5-2
「おはよー」
「おはよう」
「おはようございます」
朝日の差し込むテラス。迫り出すようにゆるくカーブを描いた格子状の柵が、螺旋状の装飾越しに透明な堀の水を映す。その先に見えるのは、山のように小高い白亜のベルサルディア城だ。水の都特有の潤いに満ちた空気が、寝起きの頬を撫でる。テラスに用意された対のソファに腰掛けながら、タケルたちは朝の挨拶を交わした。
宿は、街の中でも城に近い堀沿いにある小綺麗な場所を選んでいた。重層構造の街らしく縦に階層が連なり、全ての部屋から堀と城が一望できる造りになっている。そのうち三部屋を取って一晩泊まり、現在は朝食のために上階のラウンジで集まったところだ。
給仕によってテーブルに食事が並べられるなか、堀側に座ったタケルが日差しを反射させる城を見上げている隣で、ハロディが大きく体を伸ばして欠伸する。それは小気味いい骨の音を伴ったものだった。
「あーあ、ひさびさによく寝た」
「野宿や馬車泊が続いたからな」
「ほんと、老体には響いたよ」
ハロディの隣では、アルトが座したまま腕を組んで目を伏せている。その向かいでハロディに応えながら、ヴァルターがテーブルに用意された朝食を寄り分ける。
タケルは、向かいの席で同じように城を見上げているカレンを見遣る。気づいたカレンは小さく微笑み、朝食に視線を落として両手を合わせ、今度はそちらに目を輝かせた。
「見たことのあるお料理でも、食器や景色によって全く違うものに見えますわ」
「ま、ここは何ひとつとっても”お洒落”って感じだよね。僕はちょっとむず痒いかも」
野菜の葉にフォークを刺して翳しながら、ハロディが小さく笑う。紅茶とパン、ミルク、サラダ、卵料理と少しの肉。充分すぎる顔ぶれを見せる皿に手をつけながら、雑談を交えた食事が始まる。相変わらずタケルは肉を避けながら、繊細な味の厚みを楽しんだ。
「さて、これからどうするかをさっと決めようか。──といっても、僕から提案する形になるんだけど」
一通りの食事を終えたところでハロディがソファに深く座り直し、背もたれに寄りかかる。彼の言う通り、この場にいるのはアルト以外、異国の人間だ。カレンが小さく頷き、ヴァルターが促すような視線をハロディに向けた。
「イルダリアはこの大陸の最北にあってね。王様が言ってた通り、その手前の森に行くのにも……ここからだと結構な日数がかかるんだ」
「自治区、と言っていたようだが」
「うん。イルダリアへの道を遮ってるのがエオローの森っていうんだけど、そこは神聖な森とされてるんだ。森の民と呼ばれるドレンダーっていう種族の住処でもあって、アンスールとは一線を引いてた。でも、歩み寄りの精神を持つ人々によって森周辺に街が作られて、最終的には”ファーブラー自治区”として認められた。それからは、異種族との緩衝材としての役割を果たしてた──とされてたんだけど」
「……瓦解した、とおっしゃっておりましたね」
「まあ街はまだ続いてるみたいだけど……具体的にどんな感じなのかまでは王様も知らないっていうか……どうでもよさそうな感じだったよね。流石の僕も驚いたよ」
紅茶を啜りながら、タケルは三人の会話に耳を傾ける。全て任せ切っている事を心苦しく思わないでもないが、残念ながら彼が自主的な意見を述べるには知識が無さすぎる。同じように黙っているアルトを横目に見やれば、彼女も同じようにただ紅茶を啜っていた。
「我々からすればその”異種族”という存在も未知なのだが……何故王はあそこまで、そのヴェルダ族とやらに嫌悪感を抱いていたんだ」
ヴァルターが腕を組んで眉間に皺を寄せる。すると、ハロディも寄りかかったまま腕を組んで大きく息を吐いた。
「ヴェルダ族っていうのは無限に近い魔力を持つとされ、かつては神聖な種族と崇められていた。ただ歴史をなぞると、亀裂はどうやら分断戦期に生じたんじゃないかっていう記録があるんだよ」
「記録?」
「うん。分断戦期、ヴェルダ族がアンスールの戦に協力したっていう記述がある。でもそれは、海裂災期に入ると姿を消す。で、数百年経った今でも残ってるヴェルダ族の印象が、”気難しい”とか”山に引き篭もってる”とか、王様が言ってたような”傲り昂った種族”とか、そんなのばかりだろ? つまり”かつて戦線に協力した”とされている記録が、何かがあった証拠として残っちゃってるんだよね。何があったかまでは知らないけど」
「──成程。つまり、過去の人間が吹聴したものが、未だに現代にもこびり付いているというわけか」
「そう。だから、ヴェルダ族が本当に”傲った種族”なのかどうか知る人はいない。向こうが僕ら地上の人間と断絶を望んで引きこもってる事実だけが残ってるって感じかな」
タケルは話を聞きながら、彼なりに脳内で話を噛み砕く。そして紅茶を飲み込んでからその確認のため、口を開いた。
「一緒に戦った時に喧嘩して、そこからずっと引きずってるって話か?」
「ざっくり言うとそんな感じなんだろうねぇ」
「──だが、分断戦期から数百年は経つぞ。歩み寄る時間としては充分な気もするが」
「ところがね、ヴェルダ族っていうのは千年を生きる種族と言われてるんだ。それが本当なら、分断戦期を生きた者がまだ残ってる」
「そ、それは──難しいお話ですわね」
ハロディはもう一度深く息を吐き、天を仰いだ。
「ファーブラー自治区に着いたら、そこの人間に仲介してもらって、ドレンダーを通してヴェルダ族と接触出来る──と思ってたんだけどなぁ。あくまで自治区が機能してるのが前提だから」
「森が完全に閉ざされたとあっては、ゼロからの交渉も危ういだろうな」
「そ。タケル君の存在をどうにか知らせる事が出来たとしても、しがらみが邪魔して興味すら持ってくれないかもしれない。もともと望み薄な目的だったけど、異形の出現があって、タケル君の存在があればっていう希望はあったんだ。でも、壇上にすら上がれない可能性が高いのは痛い。──君らが、それでも資金繰りをしながら従業員探しも兼ねて、このまま進みたいっていうなら別だけど」
カレンとヴァルターが顔を見合わせる。カレンは眉尻を下げて思案顔で俯き、ヴァルターも顎を摘んで低く唸る。自らの帰還がかかっているタケルも眉を寄せ、カップをテーブルに丁寧に下ろした。
「なあ、じゃあ──何があってそうなったのか知ってる人間に聞いてさ、悪かったら誤って、仲直りさせてもらうってのは無理なのか?」
タケルの発言に、ハロディは肩を竦める。
「そう出来るならそうしたいんだけどね。仲違いの切っ掛けとなった時代の人間はいないし、イルダリアから出ないヴェルダ族が突然森を閉ざす理由も無い。すると今回のことは自治区の人間が失敗したと考えるのが妥当だけど……そうなると根深い話だよ。自治区の人間がわざわざ話してくれるとも思えないし」
それ以上何も言えなくなり、タケルは黙って手持ち無沙汰に組んでいた指を動かす。堀の水面が輝くテラス席で、重い沈黙がそれを相殺する。すると、ヴァルターが再び腕を組んで顎を持ち上げた。
「確かに、相互監視の利く現地ならば街人の口も固いかもしれないが……街を離れた者はどうだろうか? 王は自治区を離れた者も多いと言っていた。──枠組みから解放された者は、往々にして口が軽くなるものだ」
「うーん、そうだねぇ……」
ハロディは目を伏せたまま黙り込む。そのまま眠ってしまうかのような姿勢だが、組んだ腕の指は小さく拍子を刻んでいた。
「望みの薄い者に知識を求めるよりも、タケルを異形にぶつけた方が早いのではないか?」
「は?」
ずっと黙っていたアルトが突然言い放った言葉に、タケルが素っ頓狂な声を上げる。カレンやヴァルターも目を丸くするが、当人は至って当然といった様子で、さらに続けた。
「毒をもって毒を制すと言うだろう。お主と異形に何か関係があるならば、敢えて接触させることで何か生じるやもしれぬぞ。異形討伐にもなるし、お主の修行にもなる」
「”お前の”修行にもなりそうだよねぇ、アルト」
呆れたようにそう言って、ハロディは身を起こした。アルトは「む」と口角を下げただけで、それ以上は口を噤む。そんな彼女に苦笑すると、ハロディはひとつ、手を叩いた。
「けどその強行突破も、一理あるっちゃあるんだよなぁ。ヴェルダ族を最終目標として、まずモルとか星の異変について調べてみる方が、タケル君の帰還に関するヒントを得られそうな気がするってのも確かなんだよ。──だからここで僕が提案するのは、一旦進路をアルマに戻すこと」
「──アルマに?」
「ここまで来たのにか?」
カレンとヴァルターがそれぞれ怪訝そうな眼差しをハロディに向ける。ハロディは二人の視線を受け止めると、カップに残った覚めた紅茶を飲み干した。
「理由は二つ。一つは、ファーブラー自治区の人間を探して事情を聞くため。君が言ったように、街から離れた人間を探るのが一番良い。けど行く当てがあるとするなら、審査の厳しいこのアンスール以外になる。それで言うとアルマにはロワーサイドがあって、あそこは格好の隠れ蓑だ。まあ、ここにあるリムもそうなるけど……到達までの難易度は圧倒的にこっちの方が高いからね」
人差し指を立て、身を乗り出して全員の注目を自分に向ける。ハロディは、八つの瞳に不敵な微笑みを返した。
「もう一つは、”モル”や”異変”について知ること。場合によっては敢えてモルと対峙してもいい。それによって僕らは、ヴェルダ族に対する交渉材料をまず確保する。もしかしたらヴェルダ族を訪ねなくても何か分かることがあるかもしれない。自治区に行ってから振り出しに戻るより、こっちの方が進展が望める。そのためには進路を戻して、異変についての進捗を聞く必要がある」
ハロディは二本の指を立てていた手を返し、窺うように、向かいに座るカレンたちに掌を差し出した。
「道中、事情を聞きながら依頼を引き受けることも出来るだろう。多くの人に関わることによって、君らのお眼鏡に叶う人材も見つかるかもしれない。このままファーブラー自治区を目指すよりは希望が持てると思うんだ。危険が伴う旅になるけど──どうかな?」
流れるように提案され、カレンとヴァルターは再び顔を見合わせた。その際、ヴァルターはカレンの瞳が、もうすでに結論を出しているのを感じ取る。
「わたくしは賛成いたします。交渉が難しい相手には、その材料を集めて挑むべし──お兄様も、そうおっしゃっておりましたから。タケル様にとっても悪くないお話なら、ですが」
カレンに視線を向けられ、タケルは背筋を伸ばす。
「あんたらが俺のこと考えてくれてんのは知ってるから、俺はそれでいいよ」
言いながら、タケルは関所での出来事を思い出していた。あの時のように、巨大な異形とまた出会すこともあるかもしれないし、自らの力が及ばないことがあるかもしれない。だがアルトの言うように、立ち向かわなければいつまでも負けるだけだ。今後否応なくモル対峙しなければならない可能性があるのなら──その時、同じような思いをしたくないのなら、強くならねばと思う。図らずもこの地に来てしまった、運命として。
固い声音での返事を受け、カレンはひとつ頷いて微笑んだ。
「では、再びアルマへと向かいましょう。思ったよりも早く、ペール様に荷台をお返しすることが出来そうですわね」
「オレも尽力するが、道中危険があった場合は全力でカレン様をお守りするのだぞ」
カレンの決断に、ヴァルターが厳しく口添えする。彼の主人はもう苦笑するしかないようで、申し訳なさそうな眼差しをタケルたちに向ける。ハロディは話が決まると、再び大きく体を伸ばした。
「その前に、まずガウリーを迎えに行かないとね。昼には出発したいし……けどどうしようかな。一応戦力としてアルトを連れて行きたいけど、異国の三人を残して行くのもなぁ」
「じゃあ、俺が着いていくよ。リムってところ、見てみたいし」
「それはそれで不安なんだよ。アルト一人にカレン様たちを任せるのはさ」
「そのように持て余される覚えはないぞ、ハロディ」
「というか、危険とされるリムにタケルを連れていくことより、アルトをここに残しておくことの方が不安なのか。一体普段、街でどんな生活をしているんだ」
目標が決まれば、話も弾む。懸念事項を連ねるハロディにアルトが不服そうに反論し、ヴァルターが呆れたように眉間を押さえる。
「こちらのことは案ずるな。アルトと二人で行ってきてくれ。ここに留まっているなら特に問題は──」
「では、全員で参りませんか?」
ヴァルターの言葉を遮り、微笑みをたたえたカレンから案が提示される。誰もが目を瞠ったが、ヴァルターだけは驚愕に、らしくもない大声を上げた。
「カレン様⁈ 一体何を──」
「わたくしも見てみたいのです。このような美しい街に、本当に危険な地があるのかどうか。それが、どのような場所なのか」
微笑みを消し、真摯な眼差しをヴァルターとハロディに向ける。カレンの声は柔らかいが、強い意志を帯びていた。その瞳と声音に、口籠るヴァルター。二人の様子を見つめたハロディは、「ふむ」と腕を組む。
「それに、目を離していることが不安ならば、目の届く場所に置く方がよいのではないですか?」
場を繋ぐように、カレンがさらに訴える。いつになく強引な彼女の様子に、タケルも眉を顰める。しかし、彼女はこれまでの旅路でも何度か強引さを見せてきたことがある。それと同じかとぼんやりと思い直す。タケルがそうして三人のやり取りを眺めていると、ハロディが降参するように両手を上げた。
「リムはロワーサイドみたいに、統制する組織がいるわけじゃないんだ。僕も実は、話に聞くだけで足を踏み入れたことが無い。だから実際、どんな危険が待ってるかも分からない。それでもその意思は固いのかな?」
「もちろんです。──とはいえ、皆様のお手を煩わせることになってしまうのですが」
「それはいいよ。何かあっても文句言わないって約束してくれるなら。……まあ、言わないだろうけどね」
「ええ。あくまでわたくしの判断で、無理を通していただくかたちですので」
「しかし──」
ヴァルターだけが尚も食い下がろうとするが、カレンは首を横に振る。そして彼女がじっとヴァルターの瞳を見上げると、喉を詰まらせて口を噤む。二人の間に互いだけの空気が流れ、最終的には言葉を呑んだヴァルターが苦渋の表情を浮かべて頷いた。
一連の様子を見ていたハロディは、何も事情を聞かずに小さく息を吐いた。タケルも無意識にそれに倣う。心の奥底では何故そこまで頑なになるのか聞いてみたい気もしたが、何も言わないハロディの手前、野暮に思えたのだ。
「──ま、行くにあたって二人には、薄汚い外套でも羽織って貰おうかな」
仕方なさそうに苦笑し、ハロディが言ったのはそれだけだった。
一行は、水の都アンスールの裏側へ足を踏み入れるための、ささやかな準備に入ることにした。




