第92話 久しぶりに会いたい人
下田へ行く場合、東名高速から伊豆縦貫道に入り、月ヶ瀬ICで降りるのが一般的だ。
だが今回は、父さんの希望で沼津ICで降りて、一般道で下田に向かうことになった。クネクネとした山道が続く。
何の変哲もない峠道だが、父さんは何度も喉仏を動かして、一度だけ、嬉しそうな声を出した。
鈴音は車に酔ってしまったらしい。
「う……休憩、お願いします」
鈴音の強い希望で、途中の道の駅で休憩することになった。
売店から外に出ると、刃物のような寒さが鼻先をかすめた。
「くしゅん。いくらなんでも、寒すぎでしょ」
鼻の奥がむずむずして、くしゃみが止まらない。
少し離れたベンチでは、母さんが鈴音の背中をさすっていた。
「鈴音は大丈夫そう? それにしても父さんは、なんでわざわざ一般道で行くんだろ。高速で行ったらすぐでしょ?」
母さんは、俺の方を見た。
「なんでかしらね。でも、きっとお父さんにも思うところがあるのよ。有料道が下田近くまでのびたのは、数年前だしね」
「ふぅん。そんなもんかね」
「そんなものなの」
そう言うと、母さんは微笑んだ。
すると、鈴音が顔を上げた。
「悠真は、逆さまにすると脱げるボールペンは見つかったの?」
「いや、レジのおばちゃんに、その商品は何年も前から扱ってないって言われたよ」
母さんは呆れ顔になった。
「あなたね。澪のお墓参りなんだから、少しは自重を……いや、そんなことはないか」
「どういうこと?」
「昔のことよ。澪から、お父さんへのお土産のことで相談されたの。わたしは冗談で『逆さまにすると裸になるキーホルダーがいいんじゃない?』って言ったのよ」
「どうなったの?」
「あの子、本当に買ってきちゃって。お父さんに『先生の好きそうなお土産を選びました』って」
母さんはクスクスと笑った。
その笑顔は、”女の子”だった。
「あのさ、母さん。聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「母さんは最初から父さんのことが好きだったの?」
母さんは一瞬だけ真顔になって、すぐに笑顔に戻った。
「悠真には、はぐらかしちゃダメよね。うん。お母さんは、たぶん最初から『お父さんが好きだった』かな」
鈴音が口を開いた。
「じゃあ、なんでママは、澪さんに譲ったの?」
「譲ったつもりなんてないよ。言葉にするのは難しいのだけれど、あの子は『お父さんだけ』だったから」
「ママだってそうでしょ?」
「わたしには許婚がいたの。それに」
母さんはスマホを取り出した。
画面には写真が映し出されている。
「この金髪がわたし」
母さんはそう言うと笑った。
「ママ、金髪も可愛い。少しだけ蛍に似てる」
俺も同じことを思った。
顔立ちとかじゃなく、雰囲気が蛍に似ている。
「ありがとう。でもね、この頃のわたしは、自分の実家が嫌で。男の子の友達も多くて、自分のしたいように過ごしていたの。あ、男友達って言っても、変な関係じゃないわよ?」
母さんは苦笑いをして、言葉を続けた。
「でも、あの子は亮介さんだけで、初恋だったから。いま思えば、少し羨ましくて、眩しかった……のかな」
「だからママは身を引いたの?」
母さんは首を横に振った。
「そんなカッコいいものじゃないの。ただ、わたしは自分が汚れている気がして、怖くて一歩を踏み出せなかっただけ」
「おーい。大丈夫か?」
父さんだ。
「んじゃあ、そろそろ行きましょうか。鈴音は大丈夫? 下田はもうすぐよ」
母さんはそう言うと、空を見上げた。




