3-7
「ここは元々手付かずの森だったんだがな。前の年に迷い込んだ奴が偶然、オーカーンが生える木を見つけたんだ。それを採取した加護もあってか、そいつは無事森を出ることが出来た。──そっから調査隊が組まれて森が開拓されて、こうして鉱脈までの道が繋がれたってわけだな」
霧の森を、朗らかなアーデンの声が通っていく。憑物が落ちたかのように声を取り戻した彼は、森に入る前と同様、何かしら語りながらタケルたちを先導した。声は腹に響くほど低いのに、語り口調が軽いので威圧感が無い。そんなアーデンの声を自然と聞き入れながら、タケルは先刻の戦闘を反芻していた。
向かってくる敵を迎え撃たなければこちらが負傷するとはいえ、人に対して矢を撃ったのは初めてだった。まして、生き物には手を出すなと轍から教えを受けていたタケルにとって、本来ならばあり得ない事だ。山の森に自作した的を狙い、自らに課した試練を克服する──それしかしてこなかった。
だが、この地──ノヴァに来てから状況は一変した。相手を倒さなければ生死に関わるという場面、「やらなければ全滅だ」と言ったアルトの言葉。否応なしに襲ってくる特異な状況を何とか掻い潜ってはいるが、それが出来てしまっている自らにタケルは驚いていた。故郷とは全く異なる風景と人々、しきたりや教えが通じない世界、見たこともない”魔法”という力。それらが弦を手放す手を軽くしているのかもしれない──ぼうっと足を進めながら、タケルはそんな事を考えた。
「──それ、王様の許可取ってるやつだよね? 伐採場や採掘場は無闇に増やせないはずだけど?」
呆れ声のハロディの声で我に返ったタケルは、疑わしげな視線をアーデンに向ける彼を見やった。少々刺のある声音に、アーデンは無精髭を撫でながら誤魔化すように笑う。
「”調査”は、アルマからの正式な依頼だぞ? 調査隊の一部もアルマの研究員だしな」
「それを口実に森に入って、先に商売始めてるってわけかい? 商魂たくましいとはこのことだね。──ま、告げ口する気は無いけどさ」
「アンタらが下層勇者ギルドで助かったよ。ロワーサイドの人間はありがたい人材揃いってよく聞くしな。いや、嫌味じゃないぞ?」
「──嫌味でなくとも、無礼なのではないか?」
「いや……ううん、だからその、何というかな、本当に悪い意味じゃねぇんだって」
溜息とともに肩を竦めるハロディに、後ろめたさが拭えないアーデン。墓穴を掘るような発言をヴァルターにまで指摘され、劣勢だ。彼が何とか体裁を立て直そうとしているうちに、一行は採掘場へと到着した。
これまで空に向かって真っ直ぐに伸びていた木々と違い、湾曲を描く古色蒼然とした大木が植生する一帯。透き通る泉や露を帯びた葉と、霧立ち込める森林に差す光芒──不気味な森は姿を変え、神秘的な天然の神殿のようだ。迷い込んだという人物は、今際の際の楽園に来てしまったと錯覚したことだろう。ある場所では野生動物が首を擡げて泉の水に口を付け、またある場所では小動物が草の間からこちらを見ている。
道に近い幾つかの古木には、添え木のように梯子が固定されている。アーデンは道を外れてそれらを通り過ぎ、手付かずの木が並ぶあたりで足を止めた。
「これは錯覚なのでしょうか? 息がしやすい気さえしてきます」
周囲を見渡しながら、カレンが感嘆の声を溢す。タケルも、故郷とはまた違った自然の神秘に感動を覚え、溜息を漏らした。
「オーカーンっていうのは清らかな場所にしか発生しないって言われてるからね。──けど、ここまで手が入っちゃったら無くなるのも時間の問題な気がするなぁ」
「そ。だから、今のうちなんだよ」
懸念を口にするハロディをよそに、アーデンは荷物から工具を取り出していく。彫刻に使うようなそれらをツールベルトに収めると、布袋もベルトに挟んで手近な木へと向かった。
樹皮の手触りを確認するように位置を特定すると、湿り気を帯びた皮を削る。ハロディたち勇者ギルドの三人が荷車に留まって見送るなか、タケルたち三人はアーデンの元へ駆け寄り、その行程を観察した。
手際良く剥がされた皮の下、白い幹に埋め込まれたような琥珀色の塊が見える。根を張るがごとく幹に浸食する姿はまるで心臓じみていて、宝石ほどに美しいはずなのに、不思議と生々しい雰囲気を帯びていた。
木の香りが辺りに充満するなか、アーデンが歪な表面を慎重に削っていく。なるべく大きな塊となるよう調節されたオーカーンは、アーデンの大きな掌に溢れるほどに収まった。
「このような石は初めて見ました。木の中にも石が生まれるのですね」
「正確にはこれは石じゃねぇらしいがな。古木が何百年もかけて生成した魔力の塊だとも言われてる」
「それは……取ってしまって大丈夫なのですか?」
「そいつは分からねぇがな。念のため、こうして傷を塞いで帰るのさ」
無駄な木屑を払ってそれを袋に収めると、アーデンはそう言って削った樹皮を元の通りに重ね、いくつかの小さな杭を打った。お座なりにも見える対処にヴァルターが眉を顰める。
「……意味があるのか?」
「さあ? だが、自然をいただくせめてもの礼と、願掛けをこめた作法だな」
道具を片付けながら受け応えするアーデンの傍で、タケルはオーカーンの入った布袋を見つめた。森の雰囲気のせいか、心なしかぼんやりと発光しているようにも見える。布越しに触れてみると、指先に微かに温度を感じた。
「──なんか、生きてるみたいだ」
「お、なかなか詩的だな坊主。まあ、”大地に触れる命あるものは須く、生きとし生けるもの”って言うからな!」
陽気に笑いながら袋を撫でるアーデン。収穫があってどうやらご満悦らしい。茶化されたように感じたタケルはむっと口を引き結び、視線を逸らして閉口した。
「おーい、まだかかる?」
引き返してくるタケルたちに、荷車に腰掛けたハロディが手を振りながら呼びかける。その後ろでは、アルトとガウリーが何やら言い合っているようだが詳細までは聞こえない。時折耳に入る「あの動き」「それはてめぇが」という単語から、先刻の戦闘についての話題らしい。二人はタケルたちが近づくとぴたりと会話を止め、一様に腕を組んだ。
「いや、これだけあれば報酬分も含めて充分だからな。日が落ちる前に戻るとしよう」
帰りは危なげなく霧の森を抜け、一行は無事リューデへと帰還した。アーデンはすぐさま鍛冶屋へ向かい、砕いてもらったオーカーンの半分をハロディに報酬として差し出し、依頼は完了となる。森の異形の謎は解けておらず、今後安全にあの森に入れるのかはまでは未だ判明していないが、アーデンはひとまず今回の収穫で満足したらしかった。
「元々あの森はあんなに霧が立ち込める場所じゃなかったんだ。勘の鋭い奴なら迷いはしないだろうが、安全な採掘場にはならんだろうな」
負傷したアーデンを医者に見せるための移動中、彼はそんなことを言った。怪我以外にも何か問題が無いか見届けるために同行していたタケルたちは、その発言に違和感を覚える。指摘したのはハロディだった。
「霧もそうかもしれないけど、変な生き物がいたじゃないか。僕らで対処出来たから良かったものの、あれで終わりとも限らない。採掘場としての調査より、そっちを先に解明した方がいいんじゃないかい?」
「──変な生き物?」
呑気に首を傾げるアーデンに、タケルたちは顔を見合わせる。記憶が混濁している様子は無い。ハロディが聞き取りをすると、どうやら彼は気づけば肩に矢を受け、傷口から漏れる黒い靄に驚愕したものの、ハロディの回復魔法でおおかたの問題は解決したと思っているらしい。体調不良が続いていた頃と比べてすっかり体も脳も軽く、「アンタの一発が効いたのかもな」とタケルの肩を叩いて自嘲した。
「俺は、魔法なんか使えないぞ」
「人は時に、痛みを受けて覚醒する生き物なんだぞ」
「──何だそれ」
茶化されたような気がしてタケルは口を尖らせたが、アーデンは心底気にしていないらしい。無事医者から適切な処置を受け、傷口や体調に問題が無いとお墨付きをもらった後は、すっかり気分を良くしてタケルたちに改めて礼を告げた。
「それじゃあ、世話になったな。俺はこれから飯でも食いながら、”コイツ”をどう売るか算段するよ。これで心置きなくエレヴァンへ向かえるよ。宿は今夜引き払うから、必要ならアンタらのために空けとくよう、店主に言っとくぜ?」
「ありがとうアーデン。ひとまずそれで頼むよ。──くれぐれも道中、気をつけて」
「こちらこそお世話になりました、アーデン様。旅の無事をお祈りしております」
医者の軒先で手を振り、去っていくアーデンの背中を見送る。その姿がすっかり道から消えたところで、ハロディは溜息とともに肩の力を抜いた。
「──なかなか現金な男だったな。商売人らしいっちゃらしいけど」
半ば呆れたように肩を竦めるハロディを、カレンは不思議そうに見上げる。
「どういう事ですの?」
「だって、足止めくらってる行商人は彼だけじゃない。なのに自分は僕らを見つけて同行させて、戦利品を得ていち早くその状況から抜け出した。残った行商には同じようにギルドへの依頼か、アルマに調査を依頼するよう勧めるだろう。何かしら布石を残しておいて、状況が動いたところに後から便乗する算段さ。”俺が戻るまで、あとはよろしく”ってことだね」
ハロディの読みに、カレンが呆けた表情を見せる。その傍で両手を腰に当てたヴァルターは深く頷いていた。
「変に噂を広められれば、ここで足止めを食らうことになるのではないか?」
「そしたら僕らは、”先にアルマに森の調査を依頼すべき”って返すだけだよ。実際あの森は調べた方がいいし、──僕らには目指すべき目的地があるんだからね。……ま、路銀に困ったら戻って来て、依頼があったら引き受けるくらいでちょうどいいんじゃないかい?」
「──貴様も大概現金な男だと思うがな」
大人たちのやり取りを聞きつつ、しかし何か諦めきれない様子のカレンは両手を胸に当てて訴えるように身を乗り出す。
「で、でも気さくで……お優しい方には違いありませんでした。オーカーンを採った後の古木に対処しておられたのも、森を思ってのことでしょうし」
真摯な眼差しを向けてくるカレンに視線を逸らしたハロディだったが、気まずそうに頭を掻きながら口にしたのは彼女への同調の念ではなかった。
「それはどうかな? それだって人間側の勝手な都合とも言えなくもない。礼を尽くすのは大事だけど、気持ちが伴わないと。相手を踏みつけておいて、靴の泥は拭いてあるから綺麗です、ってことにはならないだろう?」
「……?」
「オーカーンを拝借するのには木を削る必要がある。たとえあの対処が償いのつもりでもさ、決めてるのは人間で、相手はあくまで物言わぬ木なんだよ。それを理解せずにやれば、償いも単なる後始末でしかなくなるだろう? そういう理屈は一度許すと歯止めが利かなくなる。その辺まで理解しているかは、疑わしかったと思うけど」
「フン、かなり穿った見方にも思えるが、概ね同意見だ。──奴の言動からしても、目先の利益しか見ていないのは明らかだったからな。……カレン様、気さくだからといってその者の人となりを決定づけるのは尚早です。物品の価値を鑑定するかの如く、細部まで相手を観察しなければ足元を掬われてしまいます」
カレンほどでは無いが、アーデンを信じ切っていたタケルは彼らの意見にハッとする。息を呑んだ表情を見せたタケルに苦笑したハロディは、軽く手を叩いて場の空気を一変させた。
「純粋な君たちに言って聞かせるのは忍びない。疑り深いおじさんの意見でしか無いんだけど、まぁ──心の片隅にでも置いといてくれればいいよ」
そう言ってタケルたちの背後で沙汰を待っていたアルトやガウリーに歩み寄る。そのすれ違いざま、タケルは彼の小さな呟きを聞き取った。
「──その方が、楽だしね」
思わず振り返るが、ハロディは二人にこの後の希望を聞いていてそれに気づかない。すぐ後ろで気落ちした様子のカレンをなぐさめるヴァルターの声を聞きながら、タケルはそのダーティブロンドの後頭部を静かに見据えていた。
情報を得たためか、その晩には宿を引き払う行商人が複数いたらしい。アーデンの泊まっていた宿には他に三部屋空きが出ており、タケルたちはその晩の野宿を免れた。食事処ではヴァルターの予想通り他の行商人からも森への同行を依頼されたが、ハロディがやんわりと断りを入れる。その際、アルマへの伝達と調査隊の派遣を匂わせるのも忘れない。
それがアーデンの思惑通りなのか、本人以外は知る由もない。しかし近いうちにリューデの状況は変わるだろう。森の話を聞いた行商や町民の反応がそれを物語っていた。
報酬を手に入れた一行が目下気にするのは、森で遭遇した異形だ。首筋から下を黒く枯れさせ、ヒトのかたちをしていた得体の知れない生き物。食事の席では自然とそれが話題に上がり、楽しげな声が響く店内の一角は神妙な空気となっていた。
「あれはやっぱり”モル”だと思う。──古い本に残されてた特徴でしかないから確証は持てないんだけどね」
シチューの肉をスプーンで掬いながら、ハロディが言う。上品ながらも砕けたマナーで席を共にしていたカレンが顔を上げる。市井の店にも慣れてきたようで、ハロディたちと同行するようになってからはそれが顕著だった。
「それは、海裂災期に現れたという……異形のことだとおっしゃっていましたね?」
「そう。海が割れて、災厄が形となって人里を襲った。その影響なのか、各地で野獣が変異したような異形が散見されたって記録がある。それを、人々は”モル”って呼んでた。──ただ、ひとつ気になることがあってね」
「気になること?」
黙々と食事を進めるアルトやガウリーの横で、野菜や魚をつついていたタケルが首を傾げる。ハロディはスプーンを持つ手を止めて頬杖をついた。
「ヒトの形をしたモルの記録は、僕の知る限りじゃあ無いんだよ。黒い煙を吸って病に倒れ、死に至る──そんな記述はあった。だから当時は靄そのものが暗黒の災厄で、モルはそれが具現化したものとされていた。その正誤は不明だけど……ううん」
「貴様は”アレ”を山賊かと言っていたな? 身なりを見てそう思ったんだろうが、もし海裂災期のような黒い靄がブルーフォールから溢れ、それが大地に影響を及ぼし、かつての記述のように何かしらに具現化しているのだとしても……」
「……身なりまで再現するか? って思うよねぇ。しかも徒党を組んで僕らを襲って来たわけで……その特徴も山賊っぽい。言葉は通じなかったし獣じみてたけど、ヒトっぽいんだよね」
ハロディがヴァルターの言葉尻を継ぎ、小さく息を吐く。すると、彼の斜向かいで食事中だったアルトが空になった皿を置いて手を合わせ、顔を上げた。
「だが奴ら、跡形もなく消えたではないか。ヒトはそのように消えはせぬぞ」
「そりゃ分かってるよ。だから謎だなって話。いろいろ推測できる余地はあるんだけど、もっとちゃんと接触して検証すべき事案だよね」
「おい、進んで異形と接触するのは勘弁だぞ」
「……分かってるよ。僕らの目的はあくまでタケル君がアカツキへ変えるための道を探すことと、君らの客船事業を手伝うこと。そのためにまずアンスールを経由して、霧の谷の住人の元へ行かなきゃなんだからね」
テーブルの端でガウリーの控えめな舌打ちが聞こえたが、ハロディはそちらを一瞥しただけで取り合わない。そして食事の途中だというのに徐に懐を探り、掌に収まる程度の布袋を取り出した。
「じゃ、これその再興資金ね。僕らの取り分は抜いてあるから、これは君らの分だ」
手を伸ばして差し出してくるので、カレンが食事を中断して両手に受け取る。袋越しに掌に伝わる硬い感触、ほどよい重み。アーデンからの報酬として渡されたオーカーンの一部だ。引き寄せて袋を開き、中を覗く。店内のランタンに照らされて淡く輝く琥珀色が、カレンのマリーゴールドの瞳に反射する。
「で、でも今回の依頼は、ほとんどハロディ様にお任せしてしまっていたので……お約束とはいえ、なんだか気が引けてしまいます」
「──いいんだよ。なんたって君の存在があるってだけで、僕ら得体の知れない弱小勇者ギルドの信用度が上がるんだから」
悪戯っぽく笑うハロディに戸惑いを見せながも、カレンは大事そうに袋を閉じる。そしてはにかむように微笑み、ハロディたち勇者ギルドに向けて礼を告げた。
「いいですか、カレン様。こういう男にこそ、利用されてはいけないのですよ」
「もう、ヴァルターったら」
ハロディを揶揄するようにあからさまな発言をするヴァルター。カレンは思わずくすりと笑うと、吹っ切れたように食事を再開する。場の空気が和らいだところでふと、斜め向かいの席で黙って食事と共に必死に会話を咀嚼していた様子のタケルに気付く。そんな彼を盗み見たカレンは、まるでハロディに倣うかのように、悪戯っぽく口角を持ち上げた。
「タケル様はもっと、わたくしたちを利用しようとしてくださっても構いませんのに」
「えっ……?」
「カレン様!」
突然振られてたじろぐタケルを脇目に、ヴァルターがカレンを嗜める。ハロディはそんな異国の三人のやり取りを見て朗らかに笑った。
やがて夜は更け、タケルたちは宿の部屋にそれぞれ収まった。いつものようにヴァルターと相部屋になったタケルは、もはや日課になりつつある寝る前の流れをこなしてからハーブティを胃に入れてベッドに入る。ランタンの明かりが落とされ、暗闇が部屋を満たすと、瞼を閉じる。
その夜、タケルは夢を見た。頭が痛いと蹲っていたアーデンが、突然黒い靄を纏って襲いかかって来た時の記憶を脳が揺り起こしている。だが、夢の中のアーデンはそのまま正気を失い、容赦無くカレンやヴァルターに飛びかかった。その姿はもはやヒトとは言い難く、もともと大柄な体がさらに屈強に盛り上がり、目を暗く光らせ、その身は徐々に暗闇に覆われていく。
その瞳の間──頭部の中心にぽっかりと穴が開いている。物理的に開いているのでは無いが、確かに開いているということだけは理解する。穴の奥には、星空を塗した闇の空間がある──タケルの目はそう認識し、その視覚情報を脳に伝える。
”射たなければ”
タケルは無意識にそう思い、反射的に矢をつがえ、弓を引いた。




