第6話 尊い妹、ベビーカーに釘付け。
——3つのお約束。
手を繋ぐのは簡単だ。難しいのは『可愛い』を口にすること。素直になれなくて、軽口をたたいてしまう。
両親のいない夕方、鈴音はやけに近い。礼を言いたいらしくて、目は合うのに言葉が続かない。俺たちは晩飯の買い出しへ。手の温度が、いつもより少しだけ温かかった。
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最近の鈴音は、前より気軽に話しかけてくれる。
今日は両親がいないせいだろうか。さっきからチラチラと鈴音の視線を感じる。気にせずにリビングでゲームをしていると、鈴音が横に座った。
「ねっ。アンタ、暇?」
「なんだよ。いきなり」
「いや。この前はありがとう」
鈴音は俯くと、後ろ髪を束にしていじった。
「えっ?」
「だから。山瀬さんの件」
先日の買い物の時に、俺が鈴音を庇ったことで、恩義を感じているらしい。
「あぁ。別に」
「何かお礼したいんだけど」
鈴音は律儀だ。
鈴音は一度決めたことは変えない。
だから勉強もスポーツもできるのだろう。
「自分がしたくてしたことだし」
ま、夏休み明けに山瀬さんと会うのは、胃が痛くなるほど憂鬱だがな。
「だから、そうやって妹を口説かないでよ」
鈴音はそう言うと、膝に手を置いて俯いた。指先を合わせて、せわしなく動かしている。
一度も口説いたつもりなんてないのだが。
「別に本当に気にしてねーし」
すると、鈴音はむくれた。
「あのね。いま、一緒に買った下着を着てるんだけど……見たい?」
鈴音はスカートをめくる真似をした。
ごくり。
俺は唾を飲み込んだ。
(ま、妹だが)
艶やかな頬に鈴音の睫毛の影が落ちる。膝の内側の日差しが当たらない肌の色。吸い込まれるように、視線を向けてしまう。
興味がない訳がない。だが、見てしまったら自分がコントロール不能になりそう。
俺は兄だから。
お互いのために、こういう他にないのだ。
「別に」
鈴音が口元に力を入れた。
「ふーん、そうなんだ。わたしは所詮、ただの妹か」
鈴音が口を尖らせているのが見える。
俯いていても、口元は見えるし。ほんと、世話のやける妹だぜ。
「じゃあさ、何か晩飯作ってくれよ」
鈴音に何か役目を与えよう。
「うんっ。がんばるっ」
鈴音は笑顔になって、元気に部屋に戻って行った。
鈴音は同い年でも、やっぱり妹だ。
俺がゲームをしていると、鈴音がパタパタと走ってきた。部屋で料理の予習をしていたらしい。
肩には大きなトートバッグを掛けている。
何をそんなに大量に買うつもりなのだろう。
「ほら、バッグを貸せよ。俺も行くから」
俺が鈴音からトートバッグを奪うと、鈴音は笑顔になった。
2人でスーパーに向かって歩く。
途中、ベビーカーを押した夫婦とすれ違った。
ベビーパウダーのような香りで振り返ると、鈴音も目で赤ちゃんを追いかけていた。
夫婦が見えなくなると、鈴音は俺の顔を覗き込んで手を前に出した。
「手繋ぎは……お約束だし」
触れた指がプニと沈んだ。その柔らかさに、俺は鼻をかいた。
「別に、お約束だから仕方なく繋いであげるだけだし」
鈴音はそう言うと顔を背けた。
鈴音の爪は小さくてツルツルしている。
今日はネイルはしていないらしい。
こうしていると、小さかった時のことを思い出す。俺の手はあの頃よりも大きくなったけれど、鈴音の手はまだ小さい。昔はいつもこうやって手を繋いでいたのに、いつの間にかバラバラになってしまった。
俺は繋いだ手に引かれるように、顔を近づけた。
「んっ?」
鈴音が聞いてきた。
「いや、別に。ただ、鈴音と仲直りできて嬉しいなって」
「そっか」
鈴音は笑った。
この際だから聞いてしまおうか。
「あのさ。鈴音、中学に入ったくらいから、俺に冷たくなったじゃん? 何か理由とかあるの?」
自分で聞いたのに、返事が怖くて少しだけ息が荒くなった。
「え。どうして?」
「いや、なんか俺にダメなとこがあったら、気をつけたいから」
鈴音に、また嫌われたくないし。
すると、鈴音は足を止めて俺の顔を見た。そして、両手のひらで、俺の両頬をムギュっとつまんで引っ張った。
「アンタにダメなところなんてない。わたしがアンタを……好き……になっちゃったから。理由は妹じゃ彼女になれないし。悲しくて八つ当たりしてた。あのね、色々。ごめんね」
ということは、鈴音は中学の頃から俺を好きだったってことになるのだが。まじ? やばい、想定外の答えにドキドキする。
俺は頭を横に振った。
ダメだ。俺がしっかりしないと。
こいつは家族だし。ようやく仲直りできたんだ。今はそういうのを大切にしたい。
……兄だから。
「ううん。鈴音が謝ることじゃない。あのな、俺、うまく言えないんだけど、鈴音のことすっげー大切だから」
鈴音は肩にかかる髪の毛をなでた。
「うん。それが妹としてでも……。すごい嬉しい」
鈴音は手を繋ぎ直してきた。俺の手の甲を包み込むように、深く繋いでくる。
じんわりと鈴音の体温が伝わってくる。
「あ、言いそびれてたけど、その服、この前買ったのだろ? 着てくれてサンキュー」
鈴音は、はにかんだ。
「気づいてくれてたんだ。わたし、この服、可愛いから気に入ってるだけだし」
鈴音は、この前買った服を着てくれている。俺の好みの服を着てくれるとは言っていたけれど、本当にそうしてくれた。
ただスーパーに行くだけなのに。メイクして着替えてくれて。こんな兄貴想いの妹とか。
「そういうの尊すぎだろ」
やばい、つい言ってしまった。
すると、鈴音はスマホで何か調べ出した。
「AIクンが、『尊い』は死語だって。同い年なのに、ホントは年ごまかしてる?」
鈴音はケラケラと笑った。
「いや、正しい用法だから。もともと存在する言葉を、勝手に死語の国に放り込まないで欲しいんだけど!」
……はぁ。
16年間も一緒にいる男のために、こんなに服とか頑張って可愛くしてくれる女の子なんて、他にいないよ。
鈴音に本気の彼氏ができたら、どんだけ尽くすのかな。そういうのを想像しただけで、胸の中がザワついてしまう。
俺は鈴音の手を握り直した。
鈴音は、俺の顔を覗き込むと、顔にかかる前髪をかき上げた。
「アンタのためにしか、オシャレしないもん。……好きな人に可愛いって思われたいって、女の子なら普通のことでしょ?」
うちの妹は、本当に尊い。
——このあと小さな日本酒チョコ一粒が、2人の距離を溶かすなんて、俺たちはまだ知らなかった。




