5-1
タケルは、見えない重圧に押しつぶされそうになっていた。静かにこちらを見下ろすオルヴェイン王の翡翠の瞳が、不可思議な魔法で自分の存在を暴こうとしているような感覚だ。──自分には隠すことなど何もないのに、それを作り出されてしまうかのような。
だが、同時に湧き上がったのは怒りにも似た感情だ。周囲によって決められていく自らの価値や印象──それらは、まるでタケル自身について語らぬまやかしだ。同行している仲間たち以外から”勇者”と擬えられるたび、タケルの心は密かに小さな炎を帯びた。此度もそうだ。
タケルはその感情に任せて立ち上がった。玉座の背後に控える騎士たちが王の前に立ちはだかり、周囲を取り囲む騎士たちが身構える。そんなものには目もくれず、驚いて目を見開く仲間たちをも尻目に、タケルは叫んだ。
「──俺は、勇者なんかじゃない!」
高い天井に、声が何重にもなって響く。刻が止まったかのように沈黙が降り、そこに肩を上下させるタケルの荒い息遣いが混じる。
「……何も知らない。ただ、故郷に帰りたいだけだ──」
きつく眉間を寄せ、両手の拳を握る。訴えかけるように一心に玉座を見上げる彼の眼差しを、王は静かに受け止めた。
王がわずかに身動ぎし、片手に携えていた杖で床を鳴らす。すると、周囲を取り囲む騎士たちが腰のホルダーに構えていた杖を収め、一斉に引き下がる。カレンやヴァルター、ハロディたちが内心で胸を撫で下ろすなか、それでもタケルは王から視線を外さない。
「勘違いをするな、少年よ。私はお主を英傑や厄災にする気はない。だが、何かしらの因果があるならば相応の対処を考慮するだけのこと」
喉の奥で笑うように声を緩やかに弾ませながら、王はそう言ってタケルを制する。タケルはわずかに拳の力を緩めた。
「実際、お主が突如として何もない空間から現れたのならばそれは特異な現象だ。この星に異変が訪れているとして、その一端となっている可能性はある。そして、お主の意思など関係なく──因果は時に使命となる」
謳うように紡がれる言葉が、無風の空間に風を生む。誰の髪や服も靡かないのに、謁見の間が風に満たされているような錯覚。
「お主が何か為すことで、異変に影響を齎すこともあるかもしれん。それが救世や厄災に繋がれば、人はお主を相応に評価し、後世に伝えるだろう。そこには脚色や思惑も混ぜられる──伝承とはそういうものだ」
まるで、抑揚の無い語りの代わりに、見えない風が感情を伝えるかのようだった。タケルは、自分を見下ろす翡翠の奥に含む哀れみにも似た色を感じ、ただ閉口して耳を傾ける。
「だがまずは、我々もその災いとやらを調査せねばならん。さすればお主が災厄の一端なのかどうかも直に分かる。それまでは、私はお主を如何様にも評価はしない」
試されている──タケルはそう直感した。不可思議な現象に巻き込まれただけの自分が、この先どうなっていくのか──”お前次第だ”と突き離されたと同時に、”こちら側でどうとでも出来る”と突きつけられたような。いい知れない息苦しさを覚える。
無意識に胸を押さえたタケルの傍で、今度はカレンが静かに立ち上がった。王に向かって会釈をする彼女を、タケルは呆然と見つめた。
「崇高なるオルヴェイン陛下。わたくしは、北の地──イス大陸から参りました、カレンドラ・オルビス・コルニクスと申します。船上にて、彼に命を救っていただいた者です」
「──ほう」
カレンの隣でヴァルターが息を呑む。ハロディもカレンを見上げて一瞬目を瞠ったが、すぐに面白そうに口角を持ち上げた。
「発言を、お許しいただけますか」
「申してみよ」
王がわずかに瞼を伏せる。カレンは密かに小さく深呼吸をし、喉を落ち着かせて礼を告げる。そして、意を決した強い眼差しで王を見上げた。
「陛下のお心に留めていただきたいのです。彼は──タケル様は、決して災いなどではございません。命を救われたのはわたくしたちだけではないのです。短い間ではありますが、これまでも異形に立ち向かい、多くの方を守ってくださいました。それに何より……心根のお優しいお方です。恩返しをしたいと望むわたくしたちのことも、とても気にかけてくださいます」
声と口調は柔らかだが、凛とした意志を持った語り。彼女が時折見せる一面だ。タケルはその一面を目の当たりにするたびに、彼女をどこか遠く感じる気がした。
「ですから、例え災いと共にあったとされたとしても──タケル様自身は、決して星や……人々を陥れるような方ではありません。どうか、それだけは、お心に留めていただきたいのです」
真摯な眼差しを受け止めた王は、それでも静かにカレンを見下ろすだけだった。徹底して心の内を明かさない。彼女の訴えをしばし吟味するかのように沈黙し、やがてまた、喉の奥を揺らす。
「コルニクス──かのイス帝国の帝王が最も信を置く商家が確かそのような名であったか。その御令嬢がどのような巡り合わせで遥々この地まで来たのか……仔細は今ここで求めるものではないか。謀略の意図も読めぬしな」
王は目を細め、試すような視線をカレンに向けた。
「──先の言葉は、個人の見解ということで心に留めておくとしよう。誰もがお主のようにその少年を評価するわけではあるまい。現段階では、無害──私の判断はそれ以上にもそれ以下にもならん」
厳しい言葉ではあるが、何はともあれタケルを災厄とする見立てはひとまず回避できた──そう判断したカレンは、ほっと息を吐いて会釈をし、再び跪く。呆然と成り行きを見守っていたタケルも、王から感じた刺のような威圧感が薄れたのを感じ、腰を落とした。
「──私の用はひとまず済んだ。お主らが謁見を求めた理由を聞くとしようか」
しばしの沈黙の後、王は変わらぬ表情でこちらに話題を促す。これまでの緊迫した空気が無かったかのようだ。否、こちらが勝手に心臓を締め付けていただけかとタケルは心の中で独りごちる。現に端の方でずっと微動だにせず跪いたままのアルトは、眉一つ動かしていない。
「はい。それも彼についてなのですが──突然その場に出現するという現象について、魔法の知見を得られないかと考え、この地に参りました。必要があるならばこのまま更に北を目指し、ヴェルダ族に接触出来ればと。この不可思議な現象が解明されれば、彼を元の国に帰す事が出来ます。同時に、異形──モルの再来についても、何か示唆を得られる可能性があるかと存じます」
ハロディが、これまでの空気を一掃するかのように流暢に応える。すると、これまで常に一定だった王が今度こそ小さく笑いを漏らした。髭に隠れて口元は見えないが、頬がわずかに持ち上がり、肩の揺れと共に身につけている飾りが揺れている。ハロディをはじめ、タケルたちはそんな王の反応を怪訝そうに見上げた。
「その少年が突然現れる様をこの目で見ていたとて、それを魔法と結びつけることは不可能だ。何故なら、そのような魔法は古文書にも記されていない。──しかし、ヴェルダ族……か」
王は目を伏せ、しばし静かに篭った笑い声を漏らした。そして玉座に背を預けると、再び目を開く。するとその奥には、明らかな嫌悪が生じていた。
「確かにかの奢り昂った一族ならば、我々の知らぬ魔法の知識を有しているやもしれん。だが、あやつらは我々を俗物と蔑み、断絶を望んだ一族。そうやすやすとかの地までの道が開かれるとも思えんが」
「その歴史は把握しているつもりです。ですが、この少年の存在で……何か糸口が掴めないものかと」
「──無駄であろう」
言葉を被せるように、王は冷徹な言葉を投げた。ハロディが二の句を告げずにいると、王は興味深げに再び低く笑う。そして一行が戸惑いの表情を見せているうちに、更に続けた。
「仲介者として名乗りを上げた三つの街に、かつての王が自治区を与えた。長い刻をかけ、森の民”ドレンダー”とは和解の兆しを見せていたようだが……それが瓦解したとの知らせを受けて久しいのだ。それによって森は完全に閉ざされたと聞く。ヴェルダ族の地、”イルダリア”はその森に隔たれた先にある。到底辿り着けるものではないだろう」
「な、──そんなことが」
初耳だったのか、ハロディがわずかに動揺の声を漏らす。王は彼の反応に目を細めた。
「知り得ないのは無理からぬことだ。何故ならかの地はもとより禁足地。多少寂れてはいるようだが、街も消えた訳ではない。わざわざヴェルダ族やドレンダーとの対立を、市井に広める利も無い。よって、一見して自治区はそのまま、何の変哲もなく続いているのだからな」
「……そう、だったのですか」
小さく呟くように言い、眉を顰めるハロディ。カレンやヴァルターも密かに視線を交わす。細かな事情は分からないタケルも、この先の道が閉ざされているのだということだけは理解する。同時に、帰る手立てが絶たれたのではないかと焦燥を覚えた。だが、そんな彼らに希望の兆しを提示したのもまた王だった。
「──だが、そうだな。お主という特異な存在によって、かの地への道が開かれる可能性は無きにしも非ず、か。奴らがお主という存在を認めれば──あるいは」
王は真っ直ぐにタケルを見下ろした。再び値踏みされるような視線を向けられ、タケルは密かに緊張する。だが、瞳だけは怯むことなく王を見返した。
「その方法は未知だが、お主らに任せよう。ヴェルダ族との接触が、星の異変に影響を与えるやもしれん。私はその結果を見て、お主という存在を判断する」
杖が二度床を鳴らす。すると、背後に控えた騎士──ドレイヴァルが一歩前に出る。彼は王に敬礼して壇上を降りると、タケルたちに立ち上がるよう促した。
「このまま自治区に向かうも良いが、対立の後、自治区を離れた者も多いと聞く。どこへ行ったかまでは知らんがな。探してみるのも良いかもしれん。私から言えるのはそれだけだ」
立ち上がるタケルたちに向けて、王の言葉が投げられる。ハロディを筆頭に一礼を捧げると、ドレイヴァルの先導で、一行は謁見の間を後にすることとなった。
ドレイヴァルの先導で、タケルたちは黙したまま城門までの道のりを歩いた。感情の読めない騎士の列を通り過ぎ、白亜の城を抜け出す。水の匂いを含んだ夜の外気は冷えていたが、張り詰めた城内の空気よりは何倍も清々しい。タケルはようやく真っ当に息が出来るような心地がして、その湿った空気を鼻いっぱいに吸い込んだ。
緩やかな坂を下り、城壁門へと辿り着く。ドレイヴァルはそこで足を止めると、初めて一行を振り返った。
「では、もし何か有益な情報があれば、翠誓騎士団を訪ねてくれ。道中、心して行かれよ」
厳格な低音が夜の帳を揺らす。それがタケルに、師匠である轍を思い起こさせる。むず痒い気持ちを押さえながら、会釈をして通り過ぎようとするハロディやカレンたちに続くと、背後から再び声がかかる。
「すまん、つかぬことを聞くが──魔法に長けた人物というのは、どなたか」
タケルたちは思わず顔を見合わせる。いち早く答えたのはハロディだ。
「ああ、それなんですが実は──街に入ったところで別れました。僕らも道中助けて貰ってただけで、いろいろあって、名前も聞けてないんです」
「……そうか、失礼した。行ってくれ」
わずかに眉を寄せたドレイヴァルだったが、それ以上は追求せずにタケルたちを見送った。そそくさと門を離れ、堀を渡す橋を抜け、一行は街に戻る。時間はそれほど経っていない。それでも、随分長い刻を城の中で過ごしたような疲労がどっと押し寄せた。
「はぁ、つっかれた!」
「──貴様、相変わらずよくさも当然のように嘘を吐けるな」
「そんなの、聞かれるの予想して考えておいただけだよ。さ、もうさっさと宿に行こう! おじさんもうくたくただよ」
ハロディは大きく体を伸ばし、力を抜く。ヴァルターはそんな彼に溜息を吐いたが、疲労を感じたのは同様のようで、首を捻りながらうなじを摩った。
「いけ好かん王だったな。しかし見事な気概であったぞ、タケル」
これまで黙ってついてきていたアルトが、満足げな表情でタケルの肩を叩く。「おい!」と慌てたハロディが周囲を見渡し、兵士がいないことを確認して盛大に息を吐く。
「”いけ好かん”は余計! 騎士の前で言わなかっただけ良いけど、どこで誰が聞いてるか分からないんだから」
「フン、面倒な街だ」
苦笑したタケルは、言い合いながら先を行く二人に続く。その隣を歩くカレンを見下ろすと、視線を少し彷徨わせ、頬を掻く。そして、にこにこと前方の二人を見守る彼女に小さく声をかけた。
「あの……さ、さっきはありがとな」
「──え?」
突然の礼に顔を上げたカレンだったが、すぐに思い至ってくすりと笑う。そして、小さく首を横に振った。
「当然のことですわ。わたくしもタケル様を勇者様とお呼びしたことはありますが……あんな風に、その……何と言ったらいいのでしょう? まるっきり、伝承に残されている勇者様としてお呼びしたのではないのです。それを、陛下にも分かって欲しくて、つい立ち上がってしまいました」
辿々しく告げるカレンの言い分は、タケルの心には伝わっていた。彼女から勇者と呼ばれたことがそれほど重荷にならないのは、彼女が自分を見て慕ってくれた上で出てきた言葉だからだということが、今では分かるからだ。
「俺、勇者とかそういうのは分かんないけど……帰る方法を見つける途中で困ってる奴とか居たら、それは助けたいって思うよ。あれこれ全部勇者に繋げられんのは嫌だけど……自分でこうだって思ったことは、貫きたい」
「ええ、タケル様。わたくしも同じです。しがらみの間から手を差し伸べられるなら、差し出したい」
カレンも貴族という立場なのはタケルでも分かる。これまでのヴァルターの対応などを見ても、ままならないことが多々あることは確かだった。そんな彼女が差し出してくれた手を、タケルは取った。だがその手を時に引くことで、タケルが彼女を助ける事も出来る。
「お互い様ってやつだな」
「ええ、そうですわね」
小さく笑い合う二人の背後で、ヴァルターは肩を竦めて微笑んだ。




