第70話 録音ボタンと『手放したくない』
「それは、どうして?」
「ウチ、鈴音に迷惑をかけたくない」
迷惑?
どういうことだろう。
「詳しくは聞いてないけれど、家の事情で大学行くか迷ってるんだろ?」
数秒の沈黙。
俺の問いに、蛍は言葉を迷っている様子だった。
「それはそうなんだけど。ウチ、鈴音にも言えてないことがあって。ウチ的にはすごく恥ずかしいことだから。相談に乗ってくれないかな」
「俺なんかでいいのか?」
「悠クンに聞いて欲しい。お金のことだけじゃなくて、別の心配もあるの」
「込み入った話なのかな?」
「うん。わりと……」
「前に蛍と決めたことだけど、俺は鈴音に内緒にはしない。それでも、いいか?」
「うん。分かってる。どうするかは悠クンに任せる」
そんなに大切なことなら、会って話すべきだろう。
「分かった。それでいいなら、会って話を聞くよ。明日は学校、午前で終わりだったよな。放課後とかどうだ?」
俺は蛍と放課後に約束をした。
時計を見ると23時を過ぎていた。
少し前までは、隣の部屋から鈴音たちの話し声が聞こえていたが、今は静まり返っている。
「もう2人は寝たのかな。あぁ、更紗さんの宿題もあったんだ。せめてフォームの確認くらいしておかないと」
もう父さんたちも寝ているみたいだ。
廊下をウロウロするのも迷惑か。
鈴音の部屋の中を見回した。
すると、ちょうど俺の目の高さくらいの棚の上に、ぬいぐるみが置かれていた。
ピンクのブタのぬいぐるみ。
人の頭くらいのサイズがある。
的はアレでいいか。
「シッ!」
2、3回、蹴りの寸止めをしたところで、ブタに軽く当たってしまった。ブタはくるんとスピンした。
(やべっ。ブタの鼻が変形してる)
すると、ブタの下にB5くらいの冊子が見えた。ブタで隠していたらしい。冊子にはノートで作ったお手製のカバーがかかっている。
冊子は何度も開かれた癖がついていて、隙間から写真のようなものが見える。
——露骨に怪しい。
見たい。
だが、武士の情け。
この冊子は見なかったことにすべきか?
いやでも。
鈴音だって俺の部屋を好き勝手に物色している。見たっていいじゃないか。
俺は腕を組んで悩んだ。
あいつも女の子だもんな……やっぱ、覗き見は良くない。
ブタを元の位置に戻そうと持ち上げた拍子に、パラリ。
冊子の折り目がついたページが勝手に開いてしまった。咄嗟に閉じようとした視界に。
——ドレス姿の鈴音が笑っていた。
片方の肩が出ていて、スカートはレースが幾重にも重なり、巻貝のように回りながら下に落ちていくティアードデザインのウェディングドレス。
色白な鈴音によく似合っている。
「これ、更紗さんのお店で撮った写真だ」
まだ数ヶ月前のことなのに、懐かしい。
ページをめくる。
中にはスーツ姿の俺も写っていたが、目に入らない。
花嫁姿の鈴音を追って、パラパラとめくると、最後のページは、ベールを越しに見える鈴音の顔写真だった。頬がキラキラしている。艶やかな唇。
俺は写真の唇を指でなぞった。
指先に紙の冷たさが残る。
「こんなに綺麗な子、誰にも渡したくない」
気づけば、俺はそう口に出していた。
「……悠真?」
夢中でドアが開いたことに気づかなかったらしい。そこには、トレーを持った鈴音が立っていた。
なんだかすごく恥ずかしい場面を見られてしまった。俺が首裏をかこうとすると、鈴音がトレーをテーブルに置いた。
「悠真。大好き!」
鈴音は抱きついてきた。
鈴音の髪が揺れて、もぎたてのフルーツのような香りが鼻先をかすめた。
俺の胸に顔を擦り付けた。
「独り言を聞かれて、なんかすげー気まずいんだけど」
俺がそう言うと、鈴音は首を横に振った。
「そんなことない。すごい嬉しい」
鈴音はそういうと、手を握ってきた。
冷たくなった指先に、鈴音の熱が伝わってくる。
んっ。
なにやら美味しそうな匂いがするぞ。
ギュルル。
匂いに反応して、俺の腹の虫が鳴いた。
「俺、すげー腹減ってるみたい」
2人で目を見合わせて笑った。
「悠真。海苔巻きしか食べてなかったもんね。これ……」
鈴音が持ってきてくれたトレーには、たまごサンドと水筒が乗っていた。鈴音は水筒の蓋を開けると、コポコポと茶色の液体を注いでくれた。
紅茶のいい香りが漂う。
「作ってくれたの?」
「うん。朱音ちゃん寝ちゃったし、悠真お腹空いてるんじゃないかなって」
さっきは、俺はよその子かと思ったけれど、鈴音は俺のことを見ていてくれたらしい。
「やっぱ、お前は最高の妹だな」
鈴音は笑顔になった。
「あのね。さっきのまた言って欲しいな。手放したくない、みたいなの」
「いや、かなり恥ずかしいんだけど」
「お願い♡」
鈴音はそう言ってスマホを取り出した。
「おまえ、何してるの?」
「何度も聞けるように録音しとくの」
「は? そんなん、羞恥プレイの無限ループじゃん。絶対に言わないし」
「悠真のイジワル!」
鈴音は頬を膨らませた。
でも、俺の妹はやっぱり最高だ。
真ん中が鈴音です。
向かって右:蛍 向かって左:朱音
※1話用に新規で描いたイラストです。




