第2話 時計の針は動き出す。
「本当の兄妹じゃない」
その言葉は俺の胸の奥底に音もなく沈み込んでいく。
鈴音の部屋を3度ノックした。
だが、出てこない。
時は戻らない。
事実は変えられない。
だったら、選ぶしかないではないか。
俺は誰の味方でいるのか……を。
********
鈴音が部屋に戻った後も両親の話は続いた。
父さんはずっと思い悩んでいたのだろう。
言葉のひとつひとつが重く、深いため息のようだった。
「実はな、俺と母さんは再婚なんだ」
「えっ、だって。俺は鈴音が子供の頃のことを覚えてるし」
「あぁ。再婚したのは、お前たちがまだ小さな頃だったからな。鈴音の父親は……」
そこからは、母さんが引き継いだ。
「鈴音の本当の父親はね、すぐに暴力を振るう人で、わたしがお父さんにお願いしたの。鈴音の本当のお父さんになってほしいって」
確かに、そんなに酷い父親なら会わない方がいいし、存在すら知らない方がいい。
「じ、じゃあ、母さん。俺の本当の母親は? ……ひどい人だったの?」
母さんは首を横に振った。
「素敵な人よ。あなたの本当のお母さん。澪は、わたしの親友だった。あのね、悠真の本当のお母さんは、病気で亡くなったの」
……知りたいけれど、知りたくない。
俺はただ頷いた。
母さんは小さく首を振ると、ため息をついて左手を胸に当てた。父さんが手を重ねると、話を続けた。
「それで、亡くなる前にね。新しいお母さんに懐かなくなるから、悠真には自分のことを伏せてほしいって」
母さんは、苦しそうな顔をした。
「それに、悠真に話せば、鈴音にも本当の父親のことを話すことになる。わたし、澪に甘えていた。でも、これは悠真にとっては裏切り。ごめんね」
そこから先は、父さんが続けた。
「あのな。澪が生きている間、俺と母さんは、ただの友人で、ほんと何もなかったんだよ。だから、母さんのことを悪く思わないでほしい」
俺は2人の性格を知っている。
だから、嘘はついていないと思った。
鈴音に配慮したことは理解できるし、正直、複雑な気持ちはある。でも、自分のことなのに複雑に絡まっていて、この場で処理できるような感情ではないと思った。
ただ、それが鈴音のためになるのなら、いいのかな、と思えた。時間は巻き戻せないのだ。
俺は意図的に落ち着いた口調で話した。
「母さん。母さんが、俺の生みの母さんの知り合いでよかった。今度、母さんに澪母さんの話を聞かせてほしいな。父さんは口下手だし、よろしくお願いします」
母さんは泣いていた。
心の中はぐちゃぐちゃだけど、これでいい。
「鈴音のことが気になるから、ちょっと見てくる」
俺はそう言ってリビングを後にした。
階段を上がると、鈴音の部屋の前は静かだった。……ここに立つのは、いつぶりだろう。
俺は深く息を吐いた。
「おい。いるだろ?」
ドアをノックしたが、返事はない。
「いないのか?」
また家出とか、本当に勘弁してほしいのだが。
「入るぞ」
すると、鈴音はベッドに座り、毛布にくるまっていた。さっきリビングから出て行った時は、強がっていただけなのだろう。
部屋の空気が重い。
「うっ、うぇっ」
目が合うと、鈴音の頬からポロポロと涙がこぼれ落ちた。鈴音は必死に涙を拭っている。
「なぁ、鈴音。複雑だろうけど、俺と血が繋がってなかったわけだし、な?」
すると、鈴音は俺に身体を押し付けてきた。
「うぅ。わたし、バカだ。兄貴と他人になりたいとか、あんなこと言って。わたし、みんなに家族でいてもらえたのに。自分勝手だから、バチが当たって、わたしひとりぼっちになっちゃったよおお」
「いや、そんなことはない。母さんだっているよ」
鈴音は首を横に振った。
「ママだって、わたしに嘘ついてたし。それって、わたしのことは、どうでもいいってことじゃん、う、うぇぇえ」
毛布を握る鈴音の手に力が入った。
こうしていると、子供の頃の泣き虫な鈴音のままだ。
「抱きしめていいか?」
鈴音は頷いた。
鈴音をそっと抱きしめた。
いつも生意気だと思っていた妹は、思ったより小さかった。
「もし、鈴音がひとりになったって、俺はずっと、お前の味方でいるから」
妹を守るのは兄の役目だ。
鈴音は俺を見上げた。
長いまつ毛の上に涙の露がのっていて、息遣いに震えている。
鈴音は美しい。
悲しんでいる顔さえ、目を離すことができない。
こうして見れば、顔立ちからして俺とは違うのは、すぐ分かりそうなものなのに。
「ほんと? ずっとずーっと?」
亜麻色の髪が、俺の頬にかかってくすぐったい。鈴音の息遣いが聞こえる。
「もう泣くな。お前には俺がいる」
……妹だからな。
鈴音は俺の背中に手を回した。
ギュッと抱きしめてくる。
俺の胸元に鈴音の胸が押し付けられる。
柔らかくて、温かい。
今の2人の距離は、昨日までよりずっと近い。
鈴音は少し身体を離すと、俺の顔を正面から見つめてきた。
「……ほんと? 一生?」
鈴音の顔は少しだけ虚だ。
だけれど、その瞳は俺に向けられている。
鈴音は前に進みたがっている。
いや、まぁ。
家族関係は一生だし。
「何度も言わせるなよ」
俺は鈴音の頭を撫でた。
鈴音は涙を拭って、口元を綻ばせた。
「まだ言うもん……。アンタのせいだから」
鈴音の発した言葉は、少しハスキーで可愛らしい女の子の声だった。
「えっ?」
不安そうな鈴音の瞳に、月明かりが揺れる。
「わたし。アンタのこと好き」
鈴音の瞳の揺れが止まった。
きっと、この瞬間。
ずっと止まっていた時計の針が、再び音を立てて動き出した。




