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月明かり差し込む林の一角、転々と落とされた荷物を回収するタケルたち。もはや持ち主は消えてしまったことを知っている彼らは複雑な心境で荷台に荷物をまとめていたが、何も知らないカラだけは別だった。
「で、あの化け物は何だったんだ? 行商人の奴はどこ行っちまったんだろう。 荷物全部投げ出して、体ひとつで逃げたのか?」
そんな彼の疑問に、誰一人確証を持って答えられる者はいない。しかし、もうあの行商人の存在が消えてしまったことだけは分かる。それをカラにどう伝えればいいものか、言葉を咀嚼する時間が必要だった。
「あー、……その、なんて言ったらいいか悩む話なんだけどね。とりあえず、君の楽器を持ち去った行商人は、今さっき消えた……って感じかな。──信じられないかも知れないけど」
「え? 今さっき……?」
楽器を抱え込んだまま、今し方黒い異形が倒れ伏して消えた場所を振り返るカラ。そこには、ぼろ布になった衣服らしきものだけが残されている。回収した荷物とその残滓だけがあの異形の正体を示しているのだが、どうやらカラは、行商人の容姿をよく覚えていないようだった。点と点を線で結びつけられず、未だ困惑に顔を歪めている。
説明を諦めたのか、ハロディは空気を一新するように手を一つ叩くと、荷車に全員を呼び寄せた。開けた場所に背を向け、早々に林を抜けるために街道に向けて歩き出す。その道すがら、後続に向けて穏やかな声で語った。星空も疎らな林の暗闇で、ランタンの灯火が幹の陰影をぼんやりと暴く。
「確実に増えてるよね。アルマやリューデの森、そしてこの場所や、カラ君が襲われた川付近。これだけでも大した事例だよ。僕は見てないけど、タケル君たちはエレヴァンを出た後や海でも遭遇してる。──危険な野獣や野盗の賞金首は今までもいたけど、まったく次元が違う。世界が、怪しい雰囲気になって来てる気がする」
「──……何の話だ?」
「お前を襲ったあの異形や、さっきの異形……あのような得体の知れない生物が、各地で目撃されている……という話だ。俺たちは戦闘経験のある者のおかげで何とか切り抜けられているが、本来、どんな生物なのか、どんな力を持っているのか──調査や検証を行うべき存在だな」
「そ、そうなのか……」
重みを増した荷車を引きながら、ヴァルターが冷静に補足する。カラはいまいち理解しきれずにいる様子だが、周りの雰囲気に呑まれるように頬を引きつらせた。
「お前も此度のことを肝に銘じて、これからは藪から棒に立ち向かうのではなく、身を守るのに徹することだ。剣の腕が嗜み程度だと言うのならな」
「ハハ……手厳しいねぇ、お兄さん」
誰に対してもブレないヴァルターの物言いに、茶化すように応えるカラ。タケルはそんな明朗闊達な彼に内心で感心しつつ、隣を歩くカレンをそっと見下ろす。珍しく口数が少ない。ぼうっと行く先を見つめていた彼女の視線は、タケルに気づくと彼を見上げ、ぎこちない笑顔を作った。
背後では、先の戦闘で吹き飛ばされたアルトをガウリーが揶揄している。妙な波長の良さを感じる会話の応酬を聞きながら、タケルは頬を軽く描いた。
「……えっと、その──疲れたか?」
「え?」
絞り出すような小声に、カレンが首を傾げる。するとタケルはむず痒そうに口を孫着かせた後、前方に目を逸らす。
「なんか、静かだから」
「……」
カレンはまじまじとタケルの横顔を見上げる。タケルはそんな彼女を横目で窺おうとして、目が合いそうになるとまた逸らす。そのぎこちない動作に、カレンは小さく吹き出すように笑った。
「心配してくださったのですね、タケル様」
「別に、なんか変だなって思っただけだよ」
即座に言い訳じみた様子で反論するタケルに、カレンの笑みが深まる。彼女がそっと前方へ視線を移すと、タケルがその横顔を見下ろす。太陽の色をした凪いだ瞳が、遠くを見据えるように、わずかに瞼を伏せた。
「──もし、あの黒い靄のようなものが、あの方の姿をあのように変えてしまったのだとしたら……と、考えていたのです。アーデン様に起きていた異変も、タケル様の一矢が無ければどうなっていたのかと」
「……ああ」
タケルは、アーデンに矢を放った時のことを反芻する。あの時は肩を撃った。だが今回は、顳顬を。どちらも反射的な動作だった。脳が相手の理性の有無を見極めるよりも早く、別の神経から無言の命令が下されたかのように、後から理解が追いつく感覚。この世界に訪れてから時折陥るあの、不可思議な──。
「あの異形が”モル”という存在で──それがかつて、ノヴァの海裂災期に各地で蔓延していたのだと想像した時……とても混沌とした時代だったのだろうと思ったのです。今その片鱗が現れているのだとしたら、それはとても恐ろしいことなのではないでしょうか?」
「……うん」
タケルは彼女の言葉に曖昧に応える。世界を案ずるような言葉に、上手く返せる考えが浮かばない。だがカレンは答えは求めていなかった。独り言のように言葉を続ける。
「なぜだか、とても気がかりなのです。何かわたくしにも出来ることがないかと、どうしても考えてしまって──おかしな話ですわよね」
その吐露は、タケルに既視感を覚えさせた。何かに突き動かされているかのような、似て非なる奇妙な感覚。だが共感を示すのも何か違う。上手く言葉を編み出せず、タケルは喉の奥で小さく唸った。
「……カレンはとりあえず、アレやるんだろ。船の、ナントカジギョーってやつ」
絞り出したようにそう言うと、カレンはまたタケルを見上げ、しばし見つめた後に目を細めた。
「そうですね。もしこの星に不穏の兆しがあるのなら、わたくしに出来ることは、ベンダバール号を素敵な客船にして、少しでもお客様を楽しませること……なのかもしれません」
後方から聞こえてくるそれぞれの声に半分耳を傾けていたカラは、そそくさと先頭を歩く二人に歩み寄る。そして口元に手を当てて密かに囁いた。
「……なあ、なんか、すげぇ居づらいんだけど」
「後ろの四人はまるっと思春期の子供たちだからねぇ」
ハロディが茶化して小さく笑う。カラは目を丸くして一度振り向き、また向き直る。そしてハロディとヴァルターをまじまじと見やってから肩を竦めた。
「今更だけど、なんか不思議な集まりだよな、アンタら」
そう吐露するカラの横で、ヴァルターがカレンの発言を盗み聞いていたのか、感極まっている。そんな彼らを前方から照らし始めたのは、月明かりの平原。いつの間にか、林の出口はすぐそこまでとなっていた。
街道に出た途端に疲労に襲われたタケルたちだったが、ひとまずはその日最後の力を振り絞り、野営先を決めることにした。程なくして丘になった部分に点在する木々の中で最も大木のある場所を選んで荷車を停め、焚き火を用意する。すっかり夜も更け、辺りがいっそう静まり返っているなか、ハロディたちギルドの三人が見張りの順番をコインで決め、会話も早々に眠りに就く。不穏だった夜は問題なく明けてゆき、月の代わりに太陽が顔を覗かせる。ひんやりとした朝露の香りとともに訪れたのは、厚い雲が空を覆う灰色の朝だった。
調理のいらない簡単なもので軽い食事を済ませ、身支度を整える。旅の準備が済んだのはいつもよりも遅い時間で、街道にはちらほらと行商人の馬車の姿が見え始めていた。
「──じゃあ、本当に世話になったな! ストレイラも無事戻ったし、怪我の功名ってやつなのかな」
「調子の良い奴だ。──いいか、ここからは自分が思っているより旅路は危険なものだと思え。無謀な真似は控えるんだぞ」
楽器を大事に小脇に抱え、カラが朗らかな笑顔を見せる。眉間に皺を寄せたヴァルターは組んでいた腕をほどき、そんな彼を指差しながら険しい眼差しで諫める。しかし理解しているのかいないのか、相変わらずこの夢追い人の若者は飄々と受け流していた。
「わかってるよ。旦那の言う通り、肝に銘じてなるべく同行者を拾ってみる。あと、無闇に危ない橋は渡らない。オレの本来の目的はエレヴァンで音楽を試すことだからな」
元々小言をものともしない質なのか、厳しい言葉の裏に隠れたものを見抜いているのか、はたまたその両方か。カラは声音ひとつ揺るがさずに明朗に笑う。
「なんだか世界が変になってるっぽいってのは何となく分かったけど、まあお互い気をつけて……縁があったらまた会おうな」
雲に覆われてなお存在を主張する太陽。そのわずかな光を背に受け、カラが片手を上げる。そんな別れ際、タケルは一歩踏み出して彼の目の前に立つと、片手を差し出した。
「その……応援してるよ。俺の師匠が言ってたんだ。”しなきゃいけない事に縛られてると思い込んで、やりたいことを手放すのは逃げだ”って。だから、上手くやれるといいな」
タケルが求めたのは握手だ。昨夜カラがそうしたのと同じように、手を差し出して待っている。カラは照れ臭そうに笑うとその手を取って、力強く何度か振った。
「──ありがとな。そっちも、どこへ向かうのか知らないけど、道中気をつけて」
「あ、待った待った」
涼やかな別れの挨拶とともに踵を返そうとしたカラだったが、それをハロディが呼び止める。出鼻を挫かれてわざとらしく肩を落とすカラを気にも留めず、懐から細い筒を取り出して彼に差し出す。細かい装飾の凹凸が施されたアイボリーの筒は、蓋の部分に優雅な真鍮の留め具が取り付けられている。書簡用のものだ。受け取ったカラは様々な角度から、まじまじとその意匠を眺めた。
「君、エレヴァンに行くならアルマを経由するだろう? 今回の礼として、ちょっと頼まれて欲しいことがあるんだ」
「良いけど、これを誰かに届けろって話?」
「そうだね。──こっちからだと君は、西門のほうからアルマに入るだろう。そしたら西門に一番近い、”三つ星亭”のペールってじいさんにそれを渡して欲しいんだ」
タケルやカレン、ヴァルターが顔を見合わせる。自分たちが世話になっていた格安の宿と、その主人の名だ。
「三つ星亭のペール……アンタからだって言えば分かるか? えっと、ハロディだっけ」
「うん、頼んだよ」
筒を懐に仕舞うと、カラは改めて礼を告げて今度こそ踵を返した。「じゃあな」と大きく手を振って、軽快な足取りで街道をリューデの方向へ去っていく。その背中を見送りながら、タケルは彼が無事にあの港街に辿り着くことを祈っていた。
「お気をつけて!」
「あ、そうだ。──君結構ピンピンしてるけど、怪我ちゃんと治ってないからね! リューデで一回医者に診てもらいなよ!」
カレンとハロディがカラの背中に言葉を投げる。戯けた身振りで受け止めると、今度こそ振り返らずに街道の人通りに混じっていく。その背が小さくなったところで、タケルは小さく息を吐いた。
「……彼奴の剣が如何程のものか、手合わせをして改めた方が良かっただろうか。腰に下げているだけなら宝の持ち腐れであろう」
「まあ君と違って、一晩でどうこうなる話じゃないからねえ」
「吹っ飛ばされてた奴から何を学ぶってんだよ」
「何だと」
「はいはいはいはい」
後方で静かに別れを見守っていたアルトを切っ掛けにガウリーが口を挟み、ハロディたち三人の毎度のやり取りが始まる。出会った当初は随分年上に感じられたアルトやガウリーも、旅を共にすることで自分とほとんど歳が変わらないのだと分かる。タケルがしみじみとそんなことを考えている横で、ヴァルターは疲労の混じった溜め息を吐く。当初は焦燥を帯びた眼差しで見守っていたカレンも、今では微笑みさえたたえていた。
「──先ほど託したのは書簡か?」
「ああうん、そうそう。王様に、モルの所感を報告しようと思ってね。──書簡だけに」
苦虫を噛み潰したような顔をして、ヴァルターは荷車の方へと去っていく。タケルは首を傾げてカレンを見下ろしたが、彼女もタケルと同じように小さく首を傾げていた。ハロディは乾いた笑いを漏らすと、肩を竦めて首を小さく横に振る。そして誤魔化しのような大袈裟な咳払いをひとつ挟んだ。
「じゃあ、僕らも出発するよ。今日中にはクラルス地方の関所辺りまで行きたいからね。そこまで行ったらようやくアンスールまであと半分だ」
さっと切り替え、一行は旅を再開するため、いつもの並びで街道へ下りる。灰色の空の下、穏やかな景色は変わらない。
しかしタケルの瞳にはその空の色が、どこか重く、まるで暗雲のようにも映っていた。




