静かに燃える約束
親睦会まで、残すところあと数日。
学園中が準備で慌ただしくなる中、私は装飾品の手伝いを任されていた。
迎賓ホールに飾る花のリース。
今日は、その制作班として、何人かの生徒と一緒に作業している。
本来なら装飾は業者に依頼するのが常だ。
けれど今回は、セシル殿下の「生徒たちの手で創り上げてほしい」という希望により、学園祭さながらの熱気が広がっていた。
色とりどりの花々の香りが漂う中、私は手元の蔓を整えながら、小さく息を吐く。
華やかな空気のはずなのに、胸の奥ではどうにも落ち着かないざわめきが消えなかった。
「……フィオラさん、これ、そっちに持っていってもらえます?」
「はい、わかりました」
笑顔で返事をして、差し出されたリースに手を伸ばした時だった。
彼女は、ほんの一歩、私から距離を取った。
「……?」
その動きは、どこか不自然だった。
指先の間に残った空気が、なぜかひんやりと冷たく感じる。
触れ合うことを避けるように、わざと身を引いた――そう思わずにはいられなかった。
さっきまで普通に話していたはずなのに。
(……まるで、私を“怖がっている”みたいだった)
「……ご、ごめんなさい! やっぱり、自分でやります!」
慌てたように頭を下げると、彼女はリースを抱えたまま、目を合わせずに去っていった。
私は、ぽつんとその場に立ち尽くす。
花の香りがやけに遠く感じられた。
賑やかな周囲の声が、ひとつ遠くの世界の音みたいに霞んでいく。
(……今のって、気のせい?それとも――)
胸の奥に、小さな違和感が引っかかって離れない。
言葉にできないのに、確かにそこにある“何か”。
「さっきの女子生徒……変だったね」
背後から静かな声が落ちる。
振り返ると、シリウスが窓際に寄りかかり、こちらを見つめていた。
光の中に立つその姿は、まるで風の動きを読むように、静かで鋭い。
「彼女の心の揺らぎ、かなり違和感があった。……フィオラに対して、極度の“恐怖”を感じてた」
低い声に含まれた確信が、胸の奥を冷たく撫でていく。
(……極度の、恐怖……?)
その言葉に、思わず背筋がゾクリとした。
理由もなく避けられた、あの一瞬の距離。
あれはやっぱり、ただの気のせいなんかじゃなかった。
(どうして、急に……? 私、彼女に何かした……?)
不安が胸の奥で小さく渦を巻く。
その渦の中心で、言葉にならない“恐れ”の影が、ゆっくりと形を取っていくのを感じた。
ふと気づけば、シリウスがすぐ隣にいた。
その足音は、まるで私の不安を乱さないように歩み寄ってきたみたいに静かだった。
「……気にしすぎない方がいい」
その声に、私は顔を上げる。
シリウスはいつものように落ち着いた眼差しで私を見ていた。
オッドアイの瞳の奥には、氷のような冷静さと、わずかな優しさが同居している。
「これは、相手の“罠”の可能性もある。……フィオラの心を揺らがせるための」
「……罠……?」
「そう。だから、今は考えすぎない方がいい。それに俺たちはもう、手を打ってあるでしょ?」
その穏やかな言葉に、胸の奥で騒いでいた波が少しずつ静まっていく。
シリウスの声はまるで、冷たい夜の中で小さく灯る炎のようだった。
――“手を打ってある”。
その一言に、自然と数日前の記憶が甦る。
* * *
あの日。
空から茜色がゆっくりと消え、学園の喧騒が静まり始めた放課後。
人気のなくなった廊下を抜け、私は小さく息を吐いてから、生徒会室の扉をそっと開けた。
「遅くなって、すみません」
中にはすでに、アレン様とオリバーさん、それからレオン、シリウス、カロン、ルカくんが揃っていた。
私もその輪に加わるように空いているソファに座ると、自然と全員の視線がひとつに集まる。
普段なら軽口や笑い声が混じるはずなのに、今だけは誰もが真剣な面持ちで静まり返っていた。
すると、アレン様がゆっくりと立ち上がり、全員の顔を順に見渡す。
真紅の瞳には、迷いのない強い光が宿っていた。
「今日は、“親睦会”の件について話がある。お前たちに、それぞれ"頼みたい"ことがあって集まってもらった」
低く響いたその声に、場の空気が一層引き締まる。
「セシルが帰国した目的はーー“フィオラと接触すること”。……それは、ここにいる全員が既に気づいていると思う」
その言葉に、オリバーさんが穏やかに頷く。
そして、落ち着いた声で続けた。
「だから、みんなに“役割”をお願いしたいんだ。フィオラちゃんを守るには、アレンと俺だけじゃどうしても目が届かない。だから、力を貸してくれないかな?」
静寂の後、レオン、シリウス、カロン、ルカくんが互いに視線を交わす。
その瞳には何一つ迷いを感じなかった。
次の瞬間、レオンが勢いよく立ち上がった。
いつもの明るい声は力強くて、生徒会室の空気を揺らす。
「もちろん!フィオラのことは、任せてください!」
その真っ直ぐな言葉に、思わず胸が熱くなる。
それに続くように、シリウスがゆっくりと口を開いた。
「……今度は絶対、フィオラを危険な目には合わせない」
低く落とされた声は、穏やかでありながら揺るぎなかった。
次にルカくんは胸の前で小さく拳を握りしめ、真っ直ぐに私を見つめる。
「フィオラ先輩!僕も先輩の役に立ってみせるからね!」
その可愛らしい笑顔には、緊張と決意が同時に滲んでいた。
そして最後に、カロンが静かに息を吸う。
柔らかな口調のまま、はっきりとした言葉を落とした。
「……姉さんを利用しようとする人間は、誰であっても僕は許さない」
その声には、彼の中にある怒りと、決意が滲んでいた。
彼らの言葉を聞きながら、胸の奥がじんわりと熱くなっていく。
その時、アレン様がなぜか嬉しそうに口を開いた。
「……お前たちがフィオラの側にいてくれるなら、きっと大丈夫だな」
その短い言葉に、深い信頼が滲んでいた。
隣でオリバーさんも穏やかに微笑み、柔らかく声を重ねる。
「本当に、心強いね。……フィオラちゃん、これだけの仲間が君のそばにいる。だから、もう大丈夫だよ」
その瞬間、張りつめていた空気が、少しだけ温かくほどけた気がした。
私は、胸の奥にこみ上げる想いを押さながら、小さく頷いた。
(……みんながいてくれて、本当によかった)
それから、アレン様とオリバーさんから全員に、当日の流れとそれぞれの役割が伝えられた。
誰かが意見を挟めば、他の誰かがすぐに考えを重ねる。
不安や疑問が出るたびに、それを打ち消すように次の答えが返ってくる。
その光景を見ていると――胸の奥が、じんわりと温かくなった。
(みんな……私のために、こんなに真剣に考えてくれている)
いつの間にか、ここが乙女ゲームの世界で、自分がヒロインに転生しているという事実すら、どうでもよく思えていた。
この瞬間の彼らは、ただ“仲間”で、私にとってかけがえのない“現実”だった。
それぞれの瞳に宿るのは、不安よりも強い“覚悟”の光。
その小さな光が重なり合って、薄暗い部屋の中にひとつの炎のように灯っていた。
――あの時、確かに私は思った。
この仲間たちとなら、どんな未来だって怖くない、と。
* * *
「……フィオラ、大丈夫?」
静かな声が、遠い記憶の光景をそっと手放させた。
顔を上げると、シリウスのオッドアイが、優しく、けれどどこか探るように私を見つめている。
「……あ、うん。大丈夫」
そう笑って答えながら、私は自分の胸に手を当てた。
まだ少しだけ、あの時の温もりが残っている気がした。




