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選択の先にあるもの 1

 



「おい、フィオラ!」


 鋭い声が、遠くから現実を引き戻した。

 視界がゆらりと揺れ、肩を強く掴まれる感触が走る。

 ぼやけた光の中で顔を上げると、息を切らしたレオンの姿があった。

 夕陽の名残が差し込む中、その琥珀色の瞳が焦りと怒りに揺れている。


「どうしたんだよ!?顔、真っ青だぞ……!」


 レオンの声が珍しく震えていた。

 その必死さが伝わるほどに、胸の奥が熱くなる。

 けれど――その声をかき消すように、静かな足音が二人の間に落ちた。


「……レオン殿は、いつも騒がしいですね」


 セシル様の紅い瞳が、愉快そうに細められる。

 その声音はあくまで穏やかで、まるでこの状況すら遊戯の一部であるかのようだった。


「お前……っ!」


 レオンは反射的に私の前へ一歩踏み出し、腕を広げて庇う。

 その背中が視界を覆い、怒りと警戒が混じった気配が伝わってくる。


「フィオラに、何をした?」


 低く、鋭く、誰も通さない壁のような声音。

 いつもの明るいレオンとはまるで別人のようだった。


 それでも、セシル様は微笑を崩さない。

 その唇に、淡い笑みを浮かべたまま言葉を紡ぐ。


「ただ、お誘いをしていただけですよ。……ねえ、フィオラさん?」


 セシル様の声に、うまく反応できなかった。

 さっき感じた“見えない糸”の感覚が、まだ心の奥に残っていて。

 まるで今も、そこに触れられているような気がして――怖くて、指先が小さく震える。


 その時だった。

 レオンがちらりと私を振り返り、私の顔を見た瞬間、躊躇いもなく手を伸ばしてきた。


 彼の温かい手のひらが、私の冷えた手を包み込む。

 その瞬間、胸の奥に絡みついていた恐怖が――すっと、解けていく。

 まるで、光に触れたみたいに。


 ほんの数秒のことだった。

 気づけば、鼓動が落ち着き、息が少しだけ深くなる。


「……ありがとう、レオン」


 小さくそう呟くと、彼は少し照れくさそうに笑い、もう一度私の手を強く握った。


「大丈夫か?絶対、無理はするなよ」


 その声は、どこまでも優しかった。

 伝わってくる体温に、自然と笑みがこぼれる。


 ひとつ深呼吸をして、私は改めて顔を上げた。

 セシル様は、最初から最後まで、何一つ表情を変えていなかった。

 穏やかな笑みを浮かべたまま、紅い瞳の奥で何かを測るように、静かに私たちを見つめている。


「……セシル様は、“国王になること”が望みなんですか?」


 少し震える声でそう問うと、セシル殿下はわずかに瞳を細め、柔らかな息を吐いた。


「……ここは“はい”と答えた方が、少しはマシに思われるんですかね」


 皮肉めいた微笑を浮かべながら、彼はゆっくりと首を横に振る。


「ですが、違います。僕は“国王”という座そのものには、もう興味はありません。今の僕にとっては、ただの“おまけ”みたいなものです」


「じゃあ……何が、目的なんですか?」


 思わず踏み込むように尋ねたその瞬間、セシル様の瞳がほんの一瞬だけ鋭く光った。

 その真剣な表情に、私は息を呑む。


 やがて彼は再び微笑みを浮かべ、ゆるやかに言葉を紡いだ。


「……“復讐”、ですかね」


 その言葉が落ちた瞬間、空気が震えた。

 隣でレオンが小さく息を呑む音が聞こえる。


 けれどセシル様は気にも留めず、淡々と続けた。


「人の想いも、縁も、未来も。……“偶然”や“運命”なんて曖昧なものに委ねるには、あまりにも不確かすぎる。だから僕は、それらを“選ぶ”。自分の意志で、望む形に整えるために」


 そこで言葉を区切り、紅い瞳がわずかに細められる。


「ただ未来を“見える”だけの人間より、未来を“選べる”人間の方が、国王として相応しいと思いませんか?」


 その声音は穏やかで、まるで子守唄のように優しかった。

 けれど、そこに宿る確信はあまりに冷たく、ひと欠片の迷いもなかった。


(……復讐?)


 その一言が頭の中で何度も反響する。

 セシル様が“復讐”という言葉を選んだことに、私は小さな違和感を覚えた。


 自分の思い通りにしたいのなら、“支配”と答えるはずなのに。

 この人の行動の根底にあるのは、冷たい野心ではなく、もっと個人的で、深く、どうしようもなく“痛い”何か。


 そんな気がしてならなかった。


「……“復讐”って、誰に対して、なんですか?」


 静かに問いかけると、セシル様はわずかに視線を逸らし、茜に染まる空を見上げた。

 紅い瞳に映るのは、沈みゆく陽と、それを飲み込む群青。

 その瞳に、ほんの一瞬だけ哀しみの色が滲んだ気がした。


 そして、口を開いた時の声音は、これまでよりも低く、静かだった。


「――“この国”です」


 その言葉は、驚くほど淡々としていた。

 けれど、そこに宿るのは確かな憎悪。

 まるで長い間、胸の奥で燻り続けてきた炎が、ようやく形を得たようなーーそんな静かな熱を孕んでいた。


「僕の母は、代々王家に輿入してきた名門の公爵家の娘でした。“未来の国王”を産むために嫁がされ、役目を果たすように育てられた人です」


 セシル様の声は静かで、よく通る。

 けれど、その穏やかさの奥には、張りつめた痛みが隠れていた。


「幼い頃から、僕はずっと兄上の“影”でした。何をしても、どんなに努力しても、勝てなかった。それでも……僕には、最後の希望があったんです」


「希望……?」


 思わず漏れた言葉に彼はほんの一瞬、微かに笑った。

 それは、哀しみとも諦めともつかない、壊れそうな笑みだった。


「【未来予知】を継ぐのは僕だと。そうすれば、僕は初めて兄上に勝てると思っていました。でも――能力(ギフト)を継承したのは、母親が平民で、血筋が悪いと蔑まれていた兄上でした」


 言葉は淡々としているのに、そのひとつひとつが胸の奥に突き刺さる。

 紅い瞳の奥に宿るのは、怒りではなく、ずっと昔に閉じ込められた孤独の色。

 静かに、それでいて確かに燃え続けている痛みだった。


「僕は思うんです。兄上が生まれたことそのものが、この国の“歪み”を象徴している。運命も秩序も、“正しさ”という名の下で、僕を否定したこの国こそ――最も裁かれるべき存在だと」


 言葉のひとつひとつが、冷たい刃のように空気を裂いていく。

 それなのに、その声音には不思議な静けさがあった。

 まるで怒りではなく、“祈り”の延長線上にある絶望のように。


「……だから、この国を壊すつもりなんですか?」


 そう問いかけると、手のひらに力がグッと入った。

 理由を聞いても、やっぱりセシル様を理解することはできなかった。

 その理屈はあまりにも冷たくて、どこか子供のように“我儘”に思えた。


「壊すんじゃない、“正す”んです」


 穏やかな声は、まるでそれが本当に正解かのように響く。

 けれどその奥に潜むのは、確かな狂気だった。


「もう一度、教えてください。フィオラさんは、僕と手を組んでくれますか?」


 それは、まるで“乙女ゲームの選択肢”のようだった。

 【はい】か【いいえ】か――ただそれだけの問い。

 前世では何度も、迷いなくボタンを押してきたはずなのに。


 今は違う。胸の奥がざわついて、喉が固くなって、声が出ない。

 息を吸うたびに、紅い瞳がゆらりと揺れ、逃げ場を塞いでいく。


 セシル様は狂気を隠し、相変わらず穏やかに微笑んでいた。

 けれど、その瞳の奥には――“拒絶されることすら、想定済み”だとでも言いたげな冷たい余裕があった。




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