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恋と運命の幕が上がるとき 2

 



「……え?」


 アレン様の言葉を、すぐには理解できなかった。

 頭が真っ白になって、間の抜けた声が思わず漏れる。


 いつもの彼なら、こんな私を揶揄うように笑うはず。

 けれど、今のアレン様は一切真剣な表情を崩していなかった。


「い、今……なんて言いましたか?」


「俺と正式に婚約してくれないか、と言った」


 その声は、驚くほど静かで真っ直ぐだった。

 冗談でも、気まぐれでもない。

 それは覚悟を込めて放たれた“アレン様”の言葉。


 胸の奥がぎゅっと痛む。

 嬉しいとか、戸惑いとか、そういう言葉では表すことが出来ない感情が押し寄せてくる。


「……どうして、今なんですか?」


 掠れるように問い返すと、アレン様はほんの一瞬だけ目を伏せ――それから、まっすぐに私を見つめて答えた。


「今、だからだ」


 その言葉には、祈りにも似た願いと、確かな決意の熱が宿っていた。

 会場内で柔らかな光を放つシャンデリアの灯が、アレン様の横顔を照らす。

 煌めく光の中で、その真紅の瞳だけが静かに燃えて見えた。


 そして彼は、ほんの一瞬だけ微笑んだ。

 それは、強さと優しさが入り混じる――見たことのない笑顔。


「……っ!」


 返す言葉を探そうとした瞬間、アレン様の手が再び伸び、私の肩をそっと抱き寄せた。

 その仕草には――守るような優しさと、決して離すまいとする強い意志が同居していた。


「……俺から逃げられると思うか?」


 低く落ちた声が、耳のすぐそばを掠める。

 その響きに、思わず肩が跳ねた。


 銀の髪が揺れ、紅の瞳が至近で煌めく。

 悪戯めいているのに、どこか切なげに微笑むその表情に、息が詰まりそうになる。


「ふっ……そんな顔するなよ。もう、お前が俺だけを見てくれればいいのに」


 囁きは甘く、けれどどこか哀しさを帯びていた。

 胸の奥で、鼓動が痛いほど鳴り響く。

 アレン様の声も、距離も、視線も――すべてが体に染み込んでくる。


「……っ」


 何か言わなきゃ、そう思うのに喉が動かない。

 熱に似た静寂の中で、時間が止まったように感じた――その時。


「アレン。今は、そんなことしてる場合じゃないだろ」


 鋭く、刃のような声が空気を切り裂いた。

 ハッとして顔を向けると、いつの間にかすぐそばにオリバーさんが立っていた。


 穏やかな彼には似つかわしくないほど冷たい視線。

 その瞳が、アレン様を真っ直ぐに射抜いている。


 それに対して、アレン様はわずかに目を細め、そして挑発するように、軽く肩をすくめてみせた。


「そうだったな」


 一拍の沈黙のあと、彼は私から離れ、真っ直ぐに見つめ直す。

 さっきまでの熱を押し隠すように、静かで落ち着いた声音で言った。


「フィオラ。さっきの返事は――全てが終わったら、聞かせてくれ」


 それだけを残し、アレン様は踵を返した。

 すぐ隣を歩くオリバーさんの背中も、何かを押し殺すように見えた。


 二人の姿が人混みに溶けていく。

 残された私は、その場に取り残されたまま、ぼんやりと立ち尽くしていた。


 頬が焼けるように熱い。

 心臓の鼓動は早すぎて、息が合わない。


(ちょ、ちょっと待って……落ち着いて……私は今、“囮”なんだから!)


 頭の中がごちゃごちゃになる。

 それでも、さっきまで感じた体温や、耳元で囁かれた声の余韻が、どうしても離れてくれなかった。


 やっぱりこの世界は、乙女ゲームの物語の中なんだと痛感する。


 でも、今のアレン様は違った。

 ――あんなアレン様、ゲームの中でも見たことがない。


(……だって、さっきのアレン様は……どのルートの彼よりもずっと、ずるかった)


 胸の奥がくすぐったくて、息をするたびに熱がこぼれる。

 私は小さく息を吐き、両手で頬を押さえながら、なんとか冷静さを取り戻そうとした。



 ――その時だった。


「フィオラ!」


 駆け寄ってくる足音とともに、焦った声が響く。

 振り向くと、レオンとシリウスが足早にこちらへ向かってくるところだった。


「大丈夫か!?なんか今、完全にぼーっとしてたぞ!能力(ギフト)能力(ギフト)を使おうか!?落ち着くように!」


 勢いそのままに、レオンがグイッと顔を覗き込んでくる。

 その慌てっぷりに思わず後ずさりしそうになったけれど、その横でシリウスが眉を顰め、落ち着いた声で言った。


「……なんか、すごく心が揺れてる気がするけど……本当に大丈夫?」


 オッドアイの瞳が、まっすぐ私を映す。

 その視線が少しだけ鋭くて、胸の奥がチクリと痛んだ。


「えっ、あ……うん。全然大丈夫。セシル様のせいとかじゃ、ないから」


 笑おうとしたけれど、思ったよりもうまく笑えなかった。

 本当はセシル様じゃなくて、アレン様の言葉に胸が乱れているなんて、言えるわけがない。


 だから私は、誤魔化すようにもう一度微笑んでみせた。


 レオンもシリウスも、それ以上は何も言わなかった。

 けれど、二人の視線がまだどこか心配そうに揺れているのを感じる。


(……大丈夫。もう落ち着いた)


 自分にそう言い聞かせるように小さく息を吐いた、その時だった。



「姉さん」


 低い声に振り向くと、入り口付近で警戒していたはずのカロンが、いつの間にかこちらへ歩いてきていた。

 その整った顔に浮かぶのは、わずかな焦り。


「実はさっきから……少し気になることがあるんだ」


 いつも通りの丁寧な口調。けれどその声には、確かに緊張の色が混じっていた。


「セシル殿下と話した人たちって、必ず“二つのパターン”に分かれるんだ」


「二つの……パターン?」


 私が聞き返すと、カロンは小さく頷き、周囲を一度見回してから声を潜めた。


「一方は、殿下とさらに親しくなったように明るく接する。でも、もう一方は……まるで急に興味を失ったみたいに、殿下を避けるようになるんだ」


「……は?」


 レオンが眉を上げたその時、今度は別の方向から慌ただしい足音が近づいてきた。

 見ると、ルカくんが少し息を切らしながら駆け寄ってくる。


「ねえ!絶対、何かおかしいよ!さっきまでセシル殿下のこと、普通に話してくれてた子がいたのに……殿下と話した“後”から、急に何も言わなくなったんだ!」


「何も?」


「……うん。まるで、その話題に“蓋”でもされたみたいに」


 その言葉に、私たちは一斉に顔を見合わせた。

 偶然とは思えない。一人、また一人と変わっていく周囲の様子。

 空気が、ゆっくりと沈んでいく。



 そして――


「おや?随分と、みんな真剣な顔をしているね」


 その静寂を破ったのは、あの聞き慣れた低い声だった。


 思わず全員の視線が、同時にそちらを向く。

 そこには、いつもの穏やかな笑みを浮かべながら立つラフィン先生の姿。

 けれど、その笑顔の奥には、間違いなく何かが潜んでいるように見えた。


「もしかして、邪魔をしてしまったかな?でも……生徒たちが集まって、そんな難しい顔をしていたら、つい気になってしまってね」


 軽く笑いながら、ラフィン先生はゆっくりと一歩、私たちの方へ歩み寄る。

 その足音は驚くほど静かで、不思議と背筋がひやりと冷たくなった。


「セシル殿下のことでも、話していたのかな?」


「っ……」


 心臓が跳ねる音が、胸の奥で響いた。

 どうして先生が、今このタイミングで現れたのか。

 そんな疑問が浮かぶよりも早く、ラフィン先生の口元に、ゆっくりと笑みが深まっていった。


「セシル殿下は、とても特別な存在だよ。王族でありながら、あれほど周囲を“惹きつける力”を持っているなんて――なかなかいない」


 それは、どこまでも穏やかで柔らかな口調。

 けれど、その言葉の裏に、微かな棘のようなものが潜んでいるのを感じた。


「……“縁の選択”というのは、興味深いと思わないかい?誰と繋がり、誰を切り離すか、それだけで人は驚くほど簡単に変わってしまう」


 ラフィン先生が言葉を重ねるたびに、空気が少しずつ歪んでいく。

 穏やかな声のはずなのに、その奥に潜む“狂気”が、目に見えない圧となって肌を刺す。


 その圧に押されるように、隣のレオンが小さく息を呑んだ。

 張り詰めた空気の中、シリウスは何も言わず、けれどその双眸が鋭くラフィン先生を射抜いている。

 まるで、ほんの一言でも誤れば斬りかかりそうなほどの鋭さで。


 しかし、ラフィン先生は、そんな視線さえもどこか愉快そうに受け流した。

 口元の笑みを崩さぬまま、まるで芝居を楽しむ観客のように言葉を紡ぐ。


「そう……例えば、とても素直だった子が、急に無口になったり。あるいは、今まで何とも思っていなかった誰かを、急に“特別”に感じたり、ね」


 その言葉に、私は思わず息を止めた。


(……まさか、それって)


 ラフィン先生の口にした内容は、さっきカロンとルカくんが言っていたこととまるで一致していた。

 誰も声を出せず、空気が軋むように張り詰めていく。


 そんな私たちを、ラフィン先生はまるで玩具でも眺めるような眼差しで見つめていた。

 やがて、その視線がゆっくりと私に定まる。


「君も、もうすぐ“選ばなくちゃ”いけない。誰と繋がり、誰の手を放すのか……それを決める時が来る」


「……」


 言葉が出なかった。

 ラフィン先生の瞳は確かに淡い水色のはずなのに、今はまるで深い海の底を覗き込んでいるようだった。

 冷たく、静かで、そしてーー狂気にも似た光を宿している。


 その視線に射抜かれた瞬間、背筋をなぞるように冷たいものが走る。

 言葉も、呼吸も、すべてが凍りつくような感覚。



(……何かが、動き始める)


 そんな確信だけが、私の胸の奥に静かに残った。




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