第73話 悪い子なんかじゃない。
「ち、ちょっと。何してるんだよ! 脱ぐなら俺、帰るぞ!」
でも、直後に疑問は解けた。
蛍はスカートを僅かに上げた。すると、網タイツの上に小さな蝶が見えた。タトゥーだ。
どういう経緯で入れたのだろうか。
蛍が辛い時に何もできなかった自分に、本当に嫌気がさす。心が抉られる気がした。
「これ。普通に引くよね?」
蛍は不安そうに聞いた。
「ちょっとビックリはしたけど、引かないよ」
内心は脱がれるのかと思ってヒヤヒヤだったけどな。
「でも、こんなのあったら、写真撮ってもらうの無理じゃん? それに、鈴音は自分を犠牲にして助けてくれようとしてるのに、ウチ、こんなんばっかり。悪い子なの。自分の過去がイヤ。全部、取り消したい……。う、うう。うぇーん」
蛍は本気で泣き出してしまった。
「抱きしめてもいいか?」
蛍は小さく頷いた。
俺は蛍を抱きしめて、背中をポンポンと叩く。そして、言葉を続けた。
「全然、悪くないよ。蛍は自分のできる範囲で一生懸命やってきたんだろ?」
蛍の肩が冷たい。
華奢で震えている。
それなのに、髪の毛からはいい匂いがする。
——ホワイトムスクのように甘くて上品な香り。
タバコ臭いこの家の中で、唯一の”救い”のように思えた。
俺は言葉を続けた。
「蛍は頑張ってる。偉いよ」
周りの大人が誰も蛍のことを褒めてあげないなら、俺が思いっきり甘やかしてやる。
「でも」
「俺は分かってるから。それに、鈴音とか朱音なんて、俺のこと『クソダサ』とか『肉団子』とか言ってたんだぜ? むしろ、蛍が一番優しいし」
「うん。ひっく」
蛍の涙は止まらない。
「それにさ。写真って着衣だぜ? タトゥー見えないようにできると思う」
「え? そうなの? ウチてっきり水着かと」
鈴音の情報伝達不足のせいで、蛍が泣いちゃったじゃないか。
部屋の中にはリリスの叫び声だけが響く。
「アニメの声優さんって、最近は声だけじゃないよな。顔も可愛いし、歌も上手いし。写真集出してる人もいる。かなり熾烈な競争の世界だと思うんだよ」
蛍は頷いた。
俺は蛍の頭を撫でながら、続けた。
「声だけで勝負するのが本来の姿だろうけど、使えるものは全部使うべきだと思う。それが本気ってことなんじゃないか?」
「うん」
「俺の空手の試合を見せてやりたいよ。マジでセコいから。カッコよく勝てるなんて1ミリも思ってないし。抜け道をついたり卑怯なことはしない。でも、ルールの中なら泥水をすすってでも勝ちたいって思ってる」
鈴音を守れる強さっていうのは、きっとそういうことなんだと思ってる。
「悠クンはどうしたらいいと思うの?」
「蛍は顔は可愛い。声も可愛い。スタイルも良い。写真で撮影に慣れたり、知名度が上げられるなら、使うべきだと思う。声優志望って伝えれば、運が良ければスカウトされるかも知れない」
「でもさ、鈴音に悪いよ」
「うちの妹は最強だから大丈夫。個人情報については細心の注意を払うし。水着とタトゥーの映り込み無しの件、山口だけじゃなく、主催者に俺が自分で確認するから。それに、なにより、鈴音自身が、蛍の力になることを望んでいる」
——そう。
あの後、鈴音の気持ちは聞いてある。
鈴音は言ったのだ。
『わたし、蛍を助けたい』
だから、家帰ったら今日のことを伝えて、鈴音と相談したい。
蛍は頷いた。
「……分かった。考えてみる」
その後は、またアニメを見て、蛍の話を聞いた。
「ウチの両親ね。ウチが小学生の頃に離婚して。そのあと、ママ絡みで悪い噂がたってウチ、小学校でイジメられてたんだ」
それがアニメにハマったキッカケか。
「そっか。俺も中学の頃、クラスの全員から無視されてたぜ? しかも、家でも鈴音にスルーされてたし。笑えない話だけどな」
俺が苦笑いでピースサインを作ると、蛍も笑った。
「ウチら、ダサいね」
「蛍はクール可愛いだけどな。俺はダサいな」
「ウチのこと、軽蔑したんじゃない?」
俺は首を横に振った。
「むしろ、蛍が身近になったよ。抱きしめちゃってゴメン」
「そうだよ。ウチ、もっと好きになっちゃうじゃん」
「ごめん」
「こういう時は、謝ることがむしろゴメンなの。ウチ、勝手に好きになって、そのうち勝手に忘れるから。これでいいの」
蛍は涙目の笑顔でピースサインを作った。
蝶か。
蝶は蛹から生まれ変わる。
きっと遠くない将来。
蛍は俺の手が届かないような、とびきりの女の子になるのだろう。そんな予感がした。




