第101話 仲居さんの囁き。
気づけば翌朝だった。
旅館での熱い夜。
色々と想像して、旅行前からドキドキしていた。だが、実際には何一つ起きなかった。
俺は疲れすぎていたらしい。
横になった直後に意識が途絶え、目を開けると朝だった。
朝日が目に沁みるぜ。
起きると部屋には誰もいなくて、テーブルにメモが置いてあった。
『昨日は素敵だった。先に行くね。鈴音』
まるで古いテレビドラマみたいなメモ。
ちなみに、素敵というのは一緒に夜の海を見たことらしい。あの後の鈴音は、すごくご機嫌だった。
でも、その気持ちは少し分かる。
キスや手を繋ぐことが、仲良くなっていく過程だとしたら。きっと、昨日、2人で夜を見たことは、スキンシップよりも価値がある。
まだ暗夜の余韻が残っている。
すぐに何かを食べる気になれなくて、とりあえずテレビをつけた。すると、ニュース番組だった。チャンネルを変えてもすぐにNHKに戻ってしまう。
「地方はチャンネルが少ないのか」
いくつかのグルメ番組を経由して、結局はローカル局のニュース番組で手が止まった。
別れた夫が離婚後もつけまわして、ストーカートラブルを起こしたという事件が報道されていた。
「そういえば、鈴音の父親とか大丈夫なのかな。かなり問題のある人だったらしいけれど」
俺は顔を洗って朝食会場に行くことにした。
「おはよう。昨日は夜更かししてたのか?」
遅れて朝食会場に行くと、父さんに声をかけられた。
「いや、普通に爆睡してた」
「朝は鏡くらい見ろよ。寝癖がついているぞ」
寝癖は恥ずかしい。
鏡くらい見るべきだった。
鈴音が俺の方をジーッと見ている。
(俺の顔に何かついてるのか?)
俺は口元を擦った。
すると、母さんが鎖骨の辺りで視線を止めた。目が丸くなった。
「悠真はこっちに来て」
「別にいいけど。なんで?」
「ん。たまにはお父さんの顔を見ながら座ってみたいなって。結婚する前は、いつも前だったし」
(おあついことで)
俺は父さんの右隣の席に座った。
すると、父さんがうなじをかいた。
まんざらでもないらしい。
鈴音の視線を感じる。
「だから、なに?」
「別に。ちゃんとついてるし」
鈴音は視線を外したが、口元がニヤけている。
飲み物を飲んで一息つくと、父さんたちが席を立った。
「わたしとお母さんは食べ終わったから、先に戻るぞ。悠真はちゃんと食べるように。チェックアウト早々に空腹とか勘弁な」
「分かってるよ。小さな子供じゃあるまいし」
母さんも父さんを追いかけて会場から出て行った。一瞬、俺の方をみて口を綻ばせたのだが、なんなんだろう。
「母さんも俺のこと見てたんだけど?」
「さぁ。昨日食べすぎて太ったんじゃない? 悠真。二重顎になってるよ」
「え? まじ?」
確かに昨日たくさん食べたけれど。
人間って、そんなにすぐに太るものなのか?
あ、でも。
「そういえば、昨日、夜中にトイレいったんだけどさ。鈴音も二重ア……ゴ」
ガンッ。
こいつ、蹴りやがった。
テーブルの下で、思いっきりスネを蹴られた。
「女の子の寝顔を勝手に見るとか最低。しかも、あおりで見るとか、もっと最低」
前にテレビで、女子は下から見られるのが嫌いって言ってたけれど、どうやら本当だったらしい。
本当は顎どころか、上下逆さまになって、ベッドから半身落ちていたんだけど。指摘したら本気で泣かれそうだ。
俺は言葉を飲み込んだ。
「そういえば、さっき母さんも驚いてた顔してたんだけど、なんで?」
「さぁ。寝顔を盗み見る人の事なんて、知らない」
鈴音はそう言うと、プイッと反対に向いた。
なんだか、朱音に似てきたな。
前はもっと純情ヒロインだったのに。
すると、スタッフさんに話しかけられた。
「ご朝食は、和食膳と洋食プレートどちらにしますか?」
鈴音は和食膳を食べている。
「じゃあ、洋食プレートで」
視界の端に、黒髪おさげが見えた。
それに黒縁のメガネ。凛さんだ。
『その後ろに、黒髪おさげでメガネの女の子も、ブーケを持ってる』
俺の脳裏に、斉藤の予言がよぎった。
この子も条件に合っている。
でも、まさか……ね。
すると、凛さんが俺の耳元に口を近づけた。
仲居さんが宿泊客の耳元で囁くなんて、普通はあり得ないことだ。
ある日、突然、可愛い店員さんに話しかけられる。そしてそれは、大概の場合、脈絡のない告白なのだ。
——これは、ほとんどの高校生男子が一度は妄想したであろう、憧れのシチュエーション。
俺は唾を飲み込んだ。
すると、凛さんは囁いた。
「お客様。首元にキスマークがついてますよ?」




