第68話 甘えた声。
「ママ、積もる話も沢山あるし、わたしも子供の時みたいに3人で過ごしたいの。来たばっかりで朱音ちゃんも不安だろうし、今日だけ。お願いっ」
鈴音の助け舟で、事態は急変した。
『3人なら』という条件で、母さんが今晩だけOKしたのだ。
そんな経緯で俺たちは、俺の部屋で寝ることになった。俺はベッドだが、朱音と鈴音は一段下がった床に布団を敷いている。
俺の隣は鈴音の布団だ。
鈴音は蛍から電話がかかってきて、さっき自分の部屋に戻った。
今日は満月らしい。
カーテンの隙間から、青白い月が見える。
「朱音、起きてる?」
「うん」
「あのロケットペンダント、蓋が取れちゃったんだ。ごめん」
「ううん。もともと蓋をつけるところがグラグラしてたの。開きすぎだね」
どれくらい開いてたのだろう。
「直そうとしたんだけど、うまくできなくてさ。あれ、どこで買ったの?」
「横浜の山下町の近くのお店だよ。今度、家に戻る時に直してくる」
「あ、その時、俺も行っていいかな?」
すると、ガバッと毛布をかけるような音が聞こえた。ふわっと良い匂いがする。
瑞々しくて、摘みたての花のような香り。
鈴音とも違う。
同じシャンプーを使っているのに不思議だ。
「デート?」
そう聞く朱音の声は、少しだけかすれていた。
「いや、修理だけど」
「だら」
俺はもうその意味を知っている。
俺はいま、アホと言われたのだ。
「店教えてもらったら、1人でも行けるけど」
バタバタと布団の中で暴れる音がする。
「修理でもいいから、鈴ねえはお留守番で2人っきりで行きたいんやけど。うちも悠真と2人きりになりたい……」
——朱音の甘えた声。
「お前、蓋の裏にも俺の名前を書いてたじゃん。ロケットペンダントの中身、見せられないから、自然にそうなるとは思うけど」
「悠真、いつも鈴ねえの心配ばっかりしてる」
朱音って、こんな湿ったことを言う性格だったのか。
「いや、お前の方が心配度高いよ。まじで。飴玉もらったら、知らないおじさんについて行ってしまいそう」
「わたし、そんなにお子さま? 鈴ねえみたいに胸大きくないけど、女の子に見てもらいたいの」
いや、そう見えないのは胸の問題じゃなく、『石ころトラウマ』のせいなのだが。
「むしろ、石ころの問題」
「そんな人、知らない」
「でもさ、何で俺なの?」
俺自身、なんでそんなに懐かれるのか、ちょっと不思議なのだ。
「公園で悠真がイジメられてるの見て、わたしが守ってあげないとって」
(単なる保護欲かーい!)
「公園って、駅前の公園だったよな……?」
「うん。そうだよ」
またあの公園か。
鈴音も蛍も、みんなあの公園絡みなんだが。
「でも、俺の部屋で同居希望とか、無防備すぎないか? 俺も一応は年頃の男子なんだぜ」
「……」
朱音は何も答えない。
もしかして、この一瞬で寝たのか?
朱音ならあり得る。
しかし、朱音は話し始めた。
「あのね、美岬家って、親が許嫁を決めるのがしきたりなんだ。わたしのお父様とお母様もそう。お婆様が相手を決めたの」
「それで?」
そういえば、母さんもそうだったって、鈴音が言っていた。
「だから、わたしの結婚相手もいずれ勝手に決められちゃう。今はお父様は悠真のこと気に入ってるからいい。でも、この先、どうなるか分からない」
朱音の大胆さの理由を、俺はようやく分かった気がした。
俺は右手の甲を額に乗せた。
「たしかに。現時点でも明良叔父さんが、なんで俺を気に入ってるのか不明だし」
——いつ気が変わってもおかしくない。
「だから、せめて。うち、好きな人と結ばれたいんよ」
ギュッ。
毛布の中で、朱音に指先を掴まれた。
冷たい指先。
いつの間にか、朱音は鈴音の布団に潜り込んでいたらしい。
きっと、朱音は多くを望んでいない。人生の中の僅かな時間……高校の間だけでも、好きな人と過ごせたという、束の間の思い出が欲しいだけなのだ。
俺は胸の中が切なさでギュッと締め付けられるのを感じた。心のどこかには、叶えてやりたい、そう感じている自分がいる。
俺は首を横に振った。
すると、朱音の言葉が続いた。少しだけ低い声。
「その間に後戻りできない既成事実を作ってしまえば……、ふふっ」
おーい。めっちゃ打算的じゃないか。
俺の切なさを返せ。
そもそも、俺には鈴音がいるし。
それを今の段階で伝えるべきなのだろうか。
「なぁ、朱音。実は俺は……」
「ほんとは悠真の心の中に誰かいるの分かってるし。でも、それでいいんよ。うち、シンデレラになれたら、それでいいの」
振り向いた朱音は泣いていた。
涙が月明かりでキラキラと光っている。
ぷるんとした唇。
——こいつ、こんなに綺麗だったんだ。
俺は唾を飲み込んだ。




