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温もりの残る窓辺で

 



(……あれから、どれくらい経ったんだろう)


 夜風に揺れるレースのカーテンが、柔らかく空気を撫でていく。

 私は、自室の窓際に腰掛けたまま、月明かりの下でゆっくりと瞬きをした。


 冬の入口を告げる夜は、少しだけ肌寒くて、その冷たさが、ほんのわずかに胸の奥まで染みていく。

 でも、それはきっと、季節のせいだけじゃない。


 あの親睦会から、もう数週間。

 体調はすっかり良くなって、こうして一人で窓辺に座れるほどには回復していた。


 けれど、胸の奥に取り残された雪のような重さだけは――まだ溶けずに残っている。



 私が休養している間に、少しずつ、いくつものことが“終わり”を迎えた。


 まずーーセシル様。

 彼は王室から正式に除籍され、隣国への追放が決まった。

 もはや二度と“王子”と名乗ることは許されない。


 あれほどの事件を起こしても命を奪われなかったのは、きっと国王陛下の息子への情と、アレン様の弟に対する想いがあったからだろう。


 そして、ラフィン先生。

 王立学園を退職となり、セシル様とともに隣国へ追放される処分を受けたと聞いた。


 ――もっとも、先生は完全な“罪人”としてだけではない。

 除籍とはいえ一応は王族の血筋であるセシル様の"監視役"として、彼の身の世話まで任される形で同行を命じられたらしい。


(……まさか、そんなことになるなんて……)


 ラフィン先生が、セシル様の影となって動いていたのに、今後は“監視”として縛り付けられるなんて。



 その知らせを聞いた時、胸の奥に広がったのは、悔しさでも怒りでもなく――ただ、静かな冷たさだけだった。


(……これで、一応……全部、終わったんだ)


 そう思った瞬間、目の奥がじんわりと熱くなるのを確かに感じた。

 けれど、そこにあったのは安堵だけではなかった。


 国王陛下に黙って“第二王子派”の動きを探っていた責任を父が問われ、ノイアー公爵家の爵位は、正式に一時“剥奪”されることが決まったのだ。



 けれど――


「しかし、お前の息子が【原状回復】によって多くの物や命を救ったのも事実だ。それを称え、カロン・ノイアーを当主とすることを条件に、ノイアー家は公爵のままとする」


 そう陛下は告げたらしい。


 その場で父は静かに頭を下げ、カロンは最初こそ驚いていたものの、すぐに覚悟を決めたような顔で、父と同じように深く頭を垂れたと、アレン様は話してくれた。



 そして――私のこと。


 今回のように【破壊】が暴走しかけた前例がこの国にはない。

 もし再び同じことが起これば国全体が危険に晒される可能性がある。

 それを防ぐためには、王宮の保護下で暮らすのが望ましい。


 だから、このまま第一王子であるアレン様と婚約し、将来の王妃として王宮で生活するのが最善ではないか――と、王宮では議論が進んでいたらしい。

 けれどアレン様は、その話を静かに、そして迷いなく断った。


「フィオラの“未来”を、他人が勝手に決めさせるわけにはいかないだろ」


 そう言って笑ってくれた彼の顔を、私は今でも忘れられない。


(……みんな……私が知らないところで、本当にたくさんのものを背負ってくれていたんだ)


 けれどーーその報告の中に“オリバーさん”の姿だけが、綺麗に抜け落ちている。


 日が昇っても、月が満ちても、時間だけが淡々と進むのに。

 彼については、何ひとつ前に進まない。


(……夢の中で会ったあの声も、あの笑顔も……全部、まるで……)


 良くない想像ばかりが胸をよぎり、呼吸がひゅっと細くなる。

 胸の奥が、ぎゅうっと痛んだ。


 この世界は“乙女ゲーム”で、私はその中の“ヒロイン役”に転生しただけだと、ずっと思っていた。

 運命はルートで決まっていて、誰かを選ぶのは私の役割。

 そんなふうに、自分を納得させていた。


(……でも、違ったんだ)


 あの日々の一つひとつは、選択肢でもスチルでもなかった。

 誰かの優しさも、痛みも、迷いも、全部が――私が触れて、私が感じた“現実”。


 ここは、ただのゲームじゃない。


 私は誰かの代わりじゃなく、たった一人の“フィオラ・ノイアー”として、この世界でちゃんと息をしている。

 だから、失いたくないものがあるのも、守りたい人がいるのも――全部、私自身の気持ちだ。


 そう実感できたからこそ、私は確信した。

 あれほど望んでいた“バッドエンドの回避”は、たしかに果たせたはずだと。


 【破壊】は暴走しなかった。

 誰も取り返しのつかない傷を負わなかった。

 国も、友人も、家族も、私自身も……全部助かった。守られた。


 本来なら、それだけで十分なはず。

 ――なのに。


(……バッドエンドには、ならなくてよかったのに)


 胸の奥が、じんわりと痛む。

 ゆっくりと滲むように、苦しさが広がっていく。


(……こんな気持ちになるなんて思わなかった。これじゃまるで……私の心が、バッドエンドみたい)


 そんなはずじゃないのに。

 全部守れたはずなのに。

 胸の痛みだけは、誰にも見えないままそこに残っていた。



 ――その時だった。


 コン、コン、コン、と控えめなノックの音が響いた。


「どうぞ」


 短く返事をすると、扉がゆっくりと開く。

 最初に顔を覗かせたのは、レオンだった。


「フィオラ、起きてたんだな! 今日もお見舞いに来たぞ!」


 いつもと変わらない明るい笑顔。

 だけどその目には、ほんの少しだけ私を気遣う影があった。


「こんにちは、フィオラ」


 続いて姿を見せたシリウスも、穏やかな声で挨拶してくれる。


「二人とも来てくれて、ありがとう。……嬉しい」


 自然と笑みがこぼれた。

 二人を迎え入れると、部屋には落ち着いた紅茶の香りがふわりと満ちる。


 二人は時間がある度に、こうやって顔を出してくれる。

 話したり、ただ傍にいてくれたり。

 一人で考え込んでしまう私にとって、その時間は救いのように温かかった。


 レオンはソファにドカッと腰を下ろし、いつもの調子で言う。


「学園の外壁修復、もうすぐ終わるらしいぞ!」


「このまま順調にいけば、来月には普通に通えるようになるって聞いた」


 オッドアイの瞳を細めながら、シリウスが静かに補足する。

 その声に、私は小さく頷いた。


「だからさ、またみんなで一緒にお昼食べような!」


 レオンの明るい笑顔に、胸がじんわりと温かくなる。

 また、あの日々が戻ってくる。

 そう思うだけで、本当に嬉しかった。


 けれど、その温もりの影に、どうしても一つだけ“穴”のような影が落ちる。


(……みんな、で……)


 その言葉が胸に浮かんだ瞬間、チクリと小さな痛みが胸の奥を刺した。

 私は、ほんのわずかに二人から視線を逸らした。


 その小さな揺れを、隣のシリウスはしっかりと受け取っていた。


「……オリバーさんに、会いに行かなくていいの?」


 静かな声だった。

 責めるでも急かすでもなく、ただ、優しく背中を押すような響き。


 私は思わず顔を上げる。

 けれど、すぐに視線を床へ落としてしまった。


「……行きたい、けど……」


 漏れた声は震えていて、自分でも掴めていない気持ちがそのまま滲み出ていた。


「……眠ってるオリバーさんを見たら……このまま目を覚まさないんじゃないかって思っちゃいそうで……怖くて……」


 言葉の最後が掠れそうになり、私はぎゅっと唇を噛んだ。


 レオンが、ゆっくりと息を飲む気配がする。

 シリウスは、ただ静かに私の言葉を受け止めるだけで、何も言わない。

 その沈黙さえも優しくて、余計に胸が締めつけられた。



「……バカだな」


 しばらくして、レオンがぽつりと呟いた。

 でもその声は、驚くほど柔らかくて、私を責める響きなんてどこにもない。


「会いたいって思うのは、それだけ大切だからだろ?だったら、眠ってようが伝えなきゃ損だって」


 一度息を吸い、言葉を選ぶように視線を落とす。


「オリバーさんが眠っててもいいんだ。聞こえてないかもしれないけど、お前が言いたいことを全部言えばいい。……きっと届くから」


 そう言って浮かべたレオンの笑顔は、真っ直ぐで眩しくて。

 暗く沈んでいた胸の奥に、そっと光を落としてくれた。


 私は、小さく、小さく頷く。

 すると、静けさを破るように、シリウスがゆっくりと口を開いた。


「……二人なら、大丈夫だよ」


 その声は、まるで春の風みたいに柔らかくて。

 不安で縮こまる私の心に、そっと寄り添ってくれた。


「ずっと前から思ってた。一緒にいる時の二人の心の揺れ方……少し似てたから」


「……似てる……?」


 その言葉に、胸がふっと揺れた。

 でも、何が“似てる”と言っているのかまでは、まだ掴めない。


 ただ、その言葉を口にしたシリウスの表情が、どこか温かくて、どこか寂しげだったのだけは確かだった。


「……ありがとう。二人とも」


 静かにそう伝えた瞬間、胸の奥にあった重さがほんの少しだけ溶けた気がした。

 レオンもシリウスも、真っ直ぐな瞳で私を見てくれている。

 その優しさに、自然と笑みがこぼれた。


「……私、オリバーさんに……会いに行こうと思う」


 震えも迷いも、もう隠さなかった。

 ただ、自分の気持ちに正直になっただけ。


 その言葉を聞いたレオンとシリウスは、フッと顔を見合わせる。

 そして、どちらからともなく、優しく頷いてくれた。


「行こう!フィオラ!」


「俺たちも一緒にいるよ」


 その一言に、胸がじんわりと温かくなる。

 さっきまで怖かったはずの未来が、少しだけ光を帯びて見えた。




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