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眼球を赤く染めた巨体の異形はさらに腕を振り回す。その遠心力に耐えきれない足元がよろけ、腕の軌道は定まらない。関所は異形を堰き止めることが出来ず、腕が当たるたびに崩壊し、瓦礫を生む。
動かなくなった兵士を目の当たりにした他の兵士は、一瞬の出来事に尻込みし、後ずさる。側防壁の上で矢を放っていた弓兵も地上に避難し、またもや防戦一方となる。
立ち向かうのは妖刀を携えたアルトと、大杖を構えたガウリーだ。その背後にハロディも控えるが、彼はまず兵士たちを後退させ、怪我の有無を確認した。
「な、なんなんだあの化物は……⁈ エルガーはどうなった……?」
「……それについては後だ。──それより、アレは突然現れたのかい?」
兵士が震える声で紡いだ名は、壁に投げ飛ばされた者の事だろう。関所の門に阻まれてその瞬間を見ていなかったハロディだったが、駆けつけた際に視界の端に捉えた、動かない兵士の姿を即座に頭に浮かべる。さらに暴れ出した異形の仕業により、半壊した瓦礫に埋もれかけたうつ伏せの背中。光のナチュラを持つ彼は触れずとも、その兵士の奥底に秘めた魔力が最早失われていることを察していた。仔細は告げず、異形についての情報を求めることで、他の兵士の気を逸らす。
「地面が揺れた後、向こうの森の方から大きな音がしたんだ。木がどんどん折れていくような音だ。……それから砂埃が上がって、あの化け物の顔が……樹海に……」
話している間にも関所は攻撃を受け、視界は広がっていく。アルトの刀が異形の皮膚を弾く音、ガウリーが繰り出す魔法の轟音と衝撃波が直に伝わる。ハロディは更に後退を促すと、タケルたちが控える大きな瓦礫の辺りまで兵を避難させた。
「あんなものは見たことがない! 一体どう戦えば……」
「ひとまず戦いはあの二人に任せよう。戦闘馬鹿だから大丈夫。君らはひとまず、僕らの仲間の護衛を頼めるかな? あっちの武装してない二人は戦闘経験のない一市民なんだ」
「わ、分かった」
突然現れた旅人の穏やかながら力強い声に、兵士たちは即応する。ハロディは頷くと、戦線へと駆け出した。
「タケル様、タケル様もこちらに!」
中腰のまま呆然としているタケルの腕をカレンが引く。しかしタケルは前を見据えたまま微動だにしない。カレンの元へ駆けつけていたヴァルターはカレンの手からタケルの腕を引き剥がすと、強引に瓦礫の影へと連れ出した。
「ヴァルター! タケル様が……」
「まずはご自分の身を優先なさってくださいカレン様。……我々はこのような状況で、何かあっても為す術を持ちません」
冷静に諫める声がカレンの胸を突く。戦闘の経験があるとはいえ、今のタケルは弓を構えていない。それどころか呆けたように異形の方を見つめるのみで、彼女にすらその姿は無防備に見える。ヴァルターの鋭い呼びかけにも反応を示していない。珍しく舌打ちをすると、彼はカレンを兵士たちに預け、タケルの元へと走った。
「おい、どうした⁈ 何があったか知らんが、お前も一旦避難しろ!」
ヴァルターの手がタケルの肩を掴む。しかしその腕は強い力で振り払われた。
「なっ……」
思わず怯むヴァルターの目に映ったのは、悔恨と怒りが入り混じったような、歪んだ眼差し。歯噛みするように引き結ばれた口元。何も言えずに一歩後ずさると、タケルはゆっくりと立ち上がる。
「……いい」
「──何だと?」
短い否定の言葉だけを残し、タケルは尚も異形に視線を移した。暴れ狂う巨体の一体どこを見ているのか──ただ一心に前だけを見据え、弓を握り締めている。ヴァルターは眉間を寄せたものの、頑なな態度のタケルにわずかに戸惑い、ゆっくりと距離を取った。カレンの元へと戻り、焦燥を物語る溜息を吐く。これまで分かりやすかったタケルの行動の意図が、全く読めないのだ。
一方。戦線に加わったハロディは、剣を構えてガウリーの視界に入る位置で身構えた。瓦礫の破片を拳で弾きながら巨体の異形を観察する。頬や、口元に歪に取り付けられた不揃いの目玉が潰れている。その他、硬い岩肌のような皮膚にもいくつかの亀裂。二人は異形に翻弄されながらも着実に仕事をこなしているようだ。
「アルト! 最後の目を狙うのは?」
「刃が通らぬ! 此奴、瞼は無いが膜を持っている」
「なるほど……?」
よく見ればひときわ大きな目玉を、時折瞬きのように薄い膜が覆っている。それが外見に反して硬いらしい。アルトの刀は元々”斬れぬ刀”だが、衝撃すらもその膜が防いでいるようだ。
「反射神経なら意識を逸らせば楽だろうけど、生体反応なら一撃与えるのも苦労しそうだな……」
ハロディの呟きとともにガウリーの杖から再び魔力が噴出し、直線的な火柱が異形を襲う。異形の皮膚が熱を帯びて赤く変色するが、よろめくだけで倒れない。熱を持った箇所にアルトが一撃を加え、火花が散る。破片が散って多少抉れるも、決定打にはならない。
「アルト、ガウリー! ちょっと目眩しするよ」
ハロディは徐にそう告げると、返事を待たずに剣を構えたまま詠唱を開始する。アルトはその間も素早く動き続け、異形の足が縺れたところをガウリーの氷の矢が襲った。
「白熱の閃光が罪を灼く……シゲル……ウル」
詠唱が構築されるとともに、ハロディの手元が光を帯び始める。そしてそれは呪文の構築と同時に閃光となって視界を白く焼く。
目を閉じていたアルトとガウリー、ハロディ以外は強烈な光の直撃を受けて目が眩む。それは異形も同様で、奪われた視界に抵抗するように足をふらつかせた。
アルトがその隙をつき、異形の目を狙って飛びかかる。しかし、周囲を薙ぎ払うような異形の腕がそれを遮る。閃光の瞬間下りていた膜はすぐに開かれ、視界を失っているのか、小さな瞳孔を彷徨わせている。好機はまだあった。
異形の足は蹈鞴を踏むように瓦礫や隆起した大地を踏み散らし、なぎ倒す。その足元は不安定ながらもなんとか均衡を保ち、自らに向かう攻撃を避けつつも弾いていく。半壊した惻防塔は最早足かせにはならず、巨体の行動範囲は広がっている。瓦礫を越え始めた異形に、距離を取っていた兵士たちが息を呑む。近づいた地響きと咆哮を聞き、タケルだけはその場で異形を睨み上げていた。
「くそ、巨躯に反する俊敏な異形だ」
「泣き言言ってんじゃねえぞ、ソレガシ!」
「否、見定めたる末を申したまで」
主戦力の二人は猛攻を続ける。傍でハロディも補助するように攻撃を加え、異形を翻弄する。そんな光景を眺めながら、タケルは弓に矢をつがえようとした。
偶然か、──それとも必然か。タケルの瞳と異形の赤く染まった目玉がかち合った。矢をつがえようとしていた腕が跳ね、草の上に音もなく矢が落ちる。動かない標的とみたのか、異形の足取りがタケルへと向かう。まるで吸い込まれるような動きにアルトが眉を寄せ、ガウリーが舌打ちを溢す。タケルは落ちた矢はそのままに、慌てて矢筒から次の矢を取り出そうとして手間取る。彼の顳顬に冷たいものが通る。
「タケル様、早くこちらに!」
様子のおかしいタケルに向かい、意を決したカレンが再びヴァルターの手をすり抜けて駆け寄る。矢を探っていたタケルの腕を両手で掴んで引っ張ると、ヴァルターたちの元へとなけなしの力で引きずろうと試みる。ヴァアルターがそんな二人に向かって飛び出す。異形は体を揺らし、両腕で地面を叩くようにしてタケルたちに向かっていく。
──あと数歩。そこでタケルはようやくカレンの腕を強引に外すと、素早く弓に矢をつがえた。その間、ずっと視線は異形の狂った瞳へと合わされている。
ガウリーの魔法で異形の足元が次々に隆起する。しかしよろめきはするものの、異形の足は止まらない。焦ったアルトが飛びかかるも、不意の腕が彼女を弾き飛ばす。ハロディが何やら詠唱を始め、兵士たちが身構える。
視界の端に映るそれぞれの動きが、タケルには緩慢に感じられた。自らはただ異形の瞳を一心に見据え、弓を引く。ずっと脳裏に浮かぶのは、ほんの少し前に投げ飛ばされ、地に伏した兵士の姿──そしてこの世界に来る直前、目の前で刀を受けて倒れ伏した師匠──轍の姿。その瞳が色を無くした時、異形は慄くように瞬間的に動きを鈍らせた。
目玉に矢が放たれる。だがそれも膜に弾かれる。タケルは間髪入れずに二撃目を放つ。同時に、態勢を立て直したアルトから声が上がった。
「ガウリー!」
「チッ」
アルトが異形とタケルの間に飛び込むと同時、彼女の足元から風が巻き起こる。草が激しく大地に擦り付けられ、風を纏ったアルトが剛速で異形の目玉へと飛ぶ。そして、タケルの矢を受けて閉じた膜が開かれたその瞬間──アルトの一撃が命中した。
異形は苦悶の咆哮を上げ、長い腕が顔を覆う。そして徐々に後退し始めたかと思うと、これまでの進撃が嘘のようにもがき始めた。
誰もが固唾を飲み、異形の動きを窺う。程なくして異形は後ずさるままに背を向け、木々をかき分けて森へと入っていく。その姿がだんだんと茂みに消えるまで、タケルたちは立ち尽くして見守っていた。




