第52話 鈴音の冬。
——弓道大会、地区予選当日。
俺と蛍と母さんは、とある体育館にいた。
周りの忙しない声。
それはまるで、無音の時の耳鳴りのようで。
否応なしに、俺の心の中をざわつかせる。
「今年は日程が変更になったんでしょ? 指もかじかむし、出る子は大変よねぇ」
母さんが指を擦り合わせながら、そう言った。
「うん。鈴音、意外に気が小さいところあるから、ウチ心配」
蛍はバイトを休んで来てくれている。
話を聞いていた母さんは、蛍の手をそっと握った。
蛍は何度も家に遊びにきていて、母さんとも仲が良い。
ま、その頃の俺は空気扱いだったが。
開会式が始まり、偉そうなおじさんの挨拶が終わると予選が開始された。
「ねぇ。悠クン。鈴音は何番目なの?」
「3組目だよ」
5名1組で入場して、横に並ぶ。
「みんな、ゆっくりしてるけど」
蛍は首を傾げた。
「あれは射法八節っていう作法だよ。元々、武道だからね」
「へぇ。なんかかっこいいね! んで、たくさん当たった人が勝ち残るかんじ?」
「4射して3本命中で勝ち抜き。決勝だけは射詰競射っていって、外したら脱落していくんだ。2位までに入れば、全国行きだよ」
「全国? すごいじゃん。ウチ、応援にいけるお金あるかな……」
2組目も終わり、次は鈴音の組だ。
「直接、声をかけられたらいいのにね」
俺はそう言いながら、今朝のことを思い出した。
********
朝、5時過ぎ。
鈴音は、キッチンのテーブルに座っていた。
母さんは父さんを送るために出ていて、家には俺と鈴音の2人だけだ。
「おはよ。悠真。そこにあるの悠真の朝ごはんだから。ママ、大会の応援には間に合うって」
そう言って鈴音は、焼き魚を箸でつついた。
テーブルには、焼き魚と豆と蓮根の煮物、それとお茶碗が並んでいる。
俺は味噌汁を火にかけ、鈴音の向かいに座った。鈴音は……、いつも通りだ。
「あれっ」
鈴音の声で振り返ると、鈴音のご飯の上に大豆が落ちていた。
「んっ」
鈴音が摘みなおそうとすると、豆はまた落ちて、ころんと転がった。
箸先が震えている。
すると、鈴音は苦笑いした。
「なんか、うまくつかめないみたい」
「どうかしたのか?」
「怖いの。わたしが失敗したら……出たいのに出れない子に悪いよ」
「弓道部、人数多いもんな」
「うん」
鈴音のスマホが光った。
「蛍からだ。応援、来てくれるって」
「よかったじゃん。ほら、あーんして」
俺は豆を箸で挟んで、鈴音に差し出した。
「えっ?」
鈴音は戸惑った様子だったが、何度か瞬きをしてから俯いた。
鈴音は喉を微かに動かすと、口をあけた。
「あーん……したよ?」
「ほれ」
俺は豆を鈴音の口に放り込んだ。
「……愛が足りない。なんか放り込まれたし」
鈴音の頬が膨らんだ。
「じゃあ、見本をみせてよ」
俺の言葉に、少し悩む様子の鈴音。
「ええっ、どうしようかなあ?」
よかった。
笑顔から強張りが消えた。
鈴音は大豆をつまむと、豆にキスをした。
「おいしくなーれ」
そう言って差し出してくれる。
「これ、食べないとダメ?」
「いじめると……泣くよ? わたしが泣いて大会で失敗したら、悠真のせいだからね!」
すごい圧だ。
「わかったよ。あーん」
俺は鈴音の豆を食べた。
美味しくなったかは分からないが、いつもより甘く感じた。
「おいしい?」
俺は、そう聞く鈴音の髪に触れた。
鈴音は、くすぐったそうに肩をすくめる。
「ああ。震え止まったな」
「ほんとだ。悠真。ありがとう。いつもいつも、ありがとう」
「どういたしまして。俺も応援行くから」
「やったぁ。自信でてきた!」
そう言うと、鈴音は自分の部屋に戻った。
5分ほどすると、2階からドアが開く音がした。
俺が食事をしていると、学校のジャージを着た鈴音がチラッと見えた。
鈴音は下駄箱から自分の靴を出して、上がり框に腰をかけた。
足元には白いスニーカーが見える。
「あれ、うまく結べない。おにいちゃん、靴紐結んで」
鈴音は紐を持っていた手を離した。
「仕方ないやつだな」
俺は玄関の床におりて、膝をついた。
靴紐を結んであげる。
「おにいちゃん」
見上げると鈴音が両手をひろげていた。
「抱きしめろって?」
鈴音は何度も頷く。
俺は鈴音を抱きしめた。
すると、鈴音が耳元で囁いた。
「もっと強く」
俺は力を入れた。
腕が鈴音のジャージ越しに肩甲骨に当たる。
鈴音は俺の背中に手を回して、また言った。
「もっと力を入れて」
俺はググっと力を入れる。
鈴音の背中が弓なりに反った。
胸と胸が当たって、鈴音の鼓動と熱が伝わってくる。鈴音の耳元からは、シャンプーの匂いがしてきた。
俺は言った。
「鈴音。毎日、部活、頑張ったね。最後に思いっきりやっておいで。どんな結果でも、俺はすごく鈴音を尊敬できるし」
「ほんと?」
「ああ。最強の妹だし、最高の女の子だよ。鈴音が積み上げた努力のこと、俺はちゃんと見てたから」
鈴音はその体勢のまま答えた。
耳元で聞く鈴音の声は、少しハスキーだった。
「悠真、悠真、悠真。大好きっ!」
チュッ。
身体を離した瞬間。
唇に柔らかい感触。
「おまっ……カウント! 口にしちゃったし!」
鈴音はドアを開けると振り向いた。
逆光になって、髪の毛がキラキラしている。
「ねぇ、悠真。優勝できたら、クリスマスデートに連れて行って♡」
鈴音は軽い足取りで出て行った。
「初戦で負けても連れて行ってやるよ」
俺は鈴音の背を見送りながら、そう呟いた。




