3-6
周囲を取り囲むヒトらしき異形が、一行を取り囲んだまま距離を取り、落ち着きなく手足を動かしている。細い道以外は木々の生い茂る森だ。時とともに濃度を増して行くような霧も相まって視界不良のなか、暗い紫の瞳がちらつく。唸り声は、まるで森に反響するかのようにどこからともなくやって来る。姿は確実にそこにある。数も把握できる。そのはずであるのに、森全体から敵意を向けられている錯覚を覚え、静かな圧迫感が彼らを襲う。
「僕は向かって来る分を引き受ける。アルトとガウリーが仕掛けるだろうから、タケル君は弓で援護して」
ハロディがカレンとヴァルターを出来る限り、身動ぎをやめてしまったアーデンに近づける。そして荷車ごと守るように剣を構え、周囲の敵の動きを注視する。タケルは反対側を引き受けて気配を探る。相手は恐らく十体ほどだ。──身を潜めているものがいなければ。
視線を走らせている視界の端で、アルトが敵に向かって駆けた。姿勢を低く保ち、鞘に収めた刀の柄を左手に握ったまま、瞬きの間に相手の懐に飛び込む。勢いのまま刀が抜かれ、数撃を受けた相手が仰反る。相変わらずその刀の軌道は常人では捉えるのが難しい。山で野生の獣を目で追っていたタケルでも危ういのだ。
アルトは、敵が地に倒れ込む前にはもう次の敵へと駆けていた。タケルは倒れた敵に矢を向ける。刀傷どころか目立った傷ひとつ見られないが、相手は確実に痛手を負っているようだった。
アルトが森を駆ける一方で、ガウリーは道に躍り出ていた。敢えて目立つ位置に佇み、鎖を小さく鳴らす。その視線は自らの武器にのみ落とされ、無防備だ。
誘われるように飛びかかった数体が、鉄球に薙ぎ払われて地面に叩きつけられる。足元に蹲った敵を足蹴に遠ざけながら長い柄を巧みに振り回し、ガウリーはその場に留まったまま次々と襲い掛かる敵を迎え撃つ。太い鎖は意思を持つかのように空中で畝り、子供の頭ほどもある鉄球が、鎌首をもたげた蛇のごとく相手に噛みつく。時折相手の一撃を受けるも、ものともしない。
「タケル君!」
ハロディの声に我に返り、タケルは急激に迫る気配に向けて矢を放つ。わずかに視線を離した隙に、倒れていた敵が起き上がったようだ。肩のあたりに矢を受けた敵は勢いを止めるが、再び距離を取るだけで倒れない。苦痛に怯む様子もない相手に、タケルは目を鋭く細めた。
「こいつら、切りがないな!」
敵の攻撃を剣で受け流しながらハロディが舌打ちをする。彼はそうして迎え撃った敵をアルトやガウリーの方へ促しているようだ。弾かれた敵がよろめき、踏みとどまった先でアルトに一閃される。倒れた敵は地面でもがいたが、これも痛みに悶え苦しむ様子がない。満足に起き上がれない身体を必死に動かすようにして、ただその場で蠢いている。
それに向かって弓を引いた時、タケルの耳が奇妙な声を拾う。呻き声や武器の音が響くなか、低い声が何かを呟くような声だ。風に乗って不安定に耳に響く声の出所を探る。目が止まったのは、カレンとヴァルター越しの向こう──アーデンだ。
いつの間にか黙り込んでいたアーデンは、今や肩に見えない重りを背負っているかのように背を丸め、膝を曲げている。かろうじて立ってはいるが、力の抜けた両手を前に垂らし、様子がおかしい。訝しんだタケルが一歩踏み出すと同時に、アーデンは小刻みに震わせながら両手を持ち上げ、のろのろと顔を覆った。
「ああ……頭が痛ぇ、頭が痛ぇ……何で俺がこんな目に……」
苦しげに声を絞り出し、顔や頭を掻き毟る。タケルは背中に冷たいものを感じ、素早く矢を抜き取ってつがえる。カレンとヴァルターが、自分たちに向かって弓を構えだしたタケルに目を見開く。二人の顔の隙間から、紫の眼光が覗いた。
「止まれ!」
タケルが叫ぶも虚しく、弱々しい声を漏らしていたアーデンがカレンたちに飛びかかった。動きは唐突で、タケル以外は気づかない。タケルの声に肩を跳ねさせるカレンとヴァルター、横目に振り向く傍のハロディ──全ての動きをゆったりと、瞬間的に捉えながら、タケルは矢を放った。
カレンとヴァルターの間を矢が奔る。わずかに遅れてカレンが小さく悲鳴を上げる。矢はアーデンの肩に吸い込まれ、負傷した肩を押さえた彼が苦痛に顔を歪めて足を縺れさせ、蹈鞴を踏んで地面に倒れ込む。タケルは次の矢を矢筒から抜きながら、カレンたちとアーデンとの間に躍り出る。しかしその隙を突くように、彼らの脇の茂みから異形が飛び出した。
「あっ……!」
物音に振り返ったタケルが目を見開いて声を漏らす。相手の一撃が、カレンを背後に庇ったヴァルターに迫る。だがそれが彼の体に叩きつけられる寸前、彼の持つ杖から爆風が発生した。
「ぐっ……!」
「きゃあ!」
風が唸り、周囲の木々や茂みの葉が悲鳴を上げた。杖の振動にヴァルターが歯を食いしばり、カレンが頭を抑える。杖を中心に発生した暴風は周囲を瞬く間に翻弄するが、起点となったカレンたち二人に被害は無い。──だが、タケルとハロディは別だった。
「うわあ!」
「おい、ガウリー! 加減しろって!」
周囲の敵とともに巻き込まれた二人は、空中に浮かび上がって風に揉まれ、それが消えると同時に浮力を失って地面に落とされる。ハロディの叫びにガウリーは聞く耳持たずで、倒れ伏した敵の腹に柄を突きつけていた。
「む、これは……」
暴風を避け、風に煽られて隙ができた敵を仕留めていたアルトが小さく声を上げる。それがタケルの耳に届くほどに、周囲は静けさを取り戻していた。
タケルは、手放さなかった弓を引き寄せ、腰を摩りながら身を起こす。そのまま茂みの方を見やると、黒い靄が煙のように空に立ち上って行く様を見上げるアルトの姿があった。
「──消えたぞ」
彼女は首を傾げて呟いた直後、奥から飛びかかってきた異形を更に斬り付ける。衝撃に吹き飛ばされて倒れると、その異形も靄となって徐々に消えていく。ガウリーの鎖鉄球に薙ぎ払われ、柄を突き刺された異形も同様だ。もはや呻くのは、肩を押さえて蹲るアーデンのみだった。
「ああ、痛ぇ……何だこれ、どうなってんだ……?」
肩に突き刺さった矢が焼印であるかのように、彼の傷口から黒い靄が漏れ出ている。その姿は、アルマで見た異様な様子の住人とよく似ていた。
「だ、大丈夫ですか⁈」
「カレン様!」
ヴァルターの制止の声を振り切り、カレンがアーデンに駆け寄る。傷口からは黒い靄とともに出血もしている。無闇に抜けばそれが酷くなるだけだ。
「待った! ──あんた、正気なんだな?」
剣を鞘に収めたハロディがアーデンの側に屈み、触れようとするカレンを制し、苦悶の表情を浮かべるアーデンを覗き込む。アーデンは呻き声を上げながら何度か頷き、矢を引き抜こうとした。
「正気って何だ? ……ああ、この黒いやつは何なんだよ⁈ 俺の体、どうしちまったんだ!」
「わかったわかった、いいから落ち着いてよ。今それ取ってやるからさ」
「──ならば、止血帯になるものを……」
「ま、このくらいなら大丈夫」
ヴァルターが持っていた杖を荷車に立てかけて荷物を漁ろうとするが、ハロディはそれも制した。そして一思いに矢を引き抜くと、悲鳴を上げるアーデンの肩を押さえつけながら、もう片方の掌を傷口に押し付ける。
「この身に宿る記憶を呼び醒ませ。”エオ”」
ハロディが短い文言を小さく唱えると、その掌からじんわりと柔らかい光が発生する。カレンやヴァルター、タケルはもちろん、アーデンまでもが瞠目する。しばしの静寂の後、徐に退けられた掌に隠されていた傷は塞がれた。出血とともに黒い靄も止まり、アーデンが確認するように何度も傷を摩る。彼の表情はすっかり呆け、痛みが消え去ったことを物語っていた。
「す、すげぇ……治っちまった」
「治ってないよ。安静にしないとまた傷が開くから、街に戻ったらちゃんと医者に診てもらうんだね」
腕を回そうとしたアーデンにぴしゃりと釘を刺したハロディは、ひとまず状況が落ち着いたことを確認すると、額を拭って深呼吸をした。恐る恐る肩を動かすアーデンを茫然と見下ろしていたタケルは、弾かれるようにそんな彼に振り向いた。
「今のも、その……魔法なのか?」
「──そう。生体に魔力を作用させるのを得意とするのが”光”や”闇”のナチュラ持ちの特徴なんだけど、その中でもこうして肯定的だったり、積極的な側面を持つ魔力が”光”に分類されるんだ。僕はそれの使い手ってわけだね」
「……聖職者にでもなった方がいいのではないか? 光のナチュラを持つ者はそもそも希少だろう」
「……ま、宝の持ち腐れにしてるのは僕くらいだろうね」
そうこうしていると、周囲の警戒を終えたアルトとガウリーが荷車の元に戻って来た。ガウリーが無言で杖を手に取って装備し直すので、カレンとヴァルターが慌てて短く礼を言う。ガウリーは「ああ」とひとつ頷くと、腕を組んで視線を逸らした。
「本来魔法っていうのはさっきみたいに、呪文を唱えて星に呼びかけながら構築するものなんだよ。無言でバンバン魔法を放っちゃうガウリーが規格外なだけでね」
吹き飛ばされた事を根に持っているのか、ハロディが嫌味ったらしく言葉を投げる。つんと顎を背けたガウリーは何も応えない。カレンはそんな二人のやり取りに小さく笑いを溢すと、立ち上がって上衣の裾を払った。
「何はともあれ、助けていただきありがとうございました。──それで……先ほどの生き物が、採掘場を荒らしているという生き物だったのでしょうか? ──消えてしまったようですが」
カレンがアーデンに問いかけると、彼は眉間に皺を寄せて唸り、首を捻った。
「いや、俺も話を聞きかじっただけだからなぁ。ま、ひとまず採掘場まで行ってみようぜ。……ここは、”オーカーン”が採れる数少ない場所なんだ」
「”おーかーん”?」
タケルが思わずカレンを振り向く。彼女が首を横に振ると、ハロディが横から補足した。
「大地から生まれる魔石と違って、樹齢を刻んだ老木からしか採れない魔石だよ。属性関係なく魔力に反応するっていう珍しい石で、ただ持ってるなら守護になるけど、ちゃんと使おうとすると扱いが難しいって代物さ。……なるほど、行商人が手放したくない採掘場ってわけだ」
「そういうこと」
自分の荷物から布を取り出して肩を固定しながらアーデンが笑う。その隙にカレンたちが風で飛ばされたものがないか確認する間、タケルはアーデンに声をかけた。
「……悪かったな、怪我」
「ん? ──ああ、これか?」
アーデンはタケルの背負う弓を見て、矢傷を撫でながら苦笑した。
「──いや、よくわからねえが、謝るのはこっちの方なんじゃねぇか? あっちの兄ちゃんも俺が正気かどうか聞いてきたし……正直、森に入ってから意識があやふやでな」
気落ちした様子のタケルの肩を軽く叩き、アーデンはニッと口角を持ち上げる。つい先刻まで瞳を紫に光らせ、獣のように飛びかかってきた男とは思えない。タケルがじっ、とその無精髭を携えた顔を見上げていると、アーデンは肩を竦めて苦笑した。
「最近、調子が悪くてな。ったく、健康にだけは気ィ遣ってたのに参ったもんだ。慣れてねぇからすぐ苛々しちまってよ」
「……」
タケルの応えを待たず、アーデンは荷車の引き手を再び買って出る。「負傷者には任せられん」と遮るヴァルター、「お休みください」と気にかけるカレンを豪快な笑いで抑え込んだアーデンは、前方の霧の向こうを探るように視線を凝らす。
「気がかりならば、密かに注視しておくことだ」
三人のやりとりを眺めていたタケルの背後から、突然アルトが声をかけてくる。驚いて振り向くと、いつもの仏頂面にも見える静かな顔をしてタケルを追い越し、アルトは先頭集団に混じっていく。固唾を飲んでもう一度振り向くと、最後尾ではガウリーが首すじを摩りながら何度か捻り、戦闘後の身体を解している。
得体の知れない異形に対して咄嗟の行動しか出来ていない自分と違い、姿が何であろうと自主的に立ち向かっていたアルトとガウリー。互いに競い合うかのように敵を駆逐する様は圧巻だった。
「……あ?」
不意にガウリーの鋭い視線とかち合い、タケルは竦み上がるように慌てて前方に向き直る。さして気にしていないのか、そんなタケルの背後から、欠伸をするような音が聞こえた。




