第61話 美容室『西園寺』
パタパタと音がして、引き戸が開いた。
更紗さんだ。
髪型がショートに変わってる。
黒髪ロングも良かったけど、今のも良い感じだ。
「いらっしゃ……あら? 随分と可愛い道場破りさんね」
更紗さんは、朱音を見てそう言った。
「すいません。道場破る気ないです。こいつ、従姉妹です」
「ふぅん。また新しい子を追加……と」
更紗さんは耳元に口を近づけた。
でも、普通の声量。きっとわざとだ。
「あんなに『綺麗』だって言ってくれたのに、他の女の子のことばっかり見ないでよ……」
oh。
ハスキーボイス。
すると朱音がむくれて、それを見た鈴音も口を尖らせた。いちいちリアクションしてると、雑談だけで1日が終わってしまいそうだ。
「あの、髪の毛の件。ありがとうございます」
俺は頭を下げた。
更紗さんは笑顔を返してくれた。
「いえいえ。久しぶりだから失敗したらごめんね。さっき、自分の髪で手を慣らしておいたのだけれど」
それで髪型が変わっているのか。
更紗さんは、聞くまでもなく普段のカットは美容院だろう。もしかして、俺のために短く切る練習をしてくれたのかな。
「控え室は狭いから、2人は道場の方で待っててね」
道場に上がると、俺だけ控え室に通された。中には大きめの鏡があって、灯油のストーブの匂いがする。
鏡の前に丸椅子があって、座ると髪に櫛を入れてくれた。
「随分と伸びてるわねー」
「最近、切ってなかったかもです」
ストーブの上にはヤカンがあって、湯気が出ている。
シュッ、シュッ。
ハサミの刃が重なる音が響く。
「あの、更紗さんの髪型、俺のために? すごく似合ってます」
背中越しにクスクスと聞こえる。
「ありがとう。悠真って、人付き合いは下手なくせに、結構たらしだよね?」
「なっ……」
穏やかな空気。
時折、背中に更紗さんの温もりが伝わってきて、俺は懐かしい気持ちになった。
更紗さんは前とはガラリと雰囲気が変わってしまった。でも、俺は変わらずに更紗さんを慕っている。
これは、たぶん。
——俺は更紗さんを、1人の人間として尊敬してるからなのだろう。
すると、更紗さんにトントンと肩を叩かれた。
「悠真。悩み事? さっきの子、優しそうだね」
更紗さんが屈んだ拍子に、俺の耳に更紗さんの前髪が触れた。自分の心拍数が上がったのが分かって、少し気まずい。
「そうですか? 朱音はとんでもない乱暴者ですよ」
「わたしは、他人を見る目には自信があるんだ。あの子、すごく良い子だから大切にしてあげてね」
「それって、娘を託すお母さんみたいですよ?」
「……そこまで年上じゃないんだけどな」
そう言って、またチョキチョキと小気味よくハサミを動かす。俺は更紗さんに聞いてみたいことがあったのを思い出した。
あの司書さんのことだ。
「そういえば、桜坂って人知ってますか? 鷺乃谷高校のOGらしいので、更紗さんと同い年ですし、何か知ってるかなって」
すると、ハサミの音が止まった。
「まどか……?」
名字を聞いて名前が返ってきた。
親しいということか。
「はい。桜坂まどかさんです。うちの高校の図書室で働いてるんですよ」
「そっかあ。図書室ね。懐かしいな。まどか、元気にしてるの?」
ちらっと見える更紗さんの横顔。
すごく優しい目をしている。
「やっぱり知ってるんですね。どんな人だったんですか?」
「特別に親しかったわけじゃないよ。部活の空き時間に図書室で、たまに勉強してたんだけど、その時、よく偶然に会う子でさ」
よく偶然に……ね?
更紗さんはクスクスと笑って話を続けた。
「ある時、『おすすめの本はありませんか?』って話しかけられて。それからたまに世間話をすることになったんだけど。ある時、何か大切な話をされそうな雰囲気になって、わたし、話される前に制止しちゃったんだ」
桜坂さん、図書室に思い入れがあるみたいだった。たしか、好きな人を覗いていたとかそんなことを言っていたし。
「それって、好かれてたんじゃないですか? 俺の記憶では、更紗さん相当モテてましたし」
「それは分からないけど。まどかは、元気そうだった? もう結婚してたり?」
「俺も詳しくは知りませんけど。名字が変わってないし、きっと独身ですよ。知り合いなら、更紗さんの話をしても大丈夫でしたか?」
すると、更紗さんは首を横に振った。
「いや、いい。お互いに思い出の中で良いの」
会話が途切れた。
耳元ではシュッシュッというハサミの音がして、切られた髪がパラパラと床に落ちていく。
その度、鏡の中の自分の表情が引き締まっていく気がした。
更紗さんが立ち上がった。
全身の髪の毛を払ってくれる。
「さぁ。できた! どうかな?」
更紗さんはワックスで髪の毛を整えてくれると、美容院みたいに鏡を合わせて、後ろ姿を見せてくれた。
「すごい良いです!っていうか、いつもの床屋さんより全然上手!」
「よかった♡」
更紗さんは笑った。
いつも一緒にいて馬鹿騒ぎするだけが友達じゃない。会わないけどお互いを気にかけている。
——そんな関係もきっとある。
俺は少しだけ、背伸びできた気がした。




