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選択の先にあるもの 2

 



「――私が、そのお誘いを受けることはありません」


 言葉にしてしまえば、それだけのこと。

 けれど、その一言を紡いだ瞬間、胸の奥がひどく震えた。

 静まり返った中庭に、私の声だけが薄く落ちていく。


 セシル殿下の表情が、ほんのわずかに揺れた。

 紅い瞳がゆっくりと細められ、次に浮かんだ笑みは、どこか作られたように穏やかだった。


「……理由を、伺ってもよろしいですか?」


 その声音は丁寧で、礼儀正しく――けれど、奥底には確かな棘が潜んでいた。

 まるで、私の言葉の裏を覗き込もうとするような眼差し。


 喉が焼けるように熱い。

 それでも、私は逃げなかった。


 深く息を吸い込み、震える心を押しとどめるように胸の前で指を握る。

 そして、胸の奥に浮かんだ言葉を、ひとつずつ確かめながら口を開いた。


「【破壊】は、誰かを脅すための能力(ギフト)じゃありません。……私は、この力を、大切な人たちを守るために使いたいんです」


 それは、ずっと胸の奥で燃え続けていた想い。

 何があっても変わらない“私の答え”だった。

 だからこそ、私は目を逸らさず、セシル様に真っ直ぐに言葉を届けた。


 けれど、彼はただ静かに唇の端を上げる。

 その笑みは柔らかく、それでいてどこまでも冷ややかだった。

 紅い瞳が、わずかに細められる。


「……それは、とても残念ですね」


 その声は、親睦会の喧騒を一瞬で奪い去るほど静かだった。

 深夜に浮かぶ三日月のように、澄んで、美しく、そして冷たい。

 穏やかな言葉のはずなのに、どんな刃よりも鋭く感じられる。


 胸の奥を、ひやりとした痛みが走った。

 それでも私は、視線を逸らさなかった。


「……それが、あなたの答えですか」


 静かな声。

 その響きの奥に潜むものが何なのか、もう確かめるまでもなかった。


「……っ」


 思わず、呼吸が浅くなる。

 それでも、私は頷きも否定もせず、ただ彼を見つめ続けた。


 そんな私に対して、セシル殿下はほんの少しだけ、首を傾ける。

 まるで面白い玩具を見つけた子供のように、ゆっくりと囁いた。


「では、仕方ありませんね。……運命を、選び直してもらいましょうか」


 その言葉と同時に、風がふわりと吹き抜けた。

 木々の葉が揺れ、ドレスの裾がかすかに踊る。


 気づけば、セシル殿下は私に背を向け、ゆっくりと歩き出していた。

 その背中を見送る間、何かが“仕掛けられた”ような気配が確かにあった。


 けれど、残されたのはーー夕暮れの光と、胸の奥に残るわずかなざわめきだけだった。



 * * *


 静寂が戻った頃、背後から足音が近づく。

 振り返ると、そこにはシリウスの姿があった。

 さっきまで遠くから見ていたはずの彼が、迷いもなく、私のすぐ傍まで歩み寄ってくる。


「……大丈夫? フィオラ」


 その声は、心配と、いつも通りの穏やかな優しさに包まれていた。

 けれど、シリウスの瞳の奥には、どこか深い波のような揺らぎがあった。

 まるで、私の心の奥に隠した動揺まで見透かしているかのように。


「さっき、君の心が強く揺れていて、不安だった」


 低く落ち着いた声が、ゆっくりと空気を震わせる。

 彼は少しだけ視線を落とし、静かに続けた。


「でも……それ以上に、セシル殿下の心の方が、ずっと深く揺れていた気がした」


「……セシル様の?」


「うん。外から見える彼は整っていた……表情も、言葉も完璧に。でも、心の奥では、何かがずっとぐらついてる。まるで、崩れかけた塔の上で、必死に立ってるみたいだった」


 その言葉に、私は思わず息を止めた。

 脳裏に、先ほどの紅い瞳が浮かぶ。あの揺らぎのない微笑。あの静けさ。


(……なのに、セシル様の心が揺れてる……?)


 あの圧倒的な支配と冷静さの裏で、もし本当に心が揺らいでいるのだとしたら、彼の中で何が壊れ、何がまだ残っているのだろうか。


 そんな考えが頭をかすめたころ、沈黙を破るようにシリウスが口を開いた。


「……それはそうと、レオンは大丈夫?」


 静かな問いかけに、私は隣を見やる。

 けれどレオンは、俯いたまま何も言わなかった。


「……レオン?」


 心配になって覗き込むと、彼がハッと息を呑み、顔を上げる。

 その瞳には焦りと、悔しさと、少しの恐れが混じっていた。


「……悪い。隣にいたのに、あいつを前にしたら……足がすくんで、何もできなかった」


 声はかすれ、指先がかすかに震えていた。

 その拳を見て、胸がきゅっと痛む。

 言葉を探す私より先に、シリウスが穏やかに言った。


「レオンは、すごいよ」


「……え?」


「誰だって、あの場では動けなかったと思う。それでも君は、フィオラを守ろうとして立っていた。それだけで、十分強い」


 その声には、責める色も慰めもなく、ただ真実だけがあった。

 レオンは驚いたように目を瞬かせ、やがて小さく息を吐く。


「……お前、そういうの……ズルいよな」


 かすかに笑ってそう呟くその横顔に、私も思わず微笑みを返した。

 ほんの短い時間だけど、さっきまで張り詰めていた空気が少しだけ和らいでいく。

 それと同時に、胸の奥に残っていた重さも、少しずつ呼吸とともに溶けていった。


「とりあえず、さっきの話をアレン様に伝えた方がいいよな」


 沈黙を破るように、レオンが口を開く。

 その声音は落ち着いているのに、どこか焦りを押し隠しているようだった。


「第二王子の最後の言葉……あれも、ちょっと嫌な感じがした。アレン様なら、何かわかるかもしれない」


 レオンの提案に、私とシリウスは顔を見合わせ、静かに頷いた。

 彼はそれを見て、小さく息を吐きながらも、どこか未練ありげに私を覗き込む。

 少しだけ目が合った瞬間、胸の奥がきゅっと鳴った。


「本当は……離れたくないけど、ちょっと行ってくる。……シリウス、フィオラのこと頼むな」


 その何気ない言葉に、心臓がドクンと跳ねる。

 “離れたくない”――その一言が、静かな夕闇の中でやけに近く響いた。


「うん。任せて」


 シリウスの落ち着いた声が間に挟まり、レオンは少し照れたように頬を掻いた。

 それでも最後まで、どこか名残惜しそうに私を見つめてから、踵を返した。


 去っていく背中が人混みに紛れて見えなくなるまで、私はなぜか視線を外せなかった。

 胸の奥に、言葉にならない熱がまだわずかに残っている。


 けれど、そんな私の様子を見ていたのか、隣から柔らかな声が落ちた。


「少し、座って休もうか」


「……そうだね」


 促されるままに頷く。

 夕暮れの光がゆっくりと夜の色へと溶けていく。

 その静けさの中で、私はシリウスとともに近くのベンチへと向かった。


 腰を下ろすと、彼は隣には座らず、少し距離を取ってベンチの端に立ったまま、穏やかな眼差しをこちらに向けている。


「ありがとう」


「ん? なにが?」


「シリウスが、私の心の揺れに気づいて……それで、レオンが来てくれたんでしょ?あのままだったら……きっと、危なかったと思う」


 小さくそう告げると、シリウスはほんの少しだけ目を伏せ、それから静かに微笑んだ。


「……黙ってるだけで、いつも見てるよ」


「え……?」


 思わず顔を上げる。

 いつの間にか彼は腰をかがめ、私と同じ目線にいた。

 距離が近い。

 そのことに気づいた瞬間、胸の鼓動が少し速くなる。


 表情はいつも通り穏やかなのにーーそのオッドアイの瞳の奥には、静かな熱が確かに宿っていた。


「今、フィオラの心の音……すごく綺麗だよ」


 ぽつりと落とされたその言葉に、胸の奥がきゅっと鳴る。

 さらに、私に向けられたのは、今まで見たことのないくらい柔らかな笑みだった。


(……ど、どうしよう。なんでそんな顔してるの?)


 息が浅くなる。

 視線を逸らさなきゃと思うのに、目の前の彼から目が離せない。

 けれど、結局私は耐えきれず、そっと視線を逸らした。


 なのに、胸の奥はまだざわざわしていて、呼吸も上手くできない。


 そんな私の様子を見ていたシリウスが、不意に小さく笑った。


「……ふふっ」


「っ! な、なに?!」


 思わず顔を向けて問い返す。

 すると、シリウスは少しだけ目を細めて、どこか楽しげな声で言った。


「いや……今のフィオラは、心を読まなくても何を思ってるのか、すぐ分かって可愛いなと思って」


 その言葉が、静かに夕暮れの空気に溶けていく。

 胸の奥がきゅうっと鳴った。


 恥ずかしくて、返す言葉が見つからない。

 ただ唇を開きかけて、何も言えずに俯いた。


 ふわっと熱が胸の奥に広がる。

 頬がほんのりと熱を帯び、視線を感じるだけで鼓動が速くなる。


(……こんな気持ち、どうしたらいいの?)


 沈黙の中、風が一筋、髪を揺らした。

 そしてシリウスが、そっと優しく言葉を落とす。


「そろそろ親睦会も、終わりの時間だね。……戻ろうか」


 その声は、夜の始まりを告げる鐘の音みたいに、柔らかく温かかった。

 私はただ小さく頷く。

 その横顔に触れた月明かりが、少しだけ眩しく見えた。




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