第103話 澪の家。
旅館から車で30分。
下田の端っこに澪母さんの家はあった。
家の脇には軽自動車がとまっていて、海の近くなのに、背の高い木々で海は見えない。
4人で門柱の前に立つ。
インターホンを鳴らすと、母さんは父さんと繋いでいた手を離した。
——母さんの指先、かすかに震えてる。
俺がそう思うのと同時に、鈴音が母さんの手を握った。
もしかして、母さん。怖いのかな?
この家の人から嫌われているのかな。
きっと母さんは、この家では部外者なのだ。
(……そうか。この中で、桜坂の血をひいているのは俺だけなんだ)
俺がうまく立ち回らないと。
ピッピッ。
どこかから、鳥の鳴き声が聞こえる。
切れの良い鳴き声だ。
「あっ、ちょっと待ってね」
インターホン越しに、女性の声。
俺は唾を飲み込んだ。
玄関ドアが開いた。
「いらっしゃい。遠いところから、ありがとうね」
声の主は40代なかごろの女性だった。玄関のたたきに片足だけおろして、誰かのビーチサンダルの上に立っている。
母さんと同世代か少し上。
色白で綺麗な人だ。
「さぁ、入って」
家の中に招き入れてもらう。
上がり框で身をかがめて靴を揃えると、革のローファーがあった。鈴音と同じくらいのサイズだ。
廊下を抜けると奥の部屋にベッドがあって、お婆さんが横になっていた。
あの人が俺の祖母。
たぶん、澪母さんのお母さんだ。
と、いうことは。
「わたしは、桜坂光希。澪の姉なので、悠真くんからしたら、伯母ね。奥に寝てるのが、あなたのお祖母さん」
さっきの女性が自己紹介してくれた。
父さんと母さんは光希さんに会釈をすると、お婆さんの前で正座した。
「お義母さん、悠真を連れてくるのが遅くなってすみません」
父さんが頭を下げると、母さんも頭を下げた。
お祖母さんは、足腰が弱いのだろう。
光希さんの支えで上半身を起こすと、笑顔になった。
「2人とも顔をあげて。2人は何度も来てくれてるんだし、この前も言ったけれど、畏まる必要なんてないんだよ?」
「でも、わたしのせいで悠真を連れて来れなくて」
母さんは頭を下げたまま、答えた。
「違う。初音ちゃんは、澪のお願いを聞いてくれたのよ。こちらこそ、イヤな役割をさせて、ごめんなさい。それよりも、悠真。顔を見せて。わたしは、玉江。あなたの祖母よ」
桜坂 玉江。
この人が澪母さんの母、俺の祖母らしい。
俺が近づくと、お祖母さんの皺だらけの顔が、梅干しみたいになった。
「うん。澪の面影があるね。今日は来てくれてありがとう。お爺さんにも、見せてあげたかったわ」
嫌味な感じはない。
身構えていたが、良い人そうで良かった。
俺たちは、仏間に通された。
広縁越しに、少しだけ海が見えている。
仏壇には、澪母さんとお祖父さんの写真。その横には水仙の花が挿してある。
お線香を炊いて、手を合わせる。
俺はお祖父さんの写真をぼんやりと眺めた。隣にいる澪母さんの写真と見比べると、目元が似ている。
お線香の白檀の匂い。
その中にまざって、食べ物の匂いがする。
何か準備してくれてるのかな。
俺と鈴音も手伝った方がいいだろうか。
ザサンと波の音。
「そろそろ戻ろうか」
父さんの声で、立ち上がった。
仏間にいたのは、ほんの数分間だった。
手を握ると、爪が掌に当たって自分の体温を感じた。それなのに、さっきの俺は、まるでテレビの中のワンシーンを見ているようで、特に何も感じなかった。
普通なら涙の一つでも流すべきなのだろう。
——俺は薄情なのだろうか。
居間に戻ると、光希さんに声をかけられた。
「悠真くん。あなたに渡すものがあるの」
俺に? なんだろう。
色打掛なら、母さんが鈴音に渡すべきだろう。




