第87話 それでも愛良は媚びない。
今度は渓谷へ移動する。
ここ、等々力渓谷は、都内23区で唯一の渓谷だ。
入り口からは長い階段があるので、カートは留守番だ。町内会館にカートを預けて、人力で荷物を下ろす。
すると、今度は愛良が話しかけてきた。
「あの、篠宮さん。連絡先教えていただけませんか?」
……は?
俺は脳内で、ここ数時間の愛良とのやり取りをリピートした。だが、何度チェックしても、連絡先交換に至る線が見えない。
どう考えても、俺は嫌われている。
晒されるのかゴミを送られるのか知らんが。
教えても、良い事はなさそうだ。
「ごめ」
そこまで言ったところで、朱音が言葉を被せた。
「愛良さんって、1年生なんだよね? 何組?」
愛良はメガネをあげる。
「1組ですが。なにか?」
朱音はスマホを手に取った。
「まだ分からないけど、転校したら、わたしも1組になりそうなの」
「そうなんですか」
愛良は、関心がなさそうだ。
「悠真の連絡先だったよね? うちが教えてあげる」
朱音めっ。
自分の転校のために、俺を売りやがった。
すると、愛良が小さく手を振った。
「結構です。篠宮さんの電話番号に、そこまでの価値があるとは思えませんので」
愛良さんや。さっきまで自分で俺に聞いてたじゃないですか。こいつも、朱音に負けず劣らずだ。
「そこ、レフの2人。ちゃんと光を集めてよ」
山口は面倒そうに言った。
「フフン」
愛良が鼻で笑った。
「愛良さんも。さっき、蛍さんの髪型変更するとか言ってなかったっけー? そのままになってるよ」
山口が声を張り上げた。
「す、すいませんっ」
愛良が駆け寄り、蛍の髪を下ろす。
「プッ」
俺と朱音が吹き出すと、愛良に睨まれた。
山口が珍しくイラついている。
思ったような写真が撮れていないみたいだ。
俺は空を見上げた。
たしかに渓谷の両側には木々が生い茂っていて、光が遮られている。俺はレフ板を傾けた。
レフ板の光が、鈴音の頬に落ちる木の葉の影を散らす。
「悠真。ここすごいね。水も透き通ってるし、本物の渓谷みたい」
朱音もレフ板を動かしながら、そう言った。
「いや、本当の渓谷なんだよ。作り物とか言ってたら町会の人に怒られるぞ。ところでさ」
ここは自然の癒しスポットだ。
「なに?」
「さっき、対価を渡して友達作ろうとしてたけれど、ちょっと違うんじゃないか?」
「だって、うち。そうでもしないと……」
朱音には、星野 向葵がいるじゃないか。
「まぁ、なんにせよ。良くないってことだ。って、友達少ない俺が言うなって話だよな」
「たしかに〜。でも分かった! 悠真、心配してくれて、あんやと」
朱音は少しだけ照れくさそうに笑った。
やはり、素直な子だ。
朱音は『うち、そうでもしないと』とか言ってたけれど、逆だよ。朱音は、物で友達になるような人間にはもったいない。
その点、愛良は違うタイプみたいだ。
媚びないし、プライドが高い。
それにしても足場が悪いな。
歩道は細く、舗装も十分じゃない。何日か前に雨が降ったせいで、歩道沿いの斜面は、ところどころ、ぬかるんでいる。
「朱音、足元に気をつけろよ」
歩道から水面までは、場所によっては1〜2メートルの高さがある。踏み外せば、怪我をしかねない。
ザザッと木々がざわめいて。
土の匂いが、谷を抜ける。
「あっ!」
鈴音が歩道で足を踏み外した。
咄嗟に、蛍が手を伸ばす。
ほんの一瞬の出来事。
鈴音の唇が不安に歪み、蛍の瞳が鈴音だけを捉えた。
ガシッ。
ギリギリのところで、2人は繋がった。
下ろした蛍の髪が、鈴音の顔にかかる。
「鈴音、気をつけて」
蛍は、鈴音を引き上げた。
「うん、ありがとう」
カシャカシャ。
「OK。ラストの資料館に移動しましょう」
そう言いながらもファインダーを覗き続ける山口。その口元は、ここからでも分かるくらいに綻んでいた。




