第76話 密談は下着のあとで。
「ねぇ、悠真」
今、鈴音は俺の目の前にいる。
「なんだ? 鈴音」
「朱音ちゃんがずっと見てるんだけど」
「あれは、座敷童みたいなもんだ。無視で」
「あとさ、ひとつ言わないといけないことがあって」
「なに?」
「朱音ちゃん。悠真の部屋に遊びに行くと、戦利品をわたしの枕のところに、ひとつ置いていくの」
一宿一飯のお礼にネズミを置いていく野良猫みたいだな。
朱音の方をみると、右手を持ち上げて招き猫みたいに手招きした。
(コイツ、確信犯だ)
「ちなみに、直近だと何が献上されたんだ?」
鈴音は俯いた。
「……ボクサーパンツ?」
(今後は部屋に服を脱ぎ捨てるのはやめよう。まじで)
「なんで正式名称?」
「なんとなく」
鈴音はモジモジした。
「んで、いつ戻ってくるの?」
「保管期間に受け取りに来なかった遺失物なので、返却不可です」
「保管期間が短すぎるんですが」
「生鮮食品ですので」
……。
つっこむ気すら起きない。
「お前なぁ。最近、下着が足りなくて困ってるんだけど」
俺は朱音の方を見た。
朱音はペロッと舌を出した。
いや、でも。
朱音はまだ来たばかりだぞ?
下着が減りだしたのは、結構、前からだ。
鈴音の方を見た。
(きっと、今の俺、ジト目)
鈴音はペロッと舌を出した。
(コイツも共犯か!)
まぁ、いい。
でも、これだけは言っておきたい。
「わりかしマジで困ってるから。返却不可なら、せめて、ちゃんと洗濯カゴに入れるように」
鈴音と朱音は頷いた。
「でもさ。お前ら女子だから許されてるけど。これ、男女が逆転したら、けっこうマジでヤバいから」
「えっ、そんなことないし」
鈴音は口を尖らせた。
「じゃあ、俺が逆のことしてもいいの?」
鈴音は天井を見てから、ふわりと視線を戻した。顔が赤くなる。
「悠真が、わたしの下着を? 無理! 無理無理!」
俺は朱音の方をみて言った。
「おい。そこの座敷童は、脱ごうとしない!」
「だってぇ」
朱音は指を咥えた。
「だってぇ、じゃない! あ、朱音、悪いんだけどお茶を淹れてきてくれない?」
「ご褒美は?」
「なんかお願いをひとつ聞いてやるから」
すると、朱音は軽い足取りで階段を降りていった。
(現金なやつ)
バタン。
朱音が出ていくのを見届けてから、俺は鈴音に向き直した。
「写真集の件でさ、主催者からメールが来たんだよ」
「うん」
「要点だけ言うと。①販売流通には絶対に乗らない。②受賞時の一覧は後ろ姿でもOK。③提出前にメタデータは全部落とすってさ。④終わった後も審査資料は厳重保管、外部公開なし——だって」
「そっか。なら安心だね。んで、蛍の方は?」
「多分、引き受けてくれると思う。最終的な結論は、撮影予定地を見に行って決めない? 山口に聞いたんだけど、あの神社でも撮るみたいだよ」
「わたしも、それが良いと思う。あっ、じゃあさ。前に話してた神社の掃除もしない?」
「いいかもな。それと、鈴音にひとつ、お願いがあるんだけど」
「なに? 悠真のお願いとか珍しいし。わたし、なんでも聞くよ?」
俺は部屋の片隅に置いていた紙袋を手に取った。
蛍の趣味の話については、本人の口から話した方がいいだろう。でも、少しだけ、俺も手伝いたい。
「あのさ。おれ、実は『吸血鬼っ子リリス』ってアニメが好きでさ。これ、鈴音に着て欲しいんだ。引く?」
俺は蛍から借りてきた衣装を渡した。
「別に。それって、悠真がわたしに興味があるってことでしょ? 別に。むしろ嬉しいし。そういうのが好きでも、悠真は元からアニメのオタクさんって知ってたし」
オタクに『サン付け』してくれても、そこそこ抉られる。
「いやか?」
鈴音は紙袋を抱きしめて、微笑んだ。
「ううん。そういうのもひっくるめて好きなんだよ? 世界一好きな人を、こんなことで嫌いになるわけないでしょ」
鈴音は「ちょっと待ってて」というと下の階に行った。
「朱音ちゃん。ママにお使い頼まれたみたい。しばらく大丈夫そう。せっかくだし、今、着てあげるね」
そう言うと、鈴音は自分の部屋に戻った。
俺は部屋にひとりになった。
鈴音は『大丈夫そう』って言ってたけど、朱音のお買い物とか、不安しかないんだが。
5分ほどすると、部屋のドアが開いた。
鈴音は頭をぴょこっと出した。
「どう……かな?」
そう言う鈴音は、頬をピンクにしている。
黒いドレスに蝙蝠のチョーカー。
フィッシュテールのスカートが揺れて、網タイツに影が落ちる。頭用の黒い羽根を、なぜか腰の後ろにつけている。
原作を知らないからだろうか。
着こなしが蛍と違う。
——その姿は、まるでサキュバス。
俺は、ごくりと唾を飲み込んだ。
心臓が胸の中で跳ねる。
「なんか言ってよ」
鈴音はむくれた。
「いや、なんていうか。似合いすぎてて、頭がクラクラしちゃってさ」
「それって、悩殺されてるってこと?」
鈴音は目を細めると、膝立ちで身を寄せてきた。
「近いんですけれど……」
右手の人差し指を唇に当てた。すると、肉厚な鈴音の唇が少しだけ、変形する。
「悠真。あのね」
「うん」
鈴音から、甘い匂いがする。
シャンプーとは違う、少しだけ汗っぽい匂い。そこに、かすかにホワイトムスクの香りが混ざる。
——蛍のことを、ふっと思い出した。
蛍の服を鈴音に着せる。
思った以上に『来るもの』がある。
やばい。
おれ、やばいかも。
すると、鈴音がもっと近づいてきた。
吐息が、鼻先をかすめる。ミントの香り。
鈴音は言った。
「あのね。この衣装、胸元がきつくて少し苦しいんだけど」
「……」
蛍が知ったら、本気で泣かれそうなんだが。
ガチャ。
俺と鈴音はドアの方を見た。
「お財布忘れて出てしもたんやよ。もう、うちって天然小悪魔さんやわ。って、あんたら何しとるん?」
メモ書きが床に落ちる。
そこには、朱音が立っていた。




