第50話 女難の相、ふたたび。
山口の視線が泳ぐ。
俺を見て、ゆっくりと鈴音を見て。
「あり得ないぃぃぃ」
山口は叫び声をあげると、蛇行しながら俺らの横を走り抜けようとした。
ガンッ。
山口は鈴音のサブバッグに足を引っ掛けた。
ズザザァ!
山口は顔から派手に転んで、その拍子に肩にかけていたカバンの中身を地面にばら撒いた。メガネやテキストやらペンやらが一瞬、優雅に宙を舞って、そこら中に散乱した。
「山口くん。これ」
鈴音が山口の眼鏡を拾い上げたが、山口は唇を震わせて、一心不乱に荷物を拾い上げ続けた。
そして、あらかた拾うと、奪うように眼鏡をかけて、奇声を放ちながら走り去ってしまった。
地面には、拾われたはずの山口のペンケースだけが取り残されていた。
あっけにとられていた鈴音だが、ペンケースを見て口に手を当てた。
「どうしよう。山口くん、間違えてわたしのペンケースを持っていっちゃった」
部員もその後を追っていなくなった。
「ちょっと、山口くんっ」
鈴音が追いかけた。
しかし、数歩駆けると左足を庇うようにして、立ち止まった。
「なんか悪いことしちゃったな」
俺の言葉に、鈴音は苦笑した。
「あとで、わたしが返しておくよ。わたしのも持って行かれちゃったし」
ペンケースを握る手に力が入った。
「俺も行くから、返す時は声をかけてな」
山口は、たぶん悪いヤツじゃない。
でも、嫉妬心は怖い。
部室の前についた。
弓道部の部室は道場の裏にある。
ここは、校舎からも体育館からも離れていて、生徒は少ない。
「最後の仕上げ、頑張って」
俺がそう言うと、鈴音はつま先立ちになって顔を上に向けた。だが、半拍遅れて胸の前で拳を握ると、軽く首を振った。
そして、ぺたんと踵を地面につけた。
(さっきの事を気にしているのか)
チュッ。
俺は壁に手をついて、鈴音の頬にキスをした。
「さっきの仕返しだ」
吐く息が白くなって、鈴音の頬に当たってほどける。鈴音は、指先で前髪をクルクルと巻いた。
「えへへ。こ、こんなのダメだよぉ。他の子に見られちゃう……んーっ」
そう言って、鈴音は唇を細めた。
むぎゅっ。
俺は鈴音の口を押さえた。
「調子にのるな」
「悠真が悪いんだよ? ドキドキさせるから」
鈴音の耳の縁が赤い。
「左足、くれぐれも無理をするなよ」
「チュウの効果で、頑張りすぎてくるっ!」
鈴音は手を振りながら、部室に入って行った。
「……ったく」
鈴音の練習が終わるのは午後だ。
俺は一旦、帰ることにした。
建物を出て通用口に差し掛かる時。
「篠宮……、悠真。……悠くん」
振り返ると、蛍だった。
「呼び方が挙動不審になってるよ?」
蛍は、肩に掛けていたバッグを前で抱えた。
「仕方ないし。気まずいっていうか」
たしかに。
蛍と2人で話すのは、公園で告白されて以来だ。
蛍は制服だった。
「お前も、学校に用事?」
「うん。補講の件で」
「蛍って、勉強できる方じゃなかったっけ?」
蛍は鼻先をかいた。
「ウチ、実は現代文が苦手なんだ」
俺は逆で、現代文だけは得意だ。
「よければ、教えてやろ……」
胸の中がザワッとする。
俺は言葉を止めた。
「ウ、ウチ。本田が良い参考書教えてくれるっていうし、大丈夫!」
また本田か。
本田蒼、クラスの人気者。
文武両道で、人柄も良いと言われている。
クラスの片隅から観察した範囲では、たしかに、友達想いの良いヤツだ。
俺もそう思う。
恋愛が絡まなければ……だが。
加えて、さっきの木陰での態度。
本田は、まだ鈴音に執着している。
そして、蛍はクラスの男子からは人気がない。
だけれど、鈴音の親友だ。身代わりとして、本田が蛍をターゲットにする可能性は十分にある。
蛍は俺の友達でもある。
そんな子が毒牙にかかるのを、放ってはおけない。
「お前。本田みたいなのタイプ?」
俺の質問に、蛍は答えた。
蛍の表情は、いつも通り。
「全然。ウチ、しばらく彼氏とかいらないし。でも、さっき学校に行くって伝えたら、2人で会いたいみたいなこと言われた。最初は断ったんだけど、しつこくて」
また本田か。
フッた俺がこういうこと言っていいか分からないが。さっきの姿を見た後だと、なにか言いたくもなる。
「そうか。本田と2人きりで会うのはやめた方がいいぞ?」
蛍はジト目になった。
「へぇ。嫉妬? まぁ、分かった。じゃあさ、本田は断るから、代わりに悠クンが参考書教えてよ。現国だけは得意だったでしょ?」
「いや、でも」
蛍はスマホを操作しはじめた。
すると、すぐにスマホが通知で光った。
蛍はスマホの画面を俺に向けて、笑顔になった。
「鈴音も良いって。部活が早めに終わりそうだから、2人で待っててって言われた」
——おみくじの『女難の相』は、こっちのことか?




