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WORLD SMITH ─ 創星の勇者たち ─  作者: pochi.
第六章 災厄を呼ぶもの

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6-2 因果の大穴


 端に寄せられた馬車の中のいくつかは、紋様のような意匠の施された特注のようだった。その中でも一際美しい籠のようなキャビンには扉が設けられ、内部がカーテンで遮られている。所々にはベルサルディア城でもよく見かけた、翠色の石が嵌め込まれている。いつだったかアルマの亡霊と呼ばれているという、怪しい研究者から見せられた石だ。タケルはその名を記憶の底から引っ張り出す。確か、ヴェルデライト──と言っていた。


「軍務卿⁈」


 背後から、兵士とやりとりをしていたハロディの驚く声がした。美しい馬車を前に半ば呆けていたタケルは、反射的に振り向く。


「見たこともない異形という報告だったからな。己の目で確かめたいと言って、先日から森に入っておられる。──君たちが行っても、通してもらえるかどうか……」

「え、見に行くのか?」


 タケルは思わず、馬の側で話し合う二人の中に加わった。ハロディはどうやら、”森の大穴”を確認するつもりらしい。胸騒ぎがしていたタケルは、眉を寄せてハロディに怪訝な眼差しを送る。


「言ってただろ? ”異変があったら近づいてみる”ってさ。僕らからしたら君も”異変の産物”なんだから、今起きてる異変に近づけば、アカツキへ帰る方法が分かるかもしれない。──そういう話だったはずだよ」


 ネリの一件ですっかりその話が頭から抜けていたタケルは、いつの間にかこの世界に馴染んでしまっていることに気づき、瞠目した。自分にはアカツキという、こことは全く異なる景色の故郷があること。それがたまに、否応なく希薄になっていく。タケルはハロディに向けて小さく頷いて見せると、ハロディは鼻から息を漏らして話を戻した。


「……まさか、単なる調査に幹部の人が出向いてるだなんて思わなかったなぁ。軍務卿って、どんな人なんだい?」


 すると兵士は気まずそうに瞳を逸らし、言葉を吟味するかのように喉の奥で唸る。


「ま、まあその……何だ、──非常に好奇心旺盛な方だということは確かだな。リーバス家の他のお三方と比べても、少々変わり者、というか……」

「へえ、変わり者。それは気が合うかもしれない」

「そういえばあんた、変わり者ってさんざん言われてたよな……」


 言い渋る兵士に対し、ハロディはニヤリと口角を上げる。この旅では常識人的な立ち位置で一行を導く大人だが、そもそもハロディと出会う前、彼の噂はほとんど”偏執狂”の一択だった。タケルはそんな彼と出会う前、どんな変人が現れるのかと緊張したものだった。


「リーバス家のお方なのでしたら、謁見の間でわたくしたちのことをご認識されているのではありませんか? こちらの事情はご存知でしょうから、行って交渉してみる価値はあると思うのですが」


 御者台に座るヴァルターの背後からカレンが顔を出す。自身に満ちた微笑みからは、「何かあれば自分が交渉する」という意思すら感じられる。頼もしいやら心配やらで複雑な表情を浮かべるヴァルターとは正反対だ。


「それはそうだ。──てわけで、僕らちょっと行って見てくるよ。大丈夫、門番の人には止められたけど、無理を押し通したって言っておくから」

「それはいいが……くれぐれも気をつけろよ。あれから異形の動きは全く無いが、いつ何が起こるかは分からんのだからな」

「その辺はまあ……中には頼もしい翠誓騎士団の方々がいらっしゃるわけですし?」


 兵士を言いくるめ、ハロディがヴァルターを促す。彼の手綱によって馬が森の方向へ進路を変え、ゆっくりと進んでいく。


「チッ」


 殿から聞き慣れた舌打ちが聞こえたのでタケルが振り向くと、ガウリーが馬車の中へ入る姿がちらりと見えた。肩越しに振り返ってそれを見ていたハロディが苦笑する。


「アルト、一応先頭頼む」

「承知した」


 相変わらず幌の上で座禅を組んでいたアルトは、声をかけられるとすかさず飛び降りて先頭に出る。森の入り口は、おそらく巨躯の異形が踏み倒した木々によって開かれたものだった。残骸は脇に片づけられ、奥へと続く道は一見して平穏に見える。


 しかし曇天の下、道を取り囲む残された木々は風に枝を揺らし、不気味な騒めきを響かせていた。





 湿った空気の中、馬車の車輪がガタガタと音を鳴らす。道は多少蛇行しているものの、基本的には真っ直ぐに伸びていた。異形が踏み荒らした土までは整えられていないので、馬車は段差を踏むたびに小さく跳ね、音を立てて揺れる。


「どこ、行くの?」

「ネリ様、しばらく馬車の外に出るのは控えましょう。少々寄り道で、危険な場所へ向かいますので」


 タケルは真っ直ぐ先を見据えたまま、耳の片隅で馬車の中の声を聞く。御者台はヴァルターに代わってハロディが座っている。彼は口笛でも吹きそうな顔つきで手綱を握り、馬の足取りを操っている。そんな呑気な様子の彼を一瞥し、密かに鼓動を主張する心臓に意識を向ける。タケルはゆっくりと馬の脇を歩きながら、深呼吸でその鼓動を誤魔化した。


 すると程なく、頭上から鼻歌が聞こえてくる。タケルは眉を寄せ、口元を歪めてとうとうハロディを振り向いた。


「──なんでそんな楽しそうなんだよ?」

「え? 楽しそうだなんてそんな心外な! 僕はこの先の大穴ってやつに興味があるだけさ」


 わざとらしく言い訳するハロディに、タケルは呆れ顔で溜息を吐く。この男、一言目には”タケルのため”というようなことを言うが、結局は”アカツキ”への興味が隠せないらしい。今のところ起きている異変は深刻なものであるはずなのに、それとこれとは別物、というように切り離している節がある。


「……嫌な予感がするんだけどな。俺が考えすぎなのか?」

「嫌な予感? もしかして、無意識に何か感じるものがあったりするのかな?」

「──いいって! 気のせいかもしれねぇし」


 ここにきて偏執狂の一面を見せるハロディに辟易し、タケルはげんなりと肩を落としてとりあえず足を動かす。出会った当初、彼の部屋でアカツキのことについて質問攻めされた時の記憶が蘇る。事務的に質問してきたヴァルターと違い、ハロディはタケルの回答に逐一自らの見解を混ぜていた。それを聞かされたとて、タケルにはその是非が分からないというのに、だ。


「む」


 緊張感が解けた頃、先頭を歩くアルトが小さく声を漏らした。少し曲がりくねった行き先の向こう側を見れば、空間が開けているのが分かる。結構奥まで歩いたが、どうやらようやく目的地ということらしい。


「お、見えてきた見えてきた」


 わずかに弾んだ声を漏らすハロディ。その傍で、タケルは密かに固唾を飲んだ。 





 視界が開けたその場所は、異様な光景だった。突然大地に穴が開き、森がそこに吸い込まれたような──歪な穴の縁に、根を張ったままぶら下がるような木もいくつか見える。何よりもタケルたちを驚かせたのは、その大きさだった。アルマのロワーサイドなど丸ごと飲み込んでしまいそうな大穴は、まるで深淵に続いているかのように底が見えない。霞がかった奥の方からは、遠く、風が唸るような音がする。


 一行は馬車を安全な場所に置き、恐る恐る大穴へと近づく。ハロディは再びヴァルターに御者を任せて地に降り立つ。その間にも淡々とアルトは縁へと足を進め、タケルはわずかに慄きながらそれに倣った。


「かような大穴は、見たことが無い」


 アルトが感嘆の声を漏らす。海の大穴を直接目にしたことが無いタケルは、初めて目の当たりにする光景に圧倒され、言葉を失っていた。


「これはすごい。──海の底にあるブルーフォールも、本来こういうただの大穴なんだろうね」


 後からやって来たハロディがタケルたちを通り越し、縁に屈んで興味深げに穴の底を覗き込もうとする。その時、少し離れた木々の合間から、硬質な制止の声がかかった。


「──おい、そこで何をしている?」


 数人で小走りに近づいて来たのは、門番や常備兵団とは一風変わった装備を纏った人物だった。一様に白い外套のフードを被り、エメラルドグリーンを基調とした、控えめに金の意匠が施されたローブの裾を揺らめかせている。鎧の類は身につけておらず、腰のベルトに携えているのは剣ではなく杖──ベルサルディア城で見た、翠誓騎士団の出で立ちだ。


「何者だお前たち? 旅人か?」


 数人で駆けつけた騎士たちは、訝しげに眉を顰め、あからさまな警戒を示す。その手が腰の杖に触れた時、ハロディが慌てて立ち上がる。


「ああすみません。僕ら、先日オルヴェイン王と謁見させていただいた者でして」


 体の前で両手を振り、愛想笑いで乗り切ろうとするハロディに、騎士たちが更に怪訝そうに顔を見合わせる。どうやらタケルたちが謁見に上がった際、同じ空間には居なかった者たちのようだ。


「──ともかく、ここは危地で、今は我々翠誓騎士団が調査中だ。仔細が分かるまで立ち入りは控えてもらおう。……関所の兵は何をやっているのだ」

「ああえっと、この前、巨大なモルが出たって報告があったでしょう? 僕ら門番の方々と共闘した者なんです。──ちょっと事情があって、無理言ってここまで入らせてもらったっていうか、その……」


 どう説明したものかとハロディが珍しく言葉に詰まる。彼の目は、目の前の騎士たちを通り越してその向こうをちらちらと探っていた。どうやら話がすんなり通じないと悟ったのか、半ば説明を諦め、別の人材を求めているようだった。


「あ」


 そんな彼が、騎士の背後に視線を向けたまま間の抜けた声を漏らす。アルトの視線も騎士たちを通り越し、タケルも同じく、新たに現れた人物に目を止める。騎士たちは一様に眉を顰めたが、三人の視線を追って振り返り、そして即座に背筋を伸ばした。


「おや。何やら騒がしいと来てみれば……”勇者のご一行”ではありませんか」


 柔らかな声とともにほとんど足音もなく現れたのは、同じく騎士団の装備を身に纏った人物だった。しかし他の者とは違い、翠の石が嵌められた美しい銀のポールドロンを装備している。紋様のような留め具が、その者の身分を物語っていた。


 外套のフードを下ろし、曇天に晒した容貌に含み笑いを浮かべる涼しげな青年。青みがかった、緩く編んだ濃いブラウンの長髪が歩くたびに肩で揺れる。片眼鏡の奥から冷たく青い瞳が、値踏みするようにタケルたちを見渡した。敢えてわざとらしく”勇者のご一行”と呼びかけるのは、一体どんな思惑があってのことか。


「フォンタナ卿!」

「お前たちは標の観察を続けなさい。この者たちは私が請け負います」

「は!」


 静かな命令に敬礼し、騎士たちが元いた場所へと戻っていく。それをちらりを見送ると、フォンタナ卿と呼ばれた青年は再びタケルたちに向き直って微笑む。優しげに見える眼差しだが、冷気が漂うかのように底が知れない。


「私は翠誓騎士団の参謀を努めております、グレディエル・フォンタナ・リーバスと申します」


 穏やかで、まるで詩を読むかのような語り口調。体の線は細く、タケルとそう身長も変わらない。それなのに、何故か見上げてしまいそうになる──強烈な存在感のある人物だ。


「あ、僕は──」

「結構。あなた方の名は既に把握しています。……それで、この場所にはどんな御用で?」


 ハロディが自己紹介の口火を切ろうとするも、あっさりと遮られる。そのたった一言で、緊張の糸が幾重にも張り巡らされたかのようだった。


「──……森に大穴が空いたと関所で伺いまして……何か”異変”が起きたなら、このタケル君が故郷に戻るための、何かしらの示唆が得られるかと思い至った次第です」


 一瞬視線を逸らし、再びグレディエルに向き直ったハロディの声が一段下がった。名指しされたタケルに、グレディエルの冷えた青い瞳が向けられる。タケルは背中が粟立つのを感じたが、肩に力を込め、無かったことにした。


「成程。しかしどうでしょう? 我々は昨日より大穴の周囲に結界標を立て、何らかの魔力の痕跡が無いか観察をしています。ですが、これまで何の反応もありません。この穴は現状、ただの穴でしかないのです。あなた方の期待するものは無いように思いますがね」


 目を凝らして大穴の周辺を注視すれば、その所々に杖のようなものが刺さっている。その周りを数人の騎士が取り囲み、何かしらの反応を見ているようだ。


「──それとも、これから貴方が……私に何か見せてくれるとでもいうのでしょうか? 我が王も仰っておられた、”因果”の証を?」


 グレディエルがタケルにひたと視線を向け、喉の奥で笑う。タケルは恐れを飲み込んで眉を寄せ、口を引き結んでそれに対峙する。するとグレディエルは笑みを消し、しばし口を閉ざした。


 再び値踏みするような瞳が、じっとタケルを見据える。タケルはただ抵抗するようにグレディエルの瞳を受け止め、閉ざした口の中で歯を食い縛った。程なくしてグレディエルはすっとその目を細め、微かな溜息を吐く。辺りの空気がわずかに緩んだ。


「……冗談はさておき。この地は我が翠誓騎士団が調査中です。あなた方では荷が重いことでしょうから、こちらの方で何か特徴を掴み次第、アルマを通してご連絡するよう手配いたしましょう」


 大穴を背に、グレディエルは関所の方角を緩やかに指し示す。言外に”お引き取りを”と語る冷徹な眼差し。アルトの眉間がわずかに寄せられ、ハロディがひっそりと肩を竦める。タケルも引き下がらなかったが、帰還の緒よりももはや反抗心にも似た意地が勝ち、足を動かさないだけだった。


「あの、差し出がましいことではございますが……わたくしたちにも調査をさせてはいただけませんか? こちらのハロディ様は、歴史の知識に富んだ方でございます。彼にしか気付けない何かが見つかるかもしれませんわ。──それに、」


 張り詰めた空気の糸を、カレンの高い声が解いた。馬車から飛び出すようにしてタケルたちに駆け寄り、グレディエルの前に躍り出て会釈する。彼女はハロディを指し示して訴えた後、タケルを振り返ってその手を取った。


「もしかしたらタケル様にしか分からないものが、あるかもしれません。そもそも異変は、魔力によるものとは限らないのではないでしょうか?」


 懸命な眼差しで一心にグレディエルを見上げ、カレンが尚も訴える。その健気にも見える姿を、グレディエルは凪いだ瞳で見下ろす。そんな二人の攻防に、タケルが一歩踏み出した。


「別に、一緒に調べたいってわけじゃないんです。そっちはそっちで調べて、──俺たちは俺たちで調べるってのじゃ、ダメなんですか?」


 タケルは不思議な感覚に陥っていた。彼は自主的に自ら故郷に帰る方法を探したいという望みよりも、”そう願うタケルを手助けするカレンたち”の役に立ちたかった。


 それは、言葉にし難い感情だった。ただ奥底から湧き上がる、助けたいという思い。──否、そうするのが当たり前かのような。それが自らの意思なのかどうか考える前には、もう言葉を発していた。


 手を取り合って訴える二人を静かに見据え、グレディエルは目を細める。そして再び口元に微笑みを湛えると、喉の奥で低く笑った。


「──そこまで仰るのなら、仕方がありません。どうぞお好きに調査なさってください。……ですが、カレンドラ嬢。北の地では知り得ぬことかもしれませんが、古来より人は、星と何らかの魔力で繋がっていると云われております。つまりノヴァの因果は全て、巡り巡って魔力に収束する……その可能性は極めて高い。細かな説明はここでは省きますが、故にこの場所は──」


 突然、大地が小刻みに揺れ始めた。その不気味な兆候にグレディエルが発言を止め、大穴を振り返る。次第に揺れが大きくなり、タケルたちは地面に膝をついて体勢を整えた。


「な、何だ──⁈」

「地震……それとも、地響きによるものでしょうか?」


 タケルとカレンは視線を交わし、それを大穴へと移した。深淵の底から音が這い出す。それは地鳴りにも、雄叫びにも聞こえた。穴の底で渦巻く音は攪拌され、動物とも人とも取れない呻きや叫声、遠吠えにも似た音に変化しながら空へと消えていく。


 思わずタケルたちは、這うようにして穴の縁へと近寄った。細かい振動が手の痺れを誘う。穴からは生暖かい風が吹き上がり、周囲の木々をざわめかせる。


「──標の挙動に注意しなさい!」


 タケルたち同様に大穴を覗き込んでいたグレディエルが、周囲に向かって高らかに指示を出す。身構えながら応答する騎士たちの声が、不気味な音の集合体の一部となる。


「カレン様、どうか馬車にお戻りください! 近づいては危険です!」


 馬車から飛び出したヴァルターがカレンに駆け寄り、その腕を取る。カレンは半分だけそれに従って数歩後退り、手を握ったままのタケルがそれに続く。


 次第に辺りの風が強まり、轟く音が混じる。周囲の者の衣服が強く靡き始め、アルトやハロディ、グレディエルも後退する。


「カレン様、馬車に──」

「ヴァルター、待って。風が──」


 その時だった。突如として深淵の底から、不協和音を引き裂いて黒いものが飛び出した。


 霧とも煙ともつかない黒い──靄だ。まるで堰き止めていたものが開放されたかのように一直線に空へと噴出し、曇天を割る。黒い靄は星屑のような煌めきを纏い、一瞬、目の前に星空が訪れたのかと錯覚するほどだった。


 タケルやカレン、ヴァルターはそれに見覚えがあった。海上に蠢いていた奇妙な触手。あれはその透明な体の内に、夜空のように細かく煌く黒い靄を閉じ込めていた。今目前で空に向かい、柱のように吹き上がっているのはまさにそれと酷似していた。


 吹き上がる靄とともに、不協和音が乱反射する。身の毛も弥立つ音の塊が、全身に鋭い刺激を呼び起こす。風と音が周囲の者の動作と意識を奪い、誰もがその場に留まったまま、空に伸びる黒柱を見上げていた。


──やがて、突如として靄の柱が霧散した。同時に風も音も消えたが、タケルは耳鳴りの余韻に顔を顰める。瞼が熱を広い、誘われるままに空を見上げれば、靄が割った雲間から光芒が差し込んでいた。それが靄に混じっていた粉のような煌めきを反射させ、一転して幻想的な光景が辺りに広がる。しかし穴だけは深淵を湛えたまま静かに残され、その相反する二つの景色が、言い知れない戦慄を手招きしていた。


「──フォンタナ卿!」


 騎士の叫びにも似た呼びかけに、外套で身を守っていたグレディエルが素早く視線を送る。だがそうするまでもなく、周囲を取り囲む結界標が光を帯び始める。杖の先端に仕込まれた石が翠色に発光し、それは鼓動するかのように点滅して、やがて消えていく。一見して難は去ったかのように辺りには静寂が訪れたが、わずかな不穏はその場に留まり続けているようだ。その証拠に、誰もが直感的にそれを肌で感じ取り、怪訝な眼差しで周囲を見渡していた。


「……今のが、君たちが海で見たっていう……?」


 空を見上げていたハロディが、呆けた声でその瞳をタケルたちに下ろす。船上で海の異形を見た三人は視線を交わし、頷いた。


「──正確に言えば別物だったが、今吹き上がったものを触手の内に収めたような化け物だった。しかし、倒した後に吹き出たものは同じものだったように思う」

「……ってことは、これって──」


 ヴァルターの捕捉にハロディが顎を摘んで俯いた時、側で喉を鳴らすような笑い声が小さく漂う。タケルたちの視線が、その出所であるグレディエルに集中した。


「フフフ……まさか、本当に因果が存在するなんて」

「何だって?」


 体裁を忘れ、ハロディが顔を顰める。するとグレディエルは風に煽られた髪を軽く整え、顎を摘んで口角を上げた。


「おやおや、惚けずとも結構。──あなた方もお気づきになったのではありませんか?…… ”彼”に、この異変との因果があるということに」


 温度を捨て去った青い瞳が、真っ直ぐにタケルに向けられる。タケルは思わず、胸元の合わせ目を握り締めた。


「お、俺──?」

「その通り。先ほども申し上げたではありませんか。異形が消えたという日から今この時まで、この場には何も変化が無かったと。──ですが貴方がここに訪れた途端、突然の嵐のように異変は舞い降りた。これではやはり、貴方と異変には因果があったのだと疑わずにはいられません。……そうではありませんか?」


 タケルは少なからず動揺した。これまで視線を逸らしてきたものが一気に押し寄せてきたかのような事態に、焦燥を覚える。激しくなっていく動悸に、胸元を握りしめる手に更に力が篭った。


「──これが、俺のせいで、起きたこと……?」

「そう恐れずともいいでしょう。まだ今の現象が災厄であるかどうかなど、分かり得ぬことです。──ですが」


 グレディエルは微笑みを湛えたままゆっくりとタケルに歩み寄り、覗き込むような視線を向けた。


「少なくとも、異変は貴方と共にある──よろしければそう推測するに足る私の見解を、これからお教えして差し上げましょうか?」


 柔らかな声で真綿を生み、冷徹な微笑みで刺してゆく。静かな、威圧にも似た牽制に気圧され、タケルの黒い瞳が戦慄く。


「……でも、俺は……俺は、何もしてないのに?」


 目の前の暗く深い大穴が、まるで自分の胸の内を暴いた産物のようにも見える。タケルは引き外すように、グレディエルの冷ややかな微笑みと対峙した。 



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