静かなる作戦、ヒロインの覚悟
その日の放課後。
人の気配がほとんど消えた校舎の中、私は静かに生徒会室の扉を開けた。
扉の先には、柔らかな橙の光に照らされながら、アレン様とオリバーさんが立っていた。
「おっ、来たか、フィオラ」
「お疲れ様。そろそろフィオラちゃんが来る頃かなって話してたところなんだ」
二人の視線を受け、私はソッと頷いて扉を閉める。
夕陽が差し込む窓辺では、カーテンが風に緩やかに揺れていた。
けれど、その穏やかな光景とは裏腹に、部屋の空気はどこか張り詰めている。
「あの……その前に、伝えたいことがあります」
ソファに腰を下ろすなり、私は息を整えて口を開いた。
「――今日の昼休み、セシル殿下に会いました」
「どこで?何を話した?」
アレン様の声がすぐに重なる。
その鋭さに、私は一瞬だけ息を詰めた。けれど、視線を逸らさずに続ける。
「中庭でみんなとお昼を食べた後です。突然現れて、“再び巡り会えた”とか、“運命の女神様が導いているようだ”って……」
「……偶然、か」
低く呟いたアレン様の表情に、警戒の色が濃く浮かんだ。
その隣で、オリバーさんもゆっくりと腕を組む。
「それ、きっと偶然なんかじゃないよ。セシル殿下が“タイミング”を計って現れた……そう考える方が自然だ」
穏やかな声なのに、言葉の奥には鋭い緊張が潜んでいた。
夕陽に照らされたオリバーさんの瞳は、いつもの柔らかさを残しながらも、まるで刃のように鋭く光っている。
短い沈黙の後、アレン様が机上の書類に目を落とし、低く言った。
「……とりあえず、今は“親睦会”が近い。セシルが本格的に仕掛けてくるとしたら、間違いなくその時だ」
「そう、ですね……」
「だから、当日の動きとそれぞれの役割を、俺たちで決めておいた。――お前にも確認してほしい」
真っ直ぐな声。
そして、アレン様の視線が私に向けられた。
「まず、レオンはお前の側にいてもらう。もし感情が不安定になって、危険を感じた時はあいつに頼れ」
その声は冷静だった。
けれど、言葉の奥には“守りたい”という強い熱が滲んでいらように感じた。
その想いを胸の奥で受け止めながら、私は小さく頷く。
「……わかりました」
「次に、シリウスもお前の側につける。心の揺れにはあいつが一番早く気づける。……念のため、警戒を二重にしておきたい」
みんなの名が挙がるたび、胸の奥で何かが少しずつ引き締まっていく。
彼らがそれぞれの立場で“私を守るために”動いてくれているーーその事実が、言葉にならないほど心強かった。
「ルカには、親睦会の場でセシル殿下の“観察”と“情報収集”を任せる」
ルカくんの意外な役割に少し驚いていると、オリバーさんが軽く頷いて言葉を添える。
「意外とルカは、気配を読むのが得意だからね。目立たないところで動けて役に立つはずだよ」
その声は穏やかでありながら、確かな信頼を滲ませていた。
――本人は気づいていないけれど、こうしてルカくんのことをちゃんと認めてくれている人がいる。
その事実が、まるで自分のことのように嬉しかった。
(……親睦会が無事終わったら、このこと、ルカくんに教えてあげよう)
「そして、カロンには全体の警戒を。広範囲に意識を張って、何が起きても即座に対応できるようにしてもらう」
二人の声が重なり、作戦の骨組みが少しずつ“現実の形”を帯びていく。
胸の奥に緊張と、それ以上に不思議な安心が同時に広がっていた。
そしてアレン様が、わずかに視線を伏せながら静かに言葉を継ぐ。
「……俺は、王族として“主賓”で出席する。表向きは式典の進行に従うが、常にお前の位置を把握しておく。……絶対に目を離さない」
その声音には、王族としての責務と、私への誓いが宿っていた。
その眼差しに、胸がじんと熱くなる。
すると隣で、オリバーさんが微笑を崩さずに言葉を継ぐ。
「俺はアレンの護衛として動く。同時にセシル殿下の動きを、すべて監視させてもらうつもりだよ」
声は穏やか。
けれど、その瞳の奥には、研ぎ澄まされた刃のような光が宿っていた。
まるで“笑みの裏で剣を構えている”ような気配に、私は思わず息を飲む。
その瞬間、部屋の空気がふっと静まった。
誰も言葉を発しないまま、ただ夕陽の光だけが机の上をゆっくりと滑っていく。
淡い金が茜に溶けていくその光景は、美しくて、どこか切なかった。
その静寂の中で、私はそっと唇を開いた。
「……あの。私の役割は?」
アレン様がわずかに目を瞬かせ、顔を上げる。
その瞳には、驚きと、どこか迷うような優しさが宿っていた。
「お前は……無理に動く必要はない。何か起きた時は、俺たちが守る」
静かに落とされた声。
けれど、その優しさの奥に滲む“躊躇い”を、私は見逃さなかった。
だから、首を横に振る。
「それじゃ、私が嫌です。ただ守られているだけじゃ、だめだと思うんです」
気づけば、言葉が自然と溢れていた。
胸の奥に押し込めていた何かが、ようやく息を吹き返すように。
「今まで私は、怖くて、不安で……みんなに守られてばかりでした。でも……あの時、アレン様が“未来は、俺が変える”って言ってくれたから。私も、自分の未来を、自分の手で変えたいです」
その言葉に、オリバーさんの目が柔らかく細められる。
そしてアレン様は、しばらく沈黙したまま視線を伏せ、やがて息を吐いた。
「……あの時の俺の言葉で、そんなふうに思っていたとはな」
かすかに笑みを浮かべながらも、その真紅の瞳は真っ直ぐに私を見ていた。
「お前の“役割”はーー囮だ」
その一言で、部屋の空気が一変した。
息を呑む音が、自分のものだと気づくまでに、少し時間がかかった。
「……囮、ですか?」
「ああ。セシルは必ずお前に接近してくる。その瞬間を、俺たちは待つ。お前の周囲を固めて、奴の本当の狙いを暴く」
アレン様の声は冷静で、迷いがなかった。
けれど、そこにあるのは命令ではなく、揺るがない“信頼”だった。
私は視線を落とし、胸の奥で何かがゆっくりと形を成していくのを感じながら、顔を上げた。
「わかりました。やります」
声は少し震えていた。けれど、それ以上に、心の奥には確かな熱があった。
その瞬間、アレン様の瞳がほんのわずかに揺れた。
「怖くないのか?」
「もちろん、怖いです。けど、それでも……逃げたくない」
その答えに、オリバーさんが小さく頷いて微笑む。
「強くなったね、フィオラちゃん」
その言葉が、穏やかに部屋に落ちていく。
窓の外では、沈みゆく夕陽がゆっくりと赤から金へと変わり、光の粒が舞うように室内を照らしていた。
誰も口を開かなかった。
けれどその沈黙の中で、私たちそれぞれの胸に確かな“覚悟”が芽生えていた。
次に訪れる“親睦会”が、ただの式では終わらないことを、全員が知っていた。




