あなたに伝えたいことは
(……ちゃんと、伝えなきゃ)
馬車の揺れの中で、私はそっと胸元に手を添えた。
オリバーさんに“会う”と決めてから、数日。
レオンもシリウスも、一緒に行くと言ってくれたけれど、私は首を振って、一人で向かう道を選んだ。
窓の外に流れていく王都の景色が、やけに静かに見える。
胸の奥では、緊張と不安とそれでも前に進もうとする小さな光が、微かに混じりあっていた。
手のひらの中で、そっと指を閉じる。
そこにあるのは、あの日ーーオリバーさんが私をるために、限界を超えて能力を使った瞬間に砕け散った、アイオライトのピアス。
青紫の欠片は光を吸い込んで、微かに揺れている。
このピアスを見ていると、疼くような痛みと、温かさが同時に込み上げる。
あの夢で聞いた声も、笑顔も、消えるどころか逆に鮮明になっていく。
(……ちゃんと、言わなきゃ。もう逃げたくない)
そう思うたび、馬車の中の空気が少しずつ澄んでいくような気がした。
オリバーさんは今も、王宮で宮廷医師たちの管理のもと静かに眠っている。
本来なら、そう簡単には会わせてもらえない。
でも、それでも会いたかった。
だから私は、迷いながらもアレン様にお願いした。
「自分の気持ちを、ちゃんと伝えたいんです」と。
その瞬間、アレン様は驚いたように目を瞬かせて、すぐに優しく頷いてくれた。
ほどなくして、王宮の立派な門をくぐる。
馬車から降りると、朝の光が差し込む中、待っていてくれたアレン様がこちらに歩み寄ってきた。
「……だいぶ、顔色が良くなったな。フィオラ」
近づくと、彼の表情には確かな安堵が浮かんでいた。
私は小さく会釈し、静かに言葉を返す。
「今日は、本当に……ありがとうございます」
「礼なら、むしろ俺の方だ」
アレン様は歩調を緩め、私の隣に立つ。
その横顔はどこか嬉しそうで、少しだけ照れたようでもあって。
「お前が“自分からオリバーに会いたい”って言ってくれた。それが……俺は、自分のことみたいに嬉しかった」
その声は穏やかで、でも深く響いた。
まるで「その決意を、大事に思ってる」とそっと背中を押してくれているようで。
私たちはゆっくりと、王宮の静かな回廊を並んで歩き始めた。
「オリバーだが、今は仮死状態からは抜け出している。ただ……まだ深く眠ってる。医師の話では、体そのものには異常はないらしい」
淡々とした声なのに、その奥にある安堵と不安の両方を、私は確かに感じた。
「けど、精神的な“深い疲労”が回復を遅らせているみたいだ」
足音だけが、長い廊下に静かに響き続ける。
「でも……お前の声なら、届くかもしれない。オリバーは、きっとお前のことがーー」
そこまで言って、アレン様はふっと苦笑する。
「まあ、これは本人が目を覚ましたら聞けばいいな。今、俺が言うより、その方がずっといいだろ」
そう言って歩みを止めた。
「ここだ」
扉の前に立つと、アレン様は私の方へ向き直る。
真紅の瞳が、真っ直ぐに私を見る。
「お前がいる間、誰も入らないように伝えてある。……聞こえてるかは分からないがさ、お前の言葉ならきっと届く。思ってること、全部伝えてこい」
その声は、優しく背中を押すようだった。
「……はい」
小さく頷き、震えを押し殺しながら取っ手に手をかける。
ゆっくりと押し開くと、静かな空気がふわりと流れ出した。
部屋に足を踏み入れた瞬間、空気の温度が、ほんの少しだけ変わったように感じた。
知らないはずの部屋なのに、静かで、穏やかで――どこか懐かしい匂いがした。
そこは、外の光が柔らかく差し込む、静謐な空間だった。
白を基調としたシンプルな内装。整えられたベッド。窓辺で風に揺れるレースのカーテン。
その中心で、オリバーさんは静かに目を閉じていた。
まるで、心地よい昼下がりにうたた寝しているだけのような、穏やかな寝息。
「……オリバーさん……」
一目見ただけで、胸の奥がきゅっと掴まれた。
ただ眠っているように見えるのに、呼びかけても反応が返ってこない“現実”が、静かに胸を刺す。
私はそっと彼のそばへ歩み寄り、置かれた椅子に腰を下ろした。
欠けたアイオライトのピアスが、ポケットの中で微かに揺れる。
それをそっと取り出し、手のひらにのせる。
あの日、私を助けるために砕け散った――彼の優しさの証。
胸の前でそっと握りしめ、静かに息を吐いた。
「……私、ずっと……言えなかったんです」
目の前の彼は、もちろん何も答えない。
でも、その静かな寝顔が、まるで「続けて」と優しく促すようで。
「オリバーさんがそばにいてくれることが……どれだけ心強かったか。そして……どれだけ私の救いだったか……」
声が震えるのを噛みしめながら、それでも私は言葉を紡いだ。
「気づいてたのに、気づかないふりをして……大切なことから逃げてばかりでした。でも、今なら……ちゃんと伝えられる気がします」
静かな部屋の中、私の声だけが淡く響き、空気をそっと揺らした。
「……オリバーさんが、私を守ってくれたあの時」
私は手のひらの中の砕けたピアスを指先で撫でる。
その欠片ひとつひとつに触れるたび、胸の奥がじわりと熱を帯びた。
「私、ちゃんと見てました。……あの光が、すごく綺麗で……すごく、悲しかった」
喉の奥がひりつく。
息を吸うたび、胸の内側から込みあげてくるものが震えをつれて押し寄せる。
「だって……オリバーさんは、いつだって自分より誰かを優先して……私のことも、そうやって守ってくれて……」
そこまで言った時、目元が滲んだ。
瞬きをしても、涙が追いかけるように頬へ降りてくる。
「……だから、今度は私の番です」
そっと身を乗り出す。
静かに眠る彼の手へ、自分の手を重ねた瞬間――
(……温かい)
その温もりが指先から広がって、胸の奥まで届いた。
堪えていた涙がひと粒、ぽたりと落ちる。
「オリバーさんが目を覚ますその時まで……私、ちゃんと待ってますから……っ」
震える声は、まるで願いそのものだった。
「目が覚めたら、今度は……ちゃんと伝えさせてください。オリバーさんと過ごした時間が、どれだけ大切だったか。オリバーさんの言葉が、どれだけ私の心を救ってくれたか」
言葉を絞り出すたび、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
「……そして、今の私が、どれだけオリバーさんに――会いたかったか」
その言葉を口にした瞬間、不思議と声の震えは消えていた。
涙を拭わず、私は彼の手をぎゅっと握りしめる。
そして、掠れた声で、それでも確かに届くように告げた。
「……覚えてますか……? “話したいことがある”って、言ってくれましたよね」
ぽろぽろと涙がこぼれ続けるのに、私は笑っていた。
眠る彼をまっすぐに見つめながら。
「それ……ちゃんと起きてから、教えてくださいね。絶対ですから」
泣きながら微笑んだその瞬間、胸の奥に静かに灯るものがあった。
――オリバーさんの目が覚める、その日まで。
私はこの想いを、まっすぐに抱きしめて待ち続ける。
* * *
どれくらい時間が過ぎたのだろう。
私はオリバーさんの手を握ったまま、途切れ途切れに言葉を紡ぎ続けていた。
涙はいつの間にか乾いていた。
胸の奥に残るあたたかい余韻だけが、静かに寄り添ってくれている。
ゆったりとした空気が流れるなかで、私はふっと力を抜いて深く息をついた――その瞬間。
コン、コン、コンと、控えめなノックが部屋の静寂を優しく揺らした。
「……入るぞ」
柔らかな声とともに扉が開き、アレン様が姿を見せる。
部屋に一歩だけ入り、こちらの様子をそっと伺うように視線を向けた。
「ちゃんと、伝えられたか?」
静かで、けれど優しさの滲む問いかけ。
私はそっと振り返り、小さく、でも確かに頷く。
「はい」
それはとても短い言葉だったけれど、今の私の全部が、そこに詰まっていた。
アレン様は息をふっと漏らし、柔らかく笑う。
「……それなら、あとはオリバーが起きるのを待つだけだな」
その何気ない一言が、胸にじんわりと沁みた。
私はオリバーさんの手をもう一度だけぎゅっと握り、名残惜しさを胸に立ち上がる。
その横で、アレン様が静かに言う。
「オリバーの代わりに、馬車まで送らせてくれ」
私は頷き、もう一度だけベッドの上の彼に視線を戻した。
(……また、会いに来ますからね)
心の中でそっとそう告げて、私はゆっくりと部屋を後にした。




