第54話 両肘に花。
3巡目の全員が終わると、的前審判が鈴音の的のところに行った。
的中か失中かは、射場の脇に設置された的中表示板で分かるようになっている。
審判が何人か集まり、話している。
ごくり。
俺は唾を飲み込んだ。
的前審判が首を振り、審判委員に合図を送った。すると、的中表示板の3番の3巡目の場所に『×』と表示された。
……失中だ。
蛍が俺の袖をつかんだ。
「ねっ、なんで? 矢はちゃんと刺さってるよ? ……イジワルされてるの?」
「いや、刺さったけど、ちゃんと当たってないんだよ」
的に当たった時の鈍い音。
軌道が反ったのだろう。
枠の縁から刺さっている。
「ちゃんと正面から当たらないとダメなんだよ」
3巡目で外したのは鈴音だけだった。
的中した選手は3名。
「え、でも。残ってる人少ないし。鈴音は次の大会も行けるよね?」
蛍が縋るような顔をしている。
「いや、全国に行けるのは上位2名だけなんだよ」
俺の答えに、蛍は俯いてしまった。
固くなった唇が、前髪の隙間から見えている。
俺たちの様子を見ていた母さんは微笑んだ。
「残念だったけど、鈴音は一生懸命頑張ったし、花丸ねっ」
たしかに、俺たちが凹んでいても仕方ない。
「あぁ。そうだね。鈴音は100点満点だ」
俺も笑顔を作った。
鈴音は4位で入賞した。
——館内放送が流れる。
「以上で、本大会の全種目が終了となりますが、観覧者の皆様におきましては、授賞式終了まで、そのままご着席をお願いいたします」
1位の選手が大会委員長の前に立ち、トロフィーを受け取る。続いて、2位の子と3位の選手は銀色の楯を受け取った。
「鈴音も、何かもらえるのかな? あの楯、ちょっとカッコいいかも」
蛍はそう言ってソワソワしている。
4位以下の名前が読み上げられた。
「第4位 篠宮 鈴音選手」
鈴音が両手を出して、記念品を受け取る。
だが、受け取ったのは楯ではなくて、小さな箱だった。
鈴音が促されて箱を開けた。
中は、入賞者記章——小さなバッジだった。
「あれ、何? 鈴音は楯じゃないの?」
蛍は膝の上でギュッと拳を握った。
「そんなに力を入れたら、怪我するぞ」
俺が蛍の手を解こうとすると、逆に蛍に手を掴まれた。
「悠クンこそ、手のひらが赤くなってるよ?」
手を開いてみると、手のひらに赤い爪の跡が残っていた。手のひらの薄皮が破れたらしい。
母さんは俺と蛍の肩をポンポンと叩いた。
「2人とも、そんなに悔しがってくれてありがとうね。でも、鈴音が来たらスマイルしないと」
「だって、鈴音が可哀想じゃん。あんなに頑張ったのに」
蛍の手の甲に、ポタポタと雫が落ちた。
(……親友か)
俺が空手の試合で負けたら、斉藤は泣くのかな。いや、逆に爆笑されそうだ。
『親友っていっても色々だな』
蛍を眺めながら、ぼんやりとそんな事を思った。
すると、アナウンスが続いた。
「なお、今回の大会では技能優秀賞が選出されています。これは、弓の技術や所作、態度等がもっとも優れた選手に与えられるものです。なお、記念品の授与は、山之内選考委員から行われます」
すると、蛍が俺の太ももを叩いた。
「ウチ、あのオジサン見たことある! たしか鈴音の部屋で」
「オジサンって……」
俺も授与台の上に立つ男性の顔を見た。たしかに、鈴音の部屋で見たことがある顔だった。たしか、全日本弓道選手権大会優勝者で、かなりの有名人だったと思う。
「呼ばれた選手は、前に出てください。鷺乃谷高校 篠宮鈴音選手」
「はいっ!」
大きな声で鈴音が返事をした。
鈴音が前に出て、赤い楯を受け取った。
席に戻る時に、一瞬、鈴音がこっちを見た。
悔しそうな顔ではなくて、笑顔だった。
閉会式も終わり会場の外に出ると、テレビカメラをもったスタッフがいた。
腕章には『◯◯テレビ』と書いてある。
物陰になってしまってよく見えないが、誰か生徒がインタビューを受けているようだ。少し離れているので、声は聞きとれない。
「ちょっと、2人ともっ。あれ、テレビ局っ!! えっ、ウチも映っちゃうかも。ちょっと、トイレでメイク直してこようかな」
蛍は一生懸命に前髪の形を整えている。
だから俺は言った。
「そのままで大丈夫」
俺は周囲を見渡して言葉を続けた。
「ほら、周りを見ても、実際、蛍が一番じゃん」
パシンッ。
蛍は俺の肩を思いっきり叩いた。
「そういうこと言われると、恥ずかしいし!」
蛍は頬を膨らませている。
「もっと自信をもって、蛍ちゃん。悠真は、なんだか若い時のお父さんみたい。ふふっ。三角関係には気をつけましょうね?」
母さんはニヤニヤしている。
「さんかく? ウ、ウチの役割は?」
蛍の謎の質問。
「うーん。どちらかと言うと、わたし役かな?」
返す刀で、母さんの謎の返答。
「2人とも、勘弁してくれよ」
俺はそう言って苦笑いするしかなかった。
ヒュウ、と風が抜けた。
首元から入った冷気が、みぞおちの辺りまで入り込んでくる。
「マフラー巻いてくれば良かった。鈴音はまだかな」
俺はコートの襟を立て、そう言った。
すると、すぐ横にいた保護者の会話が聞こえてきた。
「さっきの選考委員の人、紫綬褒章も受けたことがあるすごい人なんだって。今回は、その人のお嬢さんが出てるみたい」
どうりで。
それでテレビ局なのか。
地区予選でテレビ局とか、普通は来ないし。
蛍が俺の肩を叩いた。
「ねぇ。いまインタビュー受けてるの鈴音じゃない?
俺も近づいてみる。
「あっ。みんな! すいません。わたし行かないとなので」
取材を受けている女の子が振り向いた。
鈴音だった。
「ちょっと、もう少しお話を」
インタビュアーさんが振り返る。
しかし、鈴音はヒョイっとかわすと、赤い楯をもって駆けてきた。
「わたし、頑張ったよ!」
鈴音は胸を張った。
「あぁ。すげーカッコよかった」
俺は鈴音の頭に手を置いて、そう答えた。
「えっとね」
鈴音は、肩に掛けた矢筒から、矢を取り出した。指先で矢羽の形を整えて、両手で矢を持つ。
「これは?」
俺の質問に、鈴音は少し小声になった。
「さっき後輩にも渡したんだけど、これは、その中でも一番長く使った矢なんだ。悠真にあげようって決めてたの」
「ありがとう。でも、いいのか? こんな大切なもの」
俺は弓道は素人だけれど、この矢が特別なことは分かる。
鈴音はニコッとした。
「だから、悠真に持ってて欲しい」
俺は受け取った。
指先には、金属のひやりとした感触。
十数グラムしかないはずなのに、はっきり重さを感じた。これはきっと、想いの重さ。
「ありがとう」
「……悠真の空手は、勝てますように」
鈴音が囁いた。
「えっ?」
俺はまだ正式に再開した訳じゃない。
だから、そんな想いは引き継げない。
——だが。
「あの、もう少しお話を」
さっきのインタビュアーのお姉さんが、追いかけてきた。
「えっ。まだ何か用? わたしさっき答えたのに。怖い」
鈴音の声は震えていた。
きっと、追いかけられた理由が分からないのだろう。
俺には分かる。
それは、こうだ。
「参加選手の中で、鈴音が一番可愛いからだよ」
「悠真もそう思ったの?」
鈴音の声から震えが消えた。
「あぁ。観客を含めても、鈴音が圧倒的に一番」
ギュッ。
鈴音が抱きついてきた。
左肘に鈴音の体温を感じる。
「ちょっと! 悠クン。さっきウチが一番っていったじゃん! 鈴音の方が可愛いのは分かるけど『圧倒的』は納得いかないんですけど?」
蛍が不満そうな声を出した。
(……確かに、そんなこと言ったかも)
「ごめん、0.5点差だった」
「は? ちょっと。それじゃ、誤差の範囲内じゃんっ!」
今度は鈴音がギュッと胸を押し付けてくる。
すごく不満そうだ。
それを見た蛍も、身体を押し付ける。
右肘に柔らかい、たわわな感触。
——両手に花。
それはまさしく、今の俺。
そして、目の前にはテレビカメラ。
「テレビカメラに赤い光がついてるんですけれど、録画中なんですか?」
俺は恐る恐る聞いた。
すると、インタビュアーさんのお姉さんは、何故か小声になった。
「えっと、実はいま、生中継中でして……」
俺は、お姉さんの腕章を見た。
◯◯テレビは、キー局だ。
俺の脳細胞にブーストがかかる。
思考が加速していく。
キー局。
それは、放送ネットワークの中心であり、主に東京にある民放5社をさす。
そして俺の両肘には、ならんで口を尖らせる2人の美少女。
——つまり、この状況はきっと。
「これ全国に映ってるの?」
鈴音と蛍は、そう声を揃えた。
あたふたと髪型を整え、カメラに向かって満面の笑顔。
やたら息がピッタリ。
そして、無駄に可愛い2人。
まじか。
俺、終わったかも。




