヴァルターは掌を返すように頷き、何事もなかったように食事を再開した。
オリヴァーからしてみれば、年若い子供にも見える男女三人を連れた若き青年という一行は、全員もれなく変わり者に見えた。しかもそのうち三人は明らかに旅慣れていないうえ、二人は格好すら旅人のそれではない。
だが、得体の知れない化け物から馬車を守ってくれた実力者なのは確かだった。始めはこのまま旅路に問題なければ乗車料を交渉しようと考えていたオリヴァーだったが、すっかりそんな思いも消え、彼らの会話に混じりながら団欒を楽しんだ。
明朝、地平線から顔を出した朝日とともに、旅支度を整えた一行は出発した。寝ずの番を買って出たアルトは、相変わらず幌の上だ。だが、座禅を組んではいるものの目を閉じている。──もしかしたら寝ているのかも、と心の隅で独りごちながら、タケルは馬車の後部に座り、足をステップに投げ出した。朝焼けが広野の草をオレンジ色に染めている。それが、山から見下ろす故郷の麓の街や村を思わせたが、頭を振ってやり過ごした。
”街道が物騒だ”と聴いていた割には、残りの道のりは穏やかなものだった。ちらほらと野獣や動物の姿はあったが、どれも安易にこちらに近づいては来なかった。先日の化け物のような異形もいない。野盗の類に襲われることもなく、すれ違うのは旅人や吟遊詩人、そして行商人のみ。その数もアルマに近づくに連れて段々と増えていき、馬車の車輪が整備された煉瓦道を踏み始める。程なくして前方に見えたものをオリヴァーが指差し、馬車の中に伝える。カレンたち三人は荷物をかき分けて御者台に身を乗り出した。
「ほら、お前さんたち。──あれが、要塞国家アルマだよ」
小高い丘部分に沿うようにして、大きな壁が見える。傾斜に合わせて高さを変えながら一定の高度を保っている外壁は、街中を隠すようにそびえ立っていた。ちらほらと一部からは尖った屋根が垣間見えるが、何の建物かすら定かではない。
さらに近づくと、外壁の周囲をぐるりと堀が囲っていた。水はそれほど深くはないが、”要塞国家”たる構造になっている。目を凝らして見上げれば、外壁の上には兵士らしき姿も見える。過去の名残が否か、何かから身を守るように鎮座する姿は、三人の目を強く惹きつけた。
「着いたら門番の検閲があるから、みんな静かにな」
オリヴァーの言う通り、堀に渡した橋の先には大きな門が設けられ、その両脇には武装した兵士が門番として守りを固めていた。行き来する者は多いが、行商人は馬車でも徒歩でも通行証と検閲が必須となる。タケルは、堅牢な石造りの橋や外壁、銀色に輝く鋼の鎧を纏い、見慣れぬ剣を持つ門番兵──それらの圧倒的な存在感に驚愕し、終始口を開けたまま視線を忙しなく彷徨わせていた。
「荷物は、武具や工具か?」
「はい。まあいつも通りですよ。あ、今回は護衛も兼ねて旅人の方に乗ってもらったんです。アルトの知り合いで」
「アルト? ──お前、帰ってきたのか。くれぐれも問題は起こすなよ」
門番兵の検閲が行われるが、何度も行き来している旧知なのか、軽いやり取りで済まされる。兵士たちはオリヴァーの紹介でカレンたち三人を確認したが、特別警戒されることは無かった。それどころか三人よりも、幌の上に乗っているアルトを見つけて苦笑している。
「ふん。某がいつ問題を起こしたというのだ」
「……はあ、これだもんなあ。──おい、もう行っていいぞ」
「ありがとうございます!」
肩を竦めた門番兵だったが、すんなりと馬車を通した。ヴァルターはほっと胸を撫で下ろし、オリヴァーの人当たりの良さとアルトの問題児っぷりに胸の内で感謝する。門を抜けるとそこには、エレヴァンとはまた違った活気に満ち溢れる、美しい街並みが広がっていた。
巨大な石造りの壁に囲まれた内部には、敷き詰められたように軒先が連なっていた。背の高い石造りの建造物が立ち並び、歩道も全て石煉瓦で舗装されている。入ってすぐのキャリッジハウスに馬車が停まると、タケルたち三人は荷台を出て大通りから街を見渡した。視界の先には大きな噴水が見え、その周囲の一部を露店のシェードが囲んでいる。ほとんど灰色の荘厳な景色だが、店の看板や露天のシェードは色とりどりだ。道ゆく人がすれ違いざまに掛け合う声も、街並みに華を添えていた。
「どうだい? エレヴァンとは全然違う雰囲気で、圧倒されるだろう」
馬を厩に預けたオリヴァーが、街並みを眺める三人の背中に声をかける。無言で頷くタケルの隣で、カレンは両手を合わせて目を輝かせた。
「まさか壁の中にこんな街並みが広がっているなんて、思いもしませんでしたわ!」
「要塞国家というだけあって、流石に堅牢な街だ……」
素直な反応を見せる三人に笑いかけると、オリヴァーは「じゃあ、また縁があったらどこかでな」と早々に別れを告げる。そんな彼に丁重に感謝を述べて別れの挨拶をすると、いつの間にか側に来ていたアルトが三人を呼んだ。
「では、早速参るとするか」
アルトの先導で、彼らは早速足を進める。向かうはアルトの知人で、変人だという、──”ハロディ”という人物の元だ。淡々と先を歩くアルトの背後でカレンたちは、期待とわずかな不安を抱きながら彼女の後に追随した。




