第65話 お風呂事変。
家の玄関を開けると、父さんと母さんに出迎えられた。
「朱音、いらっしゃい」
父さんは柄になく、『うぇるかむ』と書いたタスキを掛けて紙の三角帽子を被っている。
すると朱音はブルッと震えた。
「美岬朱音。ただいま、花嫁修行に来ましたぁぁぁ!」
『ぁぁぁ』という朱音の余韻だけがこだまする。
母さんは手を叩いた。
「朱音ちゃん。高校の間は、ここを自分のうちだと思ってくつろいでね」
「初音伯母さん大好きっ!」
朱音は母さんに抱きついた。
「伯父さんも好きっ」
父さんには抱きつかず、クネッとした。
お嬢様のくせに、世渡り上手だ。
「朱音ちゃんの荷物は、悠真の部屋で良かった? 荷物、少し整理しといたわよ。衣類は悠真の服があったところに入れといたから」
あったところ?
「そこに入ってた俺の服は?」
「女の子の下着とか、そのまま外に置いておけないでしょ? あなたの服は床に置いておいたから」
これじゃ、俺の方が居候みたいだ。
「わかった」
鈴音が視界の端に入った。
握られた拳がプルプルしている。
鈴音が声を上げた。
「ダメッ! わたしだって悠真のこと好きなんだから!」
母さんは、ニコニコしている。
「お兄ちゃんが取られるのがイヤなの? ブラコンねぇ」
「ち、違うし。わたし、男の子としての悠真を……ムグッ!」
俺は鈴音の口を押さえた。
「こいつ、ほんと何言ってるんだろうねぇ。あはは」
そうは言ってみたものの、父さんの視線が痛い。
(鈴音さん。フライングです!)
パンッ。
母さんが手を叩いた。
「お夕飯の前に、早くお風呂に入ってらっしゃい。あー、順番どうする? わたしたちは後で良いから、3人で順番を決めてね」
そこで俺は気づいた。
一緒に暮らすには、色々とルールが必要だ。
早急に決めねば。
とりあえず、今は風呂。
俺たちがジャンケンしようと手を出すと、父さんが言った。
「っていうか、一番汗くさい悠真が最後に決まってるだろうが」
たしかに。
と、いうことで、2人の風呂が終わり、俺の番になった。
上着を脱ぎ洗濯機に放り込むと、洗面台の陰にキラキラしたものが落ちていることに気づいた。
「なんだこれ?」
近づくと金属製のロケットペンダントだった。蓋がついていて開閉式になっている。
(これ、よく映画で髪の毛を入れたりしてるやつだよな?)
俺は拾い上げようとした。
……コロン。
「あ、蓋とれた」
拾ったはずみに、ペンダントの蓋が取れておちた。蝶番が曲がってるらしく、直らない。
蓋と一緒に何かが落ちた。
拾い上げると、俺の写真だった。
写真の裏には『好き好き。結婚しよう♡』と書いてある。
……これは誰の持ち物だ?
俺の前に風呂に入ったのは、鈴音と朱音。
鈴音のなら本人に返せば良い。
でも、鈴音に返して朱音のだったら?
やきもちやきの鈴音のことだ。
大変なことになるぞ?
逆に、朱音に返して鈴音のだったら?
朱音は俺と鈴音の関係を知らない。きっと本気でドン引きされる。
どちらにせよ、きっと朱音に居心地の悪い思いをさせてしまう。
一層のこと、放置するか?
だが、俺の後に入るのはきっと父さんだ。
いやいや、ダメだろ。
父さんに見つかるのは最悪のケースだ。
だから俺は、これを確実に持ち主に届けねばならない。やり直し不可のワンチャンス。
考えろ、俺。
目覚めよ、脳細胞。
——論理的推理。
普通に考えれば、これは俺の前に入った人のだ。だけれど、俺は部屋に戻ってしまったから、あの2人のどっちが先に入ったかを知らない。
客人の朱音か?
いや、年上の鈴音が先という線もある。
つまり、判定不能。
——筆跡鑑定。
俺は写真の裏の字を精査してみる。
うーん。
見たことあるような、ないような。
分からん。
残る手段は。
——臭気判定。
鈴音と俺は同じ洗剤を使っている。
鈴音のなら、洗剤の匂いが残ってるはず。
つまり、知らない匂い=朱音ということだ。
やるなら、確実に判定してみせる!
俺はロケットを摘んだ。
クンクン。
わからん。
鉄の匂いしかしない。
すると。
バタンッ!
脱衣所の扉が開いた。
鈴音と朱音だった。
「悠真ぁー?」
鈴音の声。
「な、どうしたんだよ!」
「あんた、半裸で朱音ちゃんのロケット嗅いでるとか、やばすぎ!」
「いや、これはその」
このロケット、つまりあの写真は朱音のってことだ。
「ちょっと貸しなさい!」
鈴音が、俺からロケットを奪おうとした。
このロケットは蓋が閉められない、
あの写真を鈴音に見られるのはマズイ。
くそ。
どこかに隠そうにも、パンツしか履いていない。
仕方ない!
俺はロケットを自分のパンツに隠すと、浴室に逃げ込んだ。
「ちょっとぉ。返しなさいよ! それ、朱音ちゃんの宝物なんだって」
透きガラスの折れ戸がドンドンと叩かれる。
「あとで、絶対に返すから!」
俺は風呂の中から叫んだ。
「は? 今返しなさいって!」
やばい。鈴音の怒り度が上がってきている。
すると、朱音の声がした。
「悠真。中身みた?」
「あぁ。ごめん」
「いいんよ。ちょっとだけ、恥ずかしいんやよ。あのね、鈴ねえも、色々、あんやと」
そういうと、タタッと足音がして朱音は出て行った。
「ちょっと! 朱音ちゃん。あのアホ、放っておいていいの?」
鈴音も朱音を追いかけていなくなった。
「助かった……」
俺は改めて写真を見た。
顔だけの切り抜きだけれど、これは、たぶん、空手の試合の時の写真だ。
俺はペンダントを脱衣所に戻して、浴槽に浸かった。
「ふぅー。今日はすげーハードだった」
ぼんやりと考え事をする。
空手のこと、朱音のこと、写真のこと。
考えないといけないことが沢山だ。
「……なんか、写真を勝手に見ちゃって悪かったな。大切なものらしいし。ペンダント、ちゃんと直して返すから」
それにしても。
『好き好き』かぁ。
あの乱暴者の朱音がねぇ。
俺は自分がニヤけてるのを感じた。




