表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
87/102

恋と運命の幕が上がるとき 1

 



 迎えた――親睦会当日の朝。


 学園の敷地全体が、普段とはまるで違う空気に包まれていた。

 中庭から正門まで真紅の絨毯が敷かれ、道の両脇には色の鮮やかな花のアーチ。

 迎賓ホールの前には次々と馬車が並び、教師たちが慌ただしくその列を誘導している。


(……本当に、今日なんだ)


 胸の奥がぎゅっと締めつけられる。

 息を整えようとしても、指先がほんの少し震えているのが自分でもわかった。

 それが緊張なのか、不安なのか――もう、区別がつかない。


 更衣室の鏡の前で、私は姿勢を正す。

 身に纏ったのは、シンプルだけれど気品のある淡いドレス。

 ストロベリーブランドの髪には、ルカくんが『一番似合うと思って』と照れくさそうに渡してくれた、淡いピンクの花が付いた髪飾りを添えた。


(大丈夫。ーー今日は、みんなもいる)


 そう思いながら、小さく息を吐いて、ドアノブに手をかける。

 廊下に出ると、朝の光の中に二つの影が待っていた。

 シリウスとレオン。

 思わず、私は目を瞬かせた。


 二人は私に気づくと、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。


「とっても、似合ってるよ」


 先に口を開いたのはシリウスだった。

 いつもの落ち着いた声に、ほんの少しだけ柔らかい色が混じっている。


「緊張してるかと思ったけど、めちゃくちゃ堂々としてるな!」


 続いてレオンが、太陽みたいな笑顔で明るく笑った。

 その屈託のない声が、張り詰めていた心をふっと軽くする。


「ありがとう。二人とも」


 その言葉が自然と口からこぼれた。

 褒められたことが、ただ、嬉しかった。

 胸の奥が温かくなるのを感じながら、私は二人の隣に並ぶ。


 三人で、ゆっくりと廊下を歩き出す。


 窓の外では、朝の光が赤い絨毯を照らし、風が静かにカーテンを揺らしていた。

 今日の“親睦会”が、ただの社交の場ではないことを――三人とも分かっている。

 けれど今は、誰もそれを口にしなかった。


 ただ静かに、胸の奥でそれぞれの決意を確かめながら、歩を進めた。


 しばらくして、迎賓ホールの前にたどり着く。

 分厚い扉の向こうから、楽団の調べと人々のざわめきが微かに漏れ聞こえてきた。


 扉が、ゆっくりと開かれる。


 整えたドレスの裾を指先できゅっとつまみながら、私は一歩、足を踏み出す。

 その瞬間、空気の温度が変わった気がした。


 けれど、その美しさの奥には、どこか張り詰めた空気があった。

 まるで舞台の幕が上がる瞬間を、誰かが息を潜めて待っているような――そんな静寂。


 私は深呼吸をするように、そっと息を吸い込む。

 胸の奥で、鼓動がひときわ強く鳴り響いた。


(……大丈夫。私は、一人じゃない。大丈夫)


 そう心の中で繰り返した、その時だった。

 ざわめきが波のように広がり、会場にいた生徒や招待客たちの視線が一斉に一点へと集まる。


 高らかな執事の声が響き、二人の王子が姿を現した。


 アレン様が、まっすぐな足取りで入場する。

 真紅の瞳に宿るのは、王族としての威厳と静かな覚悟。

 その隣に、少し遅れて現れたのは――本日の主役、セシル様。


 完璧に形づくられた微笑み。

 その端正な横顔は、まるで絵画の中の王子のようだった。

 けれど、彼の瞳が一瞬だけこちらを捉えた瞬間、空気がヒヤリと冷たく揺れた。


 喉がひとりでに鳴り、私は息を詰める。


 その時、アレン様のそばに立つオリバーさんと視線が交わった。

 彼は何も言わず、ただ穏やかな笑みを浮かべて小さく頷く。

 そのわずかな仕草だけで、胸の奥にあった緊張が緩やかに解けていくのを感じた。


(……うん。絶対、大丈夫)


 小さく息を吸い、自分に言い聞かせるように心の中でそう呟く。

 そして私は、ゆっくりと一歩を踏み出した。


 この親睦会が――物語の終わりへと続く、新たな幕の始まりになることを、まだ誰も知らないまま。



 * * *



 会場の前方では、王族の席にアレン様とセシル様が並び、その周囲には貴族たちが集まって丁寧な挨拶を交わしていた。

 楽団の音色と人々の笑い声が重なり合い、会場は穏やかで華やかな空気に包まれている。

 それでも胸の奥では、"何か起きるかもしれない"という緊張が静かに震えていた。


 私はレオンとシリウスからそっと離れ、会場の隅へと歩を進める。

 高い天井から金の灯りが降り注ぎ、床には淡い光がゆらゆらと反射していた。

 行き交う生徒たちは、いつもの制服ではなく、それぞれ気合いの入った正装に身を包み、笑顔を交わし合っている。


(……親睦会というより、本物の舞踏会みたい)


 自分もその輪の中にいるはずなのに、この光景がどこか他人事のように思えてくる。

 息を整えながら、私は人の波の向こうに目を凝らした。


(そういえば……ルカくんはどこにいるんだろう)


 そう思って視線を巡らせると、アレン様たちの次に人が集まっている一角が目に留まる。

 そこには――甘いストロベリーブロンドを揺らしながら談笑しているルカくんの姿。


 彼は花々で飾られた柱のそばで、生徒たちに囲まれながら笑顔を浮かべていた。

 けれど、その瞳は時折、鋭く光り、周囲の動きを静かに観察している。


(……ちゃんと、“役割”を果たしてくれてる)


 人混みの中でも、ルカくんは決して油断していなかった。

 可愛らしい笑顔の裏で、彼なりの覚悟が静かに息づいている。


 さらに視線を巡らせると、会場の出入り口を警戒するように立つカロンの姿が見えた。

 その横顔はいつもより硬く、わずかに緊張が滲んでいる。


 それから、少し離れた位置にはレオンとシリウスの姿。

 二人は私と目が合うと、わずかに頷いてみせた。

 その仕草だけで、胸の奥のわずかな緊張が少しずつ解けていく。

 彼らの存在は、とても心強かった。


 ――この空間のどこかで、何かが動き出しているとしても。

 

(もう、一人じゃない……)


「それでは、これよりご歓談をお楽しみください」


 その時、司会者の明るい声が響き、場内が再びやわらかな音と光に包まれる。

 シャンデリアの灯りが天井からこぼれ、弦の音が静かに流れ始めた。

 

(――ここから、私は“囮”としての役割を果たしてみせる)


 私はそっと息を吸い込み、胸の奥で決意を固めた――その瞬間。


「……こんにちは、フィオラさん」


 背後から、ひどく滑らかな声がかかった。

 まるで空気ごと染め替えるような声。

 反射的に振り返ると、鮮やかな紅の瞳が、柔らかく笑っていた。


「セシル様……」


 名前を呼ぶ声が、わずかに震えた気がする。

 けれど私は、表情を崩さずに微笑みを返した。


 気づけば、彼はほんの一歩分の距離しかない場所に立っていた。

 いつ、どうやってここまで近づいたのかも分からない。

 それほど自然で、そして不気味なほど静かな動きだった。


「こうしてちゃんと話ができるのは、“初めて”ですね?」


 セシル様の声音は穏やかで、まるで古い友人にでも話しかけるような親しげな響きを帯びている。

 けれど、その奥にある何かが――冷たく、得体の知れないもののように感じられた。


「そうですね。前は挨拶程度でしたから」


「では、今日はゆっくりとフィオラさんとお話できたら嬉しいです」


 紅い瞳が、柔らかく細められる。

 周囲では音楽が続いているはずなのに、不思議とその旋律が遠く霞んでいく。

 ――その瞬間、空気がひとつ、確かに変わった。


 笑みを浮かべたままのセシル殿下。

 その瞳の奥に、私を“測る”ような冷たい選別の気配が潜んでいた。


(この人は、今ここで……何かをしようとしてる?)


 胸の奥で小さく警鐘が鳴る。

 背筋にひやりとしたものが走り、息が浅くなったーーその時だった。



「フィオラ」


 静かで、けれど確かな力を帯びた声が、横から響く。


「……アレン様」


 気づけば、彼はすぐ傍に立っていた。

 そして何も言わず、私の肩にそっと手を添える。

 その仕草ひとつで、張り詰めた空気がわずかに緩んだ気がした。


「セシル。彼女と話をするのは構わないが、あまり長く時間を取るのは、他の生徒の誤解を生むぞ」


 低く、静かな声。

 けれどその響きには、明確な“牽制”があった。


 対してセシル殿下は、まるでそれすら計算に入れていたかのように微笑を崩さない。

 軽く会釈をして、柔らかく言葉を返す。


「それもそうですね、兄上。……では、僕は他の生徒たちと話をしてきます」


 その声は穏やかで礼儀正しい。

 だが、奥にほんの一滴――“演技”の響きが混じっているように思えた。


 去り際、セシル様の紅の瞳がもう一度だけこちらを掠める。


「では、後ほどゆっくりお話しましょう。フィオラさん」


 くるりと背を向け、何事もなかったかのように人混みの中へと消えていく。

 優雅で完璧なその背中が、なぜだか――酷く冷たく感じられた。


 セシル殿下の姿が見えなくなっても、私の胸の奥にはまだ小さなざわめきが残っていた。

 それは、不安とも予感ともつかない何か。

 静かに、けれど確かに、心の奥で波紋を広げていった。


 その時、ふいにアレン様に手を取られ、思考が現実へと引き戻された。


「……アレン様……?」


 彼は私の手を離さないまま、わずかに身を屈めて顔を寄せる。

 近くで見るその瞳は、いつもよりずっと真剣で、真っ直ぐだった。


 会場のざわめきも音楽も、遠くに消えていく。

 この瞬間だけが、まるで世界から切り離されたように感じた。


「……やっぱり、俺はお前を守りたいって思った」


 低く、けれど確かな声が耳元で落ちる。

 息が触れそうな距離で、彼の体温が伝わってきた。


「え……?」


 思わず息を呑む。

 その間すら置かず、アレン様は真紅の瞳で私を見つめたまま、静かに、けれど決意を込めて告げた。



「――なあ、俺と正式に婚約してくれないか?」



 時間が止まったようだった。

 その時、心臓の鼓動だけが、やけに大きく響いていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ