第3話 壁越しの本音。
「わたし。アンタのこと好き」
あれはどういう意味だ?
俺は自分の部屋に戻って毛布にくるまっていた。両手で毛布をつかんで、頭にかぶる。
一気に色々なことがありすぎた。
鈴音が家出して、血が繋がっていないと分かった。そして、告白された。まるで、昨日までとは別の世界に来てしまったようだ。
俺は右手を握ったり開いたりした。
……ちゃんと感覚はある。これは現実だ。
これからどうするか。
2年生になってからクラス内で、何組かのカップルが誕生した。みんな『自分たちは結ばれる運命』だと疑っていなかった。しかし、夏休み前には、そのほとんどが別れた。
これが現実。
つまり、付き合うということは、それだけ難しいことなのだ。そして、その元カップル達は、今はクラスで、すごく気まずそうにしている。
クラス内でもそれだけ気まずいのだ。
もし、それが家族内だったら?
想像しただけで胃が痛くなる。
……鈴音にそんな思いはさせられない。
あー。どうしよう。
俺は髪をぐしゃぐしゃにした。
すると。
トントン。
ドアがノックされた。
「はい」
どうせ父さんか母さんだろう。
さっきの話の続きかな。
「ちょっと待って」
俺がベッドから起き上がろうとすると、ドアの向こうから声がした。
「あの。わたし」
ドアの外の声は鈴音だった。
「ち、ちょっと待って」
俺は気になるゴミを片付け、ドアを開けた。
鈴音は部屋に入ると、あたりを見渡した。
「ふぅん。意外と片付いてるじゃん」
「まぁな。んで、どうしたの?」
鈴音は少しだけ肩を上げると、視線をそらした。そして、右手で左の肘を抱えて、小さな声で言った。
「さっきの、いきなりでキモいと思ったよね?」
「別に」
俺は首を横に振った。
妹は、こんな話をしに来たのだろうか。
鈴音は顔を上げる。
すると、目が充血していた。
「ずっと一緒にいてくれるんでしょ? 不安なの。……証明して」
鈴音は目を閉じて、顎を少し上げた。
半開きの形のいい唇が、年齢不相応に大人びている。
唇が微かに震えている。
鈴音は先に進むことを望んでいる。
——唇に吸い込まれそうだ。
ごくり。
俺は唾を飲み込んだ。
俺は鈴音の肩を抱こうとしたが、途中で手を引っ込めた。
もし、鈴音と付き合うことになったら、その先には、きっと別れしかない。そうしたら、鈴音は本当にひとりになってしまう。
だから、ダメだ。
俺がすべきことは分かっている。
……妹を守ることだ。
すると、鈴音は薄目を開けた。
「ん?」
何か言わないと。
でも、俺にはどうやって断ればいいのか分からない。
こんなことなら、見栄なんて張らずに恋愛マニュアルとか見ておけば良かった。
変に意識しないで、いつもの感じで言えばいい。
普通に断ればいいだけ。
それはきっと簡単なことだ。
俺は鈴音に言った。
「鈴音と違ってこっちは慣れてないし。お前も俺が相手じゃ、誰にも言えないだろ?」
(これって俺自身が怖いから、そう見て安心したいだけじゃないのか? 違う、こんなこと言いたくない)
謝らないと。
「ごめ……」
バチンッ!
一瞬、視界が真っ暗になった。
謝る前に頬を平手打ちされた。
叩かれたところが、すぐに熱くなる。
「何するんだよっ!」
俺は文句を言った。
鈴音は目に涙をいっぱい溜めて、俺を睨んだ。
「わ、わっ」
鈴音の唇が震えている。
言葉が出てこないみたいだ。
「わたしをそんな軽い女だと思ってるんだ? マジ最低。わたし初めてなのに。アンタとキスしても、隠したいだなんて思わない!」
謝ろうとしたが、間髪入れずに次の言葉が飛んできた。
「ファーストキスを好きな人にあげたいって、女の子なら普通のことじゃん。隠されるほうが、一番キツいんだけど」
鈴音は言い終わると涙をぬぐった。
(こんなはずじゃなかったのに)
だが、言い訳する前に蹴りが飛んできた。俺は床に転げ落ちて、逃げるようにドアの方に向かうしかなかった。
この場から逃げ出したい。
「俺らは兄妹だぜ。……元から、対象外だろ」
なんで……。
鈴音を傷つけて、こんなに心が痛いのに。
鈴音が真剣って本当は分かってるのに。俺の口は、いつも大切な時ほど、思ってもいない言葉ばかりを並べてしまう。
鈴音は枕を投げつけてきた。
「クソ兄貴。もう出てけ!」
バタンッ。
部屋から締め出されてしまった。
俺はドアを背にして、立ち尽くした。
(ここ、俺の部屋なんだけど)
耳の中に自分の鼓動が響いている。
目を閉じて迫られた時に、鈴音が大人の女性に見えた。鈴音が美しくて、置いてけぼりな自分が惨めに思えてしまった。
俺は学校で、教室の真ん中にいる鈴音を見るたび、俺は置いていかれてると感じていた。
俺はあの時の自分のまんまだ。
鈴音は真剣だったのに。
あー、なんなんだよ。
鈴音を泣かせちゃったし、俺も泣きたいよ。
「わああああ!」
部屋の中から鈴音の叫び声が聞こえてきた。
その叫び声で、いたたまれない気持ちになった。
しばらくして自分の部屋に戻ると、鈴音はいなかった。
俺はベッドに座り、毛布をかぶった。さっきの鈴音は、どんな気持ちだったのだろう。
きっと、鈴音もファーストキスだったのだ。
それなのに俺は酷いことを言って、鈴音を泣かせてしまった。頼りになる兄貴でいたいのに、全然うまくできなかった。
これじゃ、傷つけてるのは俺じゃないか。
でも、これで。
きっと、本気で嫌われてしまった。
頭の中で何度も同じ考えがループしてしまう。
電気も点けずに、しばらく膝を抱えてそこにいた。
月明かりのおかげで部屋は真っ暗ではないが、今は月を見ても寂しい気分になるだけだ。
……鈴音、すごく怒ってた。
トントン。
トントントン。
鈴音の部屋から、物音が聞こえてきた。
鈴音のベッドは壁一枚を挟んだ向こう側だ。
(何か壁に当たってるのかな)
「……ごめん」
鈴音の声だった。
誰に向けての言葉か分からないが、確かにそう聞こえた。
すると、スマホが鳴った。
「なんだよ、こんなときに」
画面を覗くと、鈴音の名前が表示されていた。
メッセージの内容は想像がつく。
絶対に悪口だ。
見るのが怖い。
だが、妹は、
俺が思うよりも、ずっと強かった。
「最低で最悪な兄貴に頼みがあるんだけど」
泣かせちゃったし、頼みがあるなら聞いてあげたい。そうしたら、鈴音は俺のことを許してくれるだろうか。
迷ったが、俺は返信することにした。
「なに?」
すると、しばらく返信が来なかった。
部屋の向こうで鈴音の声がした。
「女の子って思えないなら、無理矢理にでも意識させてやるんだから」
微かに、そう聞こえた気がした。
すると、すぐに返信がきた。
「これからわたし、毎日、アンタ好みの服で過ごすことに決めたから」
答えに迷っていると、追加でメッセージが送られてきた。
「明日、買い物に付き合ってよ。服、アンタも一緒に選んで」
……は?
何を考えてるんだ?
俺が鈴音の服を選ぶ?
俺は、あんなに酷いことを言ったのに。
……それなのにどうして。
でも、だからこそ。
名誉挽回のチャンスか。
すると、追加でメッセージがきた。
「明日は10:00。玄関前集合。会計は兄貴の負担。遅刻したら許さないから」
遅刻は絶対にできない。
言えなかった『ごめん』の続きは、また明日。




